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織田信長も拠点とした岐阜市が誇る山
金華山は岐阜県岐阜市の中心地にそびえる山です。標高は329mで、山頂には岐阜城が建造されています。市中からよく見えることもあり、岐阜市のシンボル的存在です。
短い時間で登頂できるため、登山初心者でも気軽に登ることができます。また山上までロープウェイが通じていることから、観光客も多い山です。
織田信長ゆかりの岐阜城
金華山の山体はチャートで構成され、硬くて浸食に強い特徴を有します。さらに、隣接する長良川が天然の堀となり、軍事上有利な地形とされています。鎌倉時代より、金華山山頂には砦や山城が築かれ、旧山名の「稲葉山」にちなみ「稲葉山城」と呼ばれていました。
歴代の城主では斎藤道三(さいとうどうさん:1494-1556年)や織田信長(おだのぶなが:1534-1582年)が知られています。信長は1567年に城を奪取し、城の名と地名を「岐阜」と改め天下統一の本拠地としました。
その後、岐阜城は関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい:1600年)の前哨戦で落城し、翌年には廃城となりました。今の城は2度目の復興天守で、1956年に建てられました。
歴史も学べる行楽地
山頂は岐阜城の他にも金華山御嶽神社の祠や、岐阜城資料館、本丸の井戸など、歴史に触れるスポットがたっぷりです。
観光地の側面も強く、展望レストランや、放し飼いのリスと触れ合える「ぎふ金華山リス村」もあります。
また電波塔がいくつか立ち、開けた場所や岐阜城の天守からは長良川と岐阜の街、名古屋のビル群などを見ることができます。さらに伊吹山や御嶽山、乗鞍岳をはじめとした北アルプスの峰々も望めます。
ロープウェーはナイター営業の日もあり、夜景スポットとしても有名です。
多彩な10の登山コース
金華山の登山道は、全体に広く張り巡らされています。道は10区分され、それぞれに名前が付きます。
よく登られているのは、西麓の岐阜公園とその近辺から出発する道です。登山口の周辺は公共交通機関の便が良く、駐車場も複数あります。さらに麓と山頂を結ぶロープウェーが敷設されています。
表と裏の登城路「七曲り登山道」と「めい想の小径」
「七曲り登山道」はよく整備されており、比較的歩きやすい道です。
「大手道」とも呼ばれ、古くはメインルートでした。登城の際に利用され、織田信長も歩いたそうです。「一ノ門跡」や「馬場跡」、「堀切」などの史跡を辿ることができます。
また道端の所々には「丁目石」が置かれています。この石は道のりの目安を示しており、岐阜城から一丁目、二丁目・・・と数え、十丁目まで定められているようです。
「めい想の小径」は岐阜城の裏門に繋がる道で、城主が脱出の際に使われたと言われています。麓から中腹までは谷筋の道で、「水手道」の別称の通り、いくつか沢を横切ります。
山頂手前はごつごつとした岩場が続きます。
またコース名にちなんだのか、シェークスピア(1564-1616年)や魯迅(ろじん:1881-1936年)といった偉人の名言が書かれたプレートがいくつも設けられています。
健脚向けの「馬の背登山道」
最も登り応えを感じられるとされるのは、「馬の背登山道」です。
距離は短いですが、その分傾斜はきつく、岩をよじ登るような箇所もあります。
登山口 |
めい想の小径登山口 七曲登山口 百曲登山口 掘割駐車場 東坂登山道入口 大釜登山道入口 ぎふ金華山ロープウェイ山頂駅 |
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基本情報
標高 | 328.86m |
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場所 | 北緯35度26分00秒, 東経136度46分53秒 |
金華山は岐阜市街の中央に位置する山で岐阜市のシンボルともなっている。
国土地理院地図などに記されるこの329m地点は二等三角点の設置点であり、山頂西の測候所の裏にあるため分かりづらい。金華山の本当の山頂は岐阜城天守の山頂で、二等三角点も元はその付近にあったが明治末期に模擬天守を建設する際にこちらに移設されたとのこと。三角点の地点は特に展望はない。
国土地理院地図などに記されるこの329m地点は二等三角点の設置点であり、山頂西の測候所の裏にあるため分かりづらい。金華山の本当の山頂は岐阜城天守の山頂で、二等三角点も元はその付近にあったが明治末期に模擬天守を建設する際にこちらに移設されたとのこと。三角点の地点は特に展望はない。
山頂 | |
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展望ポイント | 岐阜城北側より 槍、穂高連峰、笠ヶ岳、乗鞍、御嶽など |
山の解説 - [出典:Wikipedia]
金華山(きんかざん)は、岐阜県岐阜市にある標高329mの山。旧称 稲葉山(いなばやま)。旧地名で言えば美濃国井之口(いのくち)にあり、鎌倉時代から山城が置かれた山である。戦国時代に斎藤道三が本格的に城を整備し、1567年(永禄10年)に織田信長がそれを奪取して小牧山城の後の本拠地、天下統一を開始する場所として拡張整備し、山中にも砦が置かれて山全体が岐阜城の縄張りとなり、西麓の槻谷(けやきだに)には城主の館が置かれたが、1601年(慶長6年)に徳川家康によって廃城とされ、江戸時代は尾張藩の「御留山」として山に入ることが禁じられた。
現在では岐阜市のシンボル的存在で、市内・市外の広域から見えるランドマークとなっている。また、市民の憩いの場となっており、山上・山腹からの夜景が美しいことからデートスポットとして県外から訪れる客も多い。山頂付近には岐阜城の復興天守、隅櫓を模した岐阜城資料館のほか、岐阜城の曲輪を利用した金華山リス村、売店や展望レストランなどがあり、山頂へは金華山ロープウェーが通じる。西側山麓には織田信長公居館跡も残る岐阜公園、岐阜県歴史資料館、岐阜市歴史博物館、名和昆虫博物館などの文化施設や、伊奈波神社、岐阜護國神社、善光寺安乗院などの神社・寺院がある。南に連なる瑞龍寺山(水道山)には金華山ドライブウェイも走り、南端には瑞龍寺がある。
なお、2011年(平成23年)2月7日に金華山国有林を中心とする2,091,602.74 mが、文化財保護法(昭和25年法律第214号)第109条第1項の規定に基づき「岐阜城跡」として国の史跡に指定されている。
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この場所を通る登山ルート
東海 [日帰り]
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