白神山地・岩木山
岩木山神社(いわきやまじんじゃ)
青森県
最終更新:イグルスキー米山
基本情報
場所 | 北緯40度37分18秒, 東経140度20分26秒 |
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【古い伝承】
蝦夷征伐の命を受けた坂上田村麻呂は、この地まで進んで来た時、神々の力を借りて平定しようと、山頂の岩木山奥の宮に対し、それまであった下居宮(おりいのみや)を北の十腰内(とこしない)に再建してここに岩木山大権現を祀った。神仏を同一視する本地垂迹(ほんじすいじゃく)がもてはやされた頃で、中央岩木山を阿弥陀様、南の鳥海山を薬師様、北の巌鬼山を観音様とする三位一体の信仰をするようになったのである。
ところが、下居宮から巖鬼山へ登山する者の間にケガ人や神かくしに遭う人が続出したので、寛治五年(1091)、神のお告げによって下居宮と十腰内赤倉口にあった岩木山光明院百沢寺を南麓に移した。これが現在百沢にある岩木山神社である。(青森山岳風土記・山田耕一郎1979より)
蝦夷征伐の命を受けた坂上田村麻呂は、この地まで進んで来た時、神々の力を借りて平定しようと、山頂の岩木山奥の宮に対し、それまであった下居宮(おりいのみや)を北の十腰内(とこしない)に再建してここに岩木山大権現を祀った。神仏を同一視する本地垂迹(ほんじすいじゃく)がもてはやされた頃で、中央岩木山を阿弥陀様、南の鳥海山を薬師様、北の巌鬼山を観音様とする三位一体の信仰をするようになったのである。
ところが、下居宮から巖鬼山へ登山する者の間にケガ人や神かくしに遭う人が続出したので、寛治五年(1091)、神のお告げによって下居宮と十腰内赤倉口にあった岩木山光明院百沢寺を南麓に移した。これが現在百沢にある岩木山神社である。(青森山岳風土記・山田耕一郎1979より)
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