(はじめに)
※ この章は、2020年に初版をリリースした際は、「1−6章 剣山地 その地質、地形の概要」として記載していましたが、2022年11月からの、第1部「四国の山々の地質」の全面改訂作業により、1−7章と章番号が変更となっています。また内容もかなり変更しています。
悪しからずご了承ください。
===========
この1−7章と次の1−8章で、「剣山地(つるぎさんち)」の山々の地質を説明します。また地形学的な特徴も多少、説明します。
「剣山地」の概要については、1−1章でも触れましたが、広義の「四国山地」のうち、徳島県の中西部を主体とし、一部、高知県の東部まで広がる山地であり、中央部に最高峰の「剣山(つるぎさん;1955m)」があり、そこを中心にドーム状に隆起した形の山地です。
特にその中核部には、1500mを越える、四国においては高峰と言える山々が数多くあり、登山対象の山も多い山地です。(文献3−a)
地質学的には「石鎚山地」ほど変化に富んでいるわけではなく、また目立つ岩峰、岩稜もほとんどありませんが、登山対象となる山々が多いこともあり、2つの章に分けて説明します。
まず この「1−7」章では、「剣山地」全体の地質、地形の概要を説明したのち、主峰 剣山を含む「剣山地中核部」の山々について、地質、地形的な点を説明します。
次の「1−8章」では、その「剣山地中核部」を取り巻くように立ち並んでいる山々のうち、地質的に特徴がある山々について説明します。
悪しからずご了承ください。
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この1−7章と次の1−8章で、「剣山地(つるぎさんち)」の山々の地質を説明します。また地形学的な特徴も多少、説明します。
「剣山地」の概要については、1−1章でも触れましたが、広義の「四国山地」のうち、徳島県の中西部を主体とし、一部、高知県の東部まで広がる山地であり、中央部に最高峰の「剣山(つるぎさん;1955m)」があり、そこを中心にドーム状に隆起した形の山地です。
特にその中核部には、1500mを越える、四国においては高峰と言える山々が数多くあり、登山対象の山も多い山地です。(文献3−a)
地質学的には「石鎚山地」ほど変化に富んでいるわけではなく、また目立つ岩峰、岩稜もほとんどありませんが、登山対象となる山々が多いこともあり、2つの章に分けて説明します。
まず この「1−7」章では、「剣山地」全体の地質、地形の概要を説明したのち、主峰 剣山を含む「剣山地中核部」の山々について、地質、地形的な点を説明します。
次の「1−8章」では、その「剣山地中核部」を取り巻くように立ち並んでいる山々のうち、地質的に特徴がある山々について説明します。
1)剣山地の地質概要
1−2章で、四国地方の地質構造(地帯構造区分)について説明しましたが、「剣山地」は全体として、以下3〜4つの「地帯」にまたがっています。
まず北部の山々は、高圧型変成帯である「三波川帯(さんばがわたい)」分布域、中核部や東部の山々は、ジュラ紀付加体を主体とする広義の「秩父帯(ちちぶたい)」(なお広義の「黒瀬川帯」に属する地質体も、その内側に点在して分布)、南部の山々は、白亜紀付加体である「四万十帯(しまんとたい)」に属しています(文献1―a)、(文献1−b)、(文献1−d)、(文献1−e)、(文献1―f)。
また「三波川帯」と「秩父帯」との間には、帰属が明確となっていない、「御荷鉾緑色岩類(みかぼりょくしょくがんるい)」分布域が東西に細長く分布しています(文献1−c)。
さらに細かく見ると、「御荷鉾緑色岩類」分布域と、非変成のジュラ紀付加体である「秩父北帯」との間には、弱めの高圧型変成作用を受けた、付加体由来と思われる、地質体が分布しています。この領域は、どの「地帯」に含めるか、帰属不明な領域です。
「剣山地」のうち、この「剣山地中核部」の地質の概略は、添付の図1や、図1の元である、産総研「シームレス地質図v2」もご参照ください。
なお、剣山から三嶺にかけての地質を研究した、(文献4)では、その中に
「図2 三嶺―剣山地域の地質図」が掲載されています。
そちらも、解りやすくて参考になりますので、詳しく知りたい方は、ご参照ください。
まず北部の山々は、高圧型変成帯である「三波川帯(さんばがわたい)」分布域、中核部や東部の山々は、ジュラ紀付加体を主体とする広義の「秩父帯(ちちぶたい)」(なお広義の「黒瀬川帯」に属する地質体も、その内側に点在して分布)、南部の山々は、白亜紀付加体である「四万十帯(しまんとたい)」に属しています(文献1―a)、(文献1−b)、(文献1−d)、(文献1−e)、(文献1―f)。
また「三波川帯」と「秩父帯」との間には、帰属が明確となっていない、「御荷鉾緑色岩類(みかぼりょくしょくがんるい)」分布域が東西に細長く分布しています(文献1−c)。
さらに細かく見ると、「御荷鉾緑色岩類」分布域と、非変成のジュラ紀付加体である「秩父北帯」との間には、弱めの高圧型変成作用を受けた、付加体由来と思われる、地質体が分布しています。この領域は、どの「地帯」に含めるか、帰属不明な領域です。
「剣山地」のうち、この「剣山地中核部」の地質の概略は、添付の図1や、図1の元である、産総研「シームレス地質図v2」もご参照ください。
なお、剣山から三嶺にかけての地質を研究した、(文献4)では、その中に
「図2 三嶺―剣山地域の地質図」が掲載されています。
そちらも、解りやすくて参考になりますので、詳しく知りたい方は、ご参照ください。
2) 剣山地の地形的な特徴
広義の「四国山地」のうち、前章までで説明した「石鎚山地」は、中央構造線に沿って、東西に長く伸びた山脈でしたが、この「剣山地」は、主峰 剣山を中心に、全体的にドーム状の形状をした山地です。実際にも、第四紀になってから、ドーム状に隆起(曲隆)した山地だと推定されています(文献2−b)。
「剣山地」の隆起速度は、中核部で最も大きく、約2.5m/1000年 と、最大で 約2.0m/1000年の「石鎚山地」より大きい、という推定もされています(文献2―b)
「剣山地」の特徴の一つとしては、谷が険しい一方で、中央部の稜線は比較的なだらかな斜面になっていることが挙げられます。例えば主峰である「剣山」は、その名に似合わず、頂上は高原状の平たい頂上部となっており、「平家の馬場(へいけのばば)」(源平合戦に敗れた平家の落人が馬に乗って訓練した、という伝説による)という別称があるほどです。
他にも、剣山の北側にある、「丸笹山」(まるざさやま;1711m)や、「塔ノ丸」(とうのまる;1713m)、三嶺の西側にある「牛の背(うしのせ)」などは、いずれもなだらかな山容をしています。
これら、剣山地の中央部に点在する小起伏面は、明確な証拠はありませんが、いわゆる「隆起準平原」ではないか、と推定されます(この段落は私見です)。
一方で、山地の周辺部から河川による浸食は徐々に進んでおり、特に祖谷渓(いやけい)の中流部は、激しい浸食(下刻)により、川に沿った道路は、川面から約100mも上の斜面を曲がりくねって通っており、極めて深い谷を形成しています。
この他、「剣山地」の地形的な特徴としては、やや詳しく見ると、東西方向に尾根筋、谷筋が伸びている箇所が多いことも、上げられます。
これらの東西方向の線状地形(リニアメント)は、その地質構造に規制された、いわゆる「組織地形」だと考えられています(文献2−b)。
「剣山地」の隆起速度は、中核部で最も大きく、約2.5m/1000年 と、最大で 約2.0m/1000年の「石鎚山地」より大きい、という推定もされています(文献2―b)
「剣山地」の特徴の一つとしては、谷が険しい一方で、中央部の稜線は比較的なだらかな斜面になっていることが挙げられます。例えば主峰である「剣山」は、その名に似合わず、頂上は高原状の平たい頂上部となっており、「平家の馬場(へいけのばば)」(源平合戦に敗れた平家の落人が馬に乗って訓練した、という伝説による)という別称があるほどです。
他にも、剣山の北側にある、「丸笹山」(まるざさやま;1711m)や、「塔ノ丸」(とうのまる;1713m)、三嶺の西側にある「牛の背(うしのせ)」などは、いずれもなだらかな山容をしています。
これら、剣山地の中央部に点在する小起伏面は、明確な証拠はありませんが、いわゆる「隆起準平原」ではないか、と推定されます(この段落は私見です)。
一方で、山地の周辺部から河川による浸食は徐々に進んでおり、特に祖谷渓(いやけい)の中流部は、激しい浸食(下刻)により、川に沿った道路は、川面から約100mも上の斜面を曲がりくねって通っており、極めて深い谷を形成しています。
この他、「剣山地」の地形的な特徴としては、やや詳しく見ると、東西方向に尾根筋、谷筋が伸びている箇所が多いことも、上げられます。
これらの東西方向の線状地形(リニアメント)は、その地質構造に規制された、いわゆる「組織地形」だと考えられています(文献2−b)。
3) 「剣山」とその周辺の地質と地形
「剣山地」の主峰 剣山(つるぎさん;1955m)は、日本百名山でもあり、四国の山々の中では登山者だけでなくハイカー、観光客にも人気の山です(文献3−b)。
「剣山」という名前から、北アルプスの剣岳(標高:2999m)のような、険しい岩山をイメージする人も多いと思いますが、実は剣岳とは正反対と言っていいような、まんじゅう型の茫洋とした山容です。また登山道はなだらかで岩場もなく、メイン登山口である「見ノ越(みのこし)」という場所から、歩いて1.5時間程度で登頂できる、ハイキングレベルの山です(ただし冬場は積雪が1m以上あります)。
「剣山」の名前の由来には諸説あり、(文献4)では、古くは「立石山」あるいは「石立山」と呼ばれていたが、源平時代に、安徳天皇(平家側)の剣を奉納した(という伝説)から「剣山」という名前に変わった、という説が記載されています。
一方、山頂近くにある、石灰岩でできた岩峰(大剣岩)にちなむという説もあります。この岩峰をご神体として大剣神社があります。この説は、南アルプス南部の光岳(てかりだけ)が、山頂近くの石灰岩の岩峰、光岩(てかりいわ)から山名がついたのと、似ています。
さて、剣山とその周辺の地質ですが、なだらかな山容の為、岩が露出している箇所が少なく、構成している岩石、地質は、登ってみてもあまり良く分かりません。
産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、「剣山」とその近くにある「ジロウギュウ(次郎笈);1929m」、「一ノ森(いちのもり;1879m)」辺りは、ジュラ紀付加体としての「秩父帯」に属し、付加体型地質のうち「メランジュ相」の地質で形成されています。
産総研「シームレス地質図v2」で細かく見ると、「メランジュ相」の地質分布域の中に、東西に約500m〜1km、南北に約200〜300mサイズの、レンズ状岩体が分布しています。それらレンズ状岩体の地質は、チャート、及び石灰岩です。
前述の「大剣岩」は、このうち、「石灰岩」でできた岩峰です。
この石灰岩でできた岩峰は、恐らくジュラ紀より前に、遠い大洋上にあった火山島状に形成されたサンゴ礁由来のものでしょう。
なお、地形的な特徴としては、「剣山」山頂部の平坦面は、一種の「隆起準平原」ではないかと思われます。但し「石鎚山地」では、瓶ヶ森(かめがもり)という小起伏面を持つ山の山頂部に、標高が低い場所で堆積したと推定される礫岩層(久万層群)があることで、隆起準平原ということが明瞭ですが、「剣山」ではそのような鍵層が無いので、証拠は明確ではありません。
「剣山」という名前から、北アルプスの剣岳(標高:2999m)のような、険しい岩山をイメージする人も多いと思いますが、実は剣岳とは正反対と言っていいような、まんじゅう型の茫洋とした山容です。また登山道はなだらかで岩場もなく、メイン登山口である「見ノ越(みのこし)」という場所から、歩いて1.5時間程度で登頂できる、ハイキングレベルの山です(ただし冬場は積雪が1m以上あります)。
「剣山」の名前の由来には諸説あり、(文献4)では、古くは「立石山」あるいは「石立山」と呼ばれていたが、源平時代に、安徳天皇(平家側)の剣を奉納した(という伝説)から「剣山」という名前に変わった、という説が記載されています。
一方、山頂近くにある、石灰岩でできた岩峰(大剣岩)にちなむという説もあります。この岩峰をご神体として大剣神社があります。この説は、南アルプス南部の光岳(てかりだけ)が、山頂近くの石灰岩の岩峰、光岩(てかりいわ)から山名がついたのと、似ています。
さて、剣山とその周辺の地質ですが、なだらかな山容の為、岩が露出している箇所が少なく、構成している岩石、地質は、登ってみてもあまり良く分かりません。
産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、「剣山」とその近くにある「ジロウギュウ(次郎笈);1929m」、「一ノ森(いちのもり;1879m)」辺りは、ジュラ紀付加体としての「秩父帯」に属し、付加体型地質のうち「メランジュ相」の地質で形成されています。
産総研「シームレス地質図v2」で細かく見ると、「メランジュ相」の地質分布域の中に、東西に約500m〜1km、南北に約200〜300mサイズの、レンズ状岩体が分布しています。それらレンズ状岩体の地質は、チャート、及び石灰岩です。
前述の「大剣岩」は、このうち、「石灰岩」でできた岩峰です。
この石灰岩でできた岩峰は、恐らくジュラ紀より前に、遠い大洋上にあった火山島状に形成されたサンゴ礁由来のものでしょう。
なお、地形的な特徴としては、「剣山」山頂部の平坦面は、一種の「隆起準平原」ではないかと思われます。但し「石鎚山地」では、瓶ヶ森(かめがもり)という小起伏面を持つ山の山頂部に、標高が低い場所で堆積したと推定される礫岩層(久万層群)があることで、隆起準平原ということが明瞭ですが、「剣山」ではそのような鍵層が無いので、証拠は明確ではありません。
4) 三嶺(みうね)とその周辺の地質と地形
「剣山」から西方 約10kmの位置に、「三嶺」(「みうね」/「さんれい」とも呼ぶ;1893m)という山があります。剣山が、あまり見た目がパッとしないのと対照的に、「三嶺」は祖谷渓(いやけい)の深い谷から大きくそびえ立っていて、「剣山地」の中では名峰として人気があります。三百名山の一つでもあります。
(文献3−c)でも、「どこから望んでも山容は秀麗」と書かれています。また、剣山から三嶺までは尾根続きであり、四国では数少ない、泊りがけでの縦走を楽しめるルートです。また三嶺から西へも縦走路が延びています。
さて、三嶺とその周辺の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、前述の「剣山」周辺と比べ、地質構造はなかなかに複雑です。注1)
まず三嶺の山頂部を含む部分は、「変成チャート」が分布しています。この「変成チャート」分布域は東西に細長く、東西方向には約8kmも伸びていますが、南北方向の幅は約300mと狭くなっています。三嶺の北側斜面は、「変成玄武岩」、「変成ハンレイ岩」が分布しており、「地帯構造区分」上は、「御荷鉾緑色岩類(みかぼりょくしょくがんるい)」と呼ばれる岩石類です(文献1−c)。
一方、「三嶺」の山頂の南側斜面や、「剣山」への縦走路の途中までは、「泥質千枚岩」という、泥岩由来の弱い変成作用を受けた地質が主体で、その中に東西に細長く、「変成チャート」や「変成砂岩」が分布しています。
ここまでの地質体は、産総研「シームレス地質図v2」によると、これらの地質体は全て、変成時期が「前期白亜紀(アルビアン期)〜新第三紀 暁新世」(約110〜56Ma)と記載されており、「剣山地」の北部から「石鎚山地」にかけて分布する「三波川帯」(結晶片岩類を主体とする高圧型変成帯)の主変成時期とほぼ同じなので、この「三波川変成作用」を受けた変成岩地帯といえます。
この一帯の種々の地質体は、原岩の構成から見ると、付加体が元となっていると思われますが、「地帯構造区分」上は、「秩父帯」の一部とするか、「三波川帯」の一部とするか、専門書や論文類でも見解がわかれており、帰属ははっきりしません。
また、「三嶺」の北側斜面などに分布している「御荷鉾緑色岩類」は、独立した「地帯」(「御荷鉾帯」)とする考え方のほか、変成作用を受けていることから「三波川帯」の一部とする考え方、ジュラ紀に付加した付加体として「秩父帯」の一部とする考え方もあり、位置付けは明確ではありません。
ただし「御荷鉾緑色岩類(みかぼりょくしょくがんるい)」の成因、形成場については、ある程度意見が一致しているようです。
文献1−c)によると、玄武岩やハンレイ岩といった苦鉄質火成岩の中に、チャートがゼノリス状(「捕獲岩」の意)に含まれることや、玄武岩の化学組成的特徴(MORB型ではない)、産状(枕状溶岩を含む)などを根拠として、移動している海洋プレート上で生じた火山活動(火成活動)によって形成されたもの、と推定されています。
その火成活動が生じた時期は明確ではありません、ジュラ紀(あるいはその前後)と推定されています。
ところで、「三嶺」も、それほど岩石が露出している場所が少ないのですが、三嶺山頂やそこから南側へ急角度で下る縦走路の部分は、岩場となっています。産総研「シームレス地質図v2」で見ると、この辺りの岩場は、「変成チャート」からなるようです。
続いて「三嶺」から「剣山」へと続く縦走路の地質について説明します。この縦走路は、割と起伏が少なく、岩場っぽいところも少ないので、歩いていても地質が良く解りません。
産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、三嶺山頂部から約4kmあたりまでは、前述の「泥質千枚岩」などの弱変成岩地帯となっており、その先は、「秩父帯」のメランジュ相の地質分布域となって、剣山山頂までずっと、「秩父帯」のメランジュ相分布域となっています。
この縦走路上には目立つピークがほとんどないのですが、それは地質的に変化が少ない為ではないかと思います(この段落は私見を含みます)。
なお、産総研「シームレス地質図v2」では表示されていませんが、筆者の山行記録の写真を見ると、縦走路の途中にはカルスト地形に似た、岩塊が点在する場所があります。「剣山」の「剣大岩」と同様、「秩父帯」中の石灰岩分布域ではないかと思われますが、「(変成)チャート」かも知れません。(この段落は私見です)。
なお、この縦走路から南へ分岐する支尾根上、縦走路から約1kmの位置には、「白髪山(しらがやま);1720m」という、割と目立つピークがあります。この山の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、三嶺山頂部と同じく、「変成チャート」で形成されています。
また「三嶺」からは、西方向にも主稜線が伸びており、縦走路もあります。「三嶺」から西へ約5kmの位置には、「天狗塚(てんぐづか;1812m)」という、山頂部が小さいながらぴょこんと突起状となった目立つピークがあります。この山も、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、三嶺山頂部と同じく、山頂部は「変成チャート」で形成されています。
一般的に、付加体型地質体の分布域では、泥岩、砂岩(や、それらを原岩とする変成岩)は浸食に弱く、チャート、石灰岩(や、それらを原岩とする変成岩)は浸食に強い傾向にあります。
「三嶺」の山頂部、「天狗塚」の山頂部、「白髪山」の山頂部が、共に周辺部から50〜100mほど突出しているのは、この「変成チャート」が浸食に強いためにできたものではないかと思います。(この段落は私見です)。
ところで、三嶺―剣山辺りの地質研究として、(文献4)、(文献5)があります。以下、(文献4)を元に、三嶺付近の地質構造をやや詳しく説明します。
前述のとおり、三嶺の山頂部は「変成チャート」が分布していますが、その北側斜面は、「御荷鉾緑色岩類」という別種の岩石類が分布しています。この間の地質境界は、(文献4)、(文献5)によると、「オコヤトコー名頃断層」と呼ばれる古い断層(=地質境界)です。この古い断層のセンスは、南側の地質体に、北側の「御荷鉾緑色岩類」が乗り上げた、「衝上断層」とされています。
この地質境界の南側、三嶺の山頂部付近では、(文献4)によると「変成チャート」の地質体は、北側に約60度の傾斜を持っています。一方、三嶺の山頂部から南に約2km付近では、地質構造は南傾斜となっています。
そのことから(文献4)では、三嶺の山頂部の約1km付近に軸を持つ、東西走向の背斜(はいしゃ)軸(=アンチフォーム軸)をもった褶曲構造となっている、と推測しています。この褶曲構造は、「谷道アンチフォーム」 注2) という名称がつけられています。
最後に、「三嶺」山頂部の地形的特徴について説明します。「三嶺」は山頂部の北から東側にかけ、小さい平坦な部分が広がっており、その中に小さい池もあります。この平坦部の縁には、無人小屋も建っています。
この地形について具体的に説明したものは見当たりませんでしたが、筆者は、隆起準平原というよりは、「線状凹地」の一種ではないかと考えています。というのは、この平坦面の北側と南側に、土塁のような高まりが東西に伸びており、「石鎚山地」のあちこちにある「線状凹地」状形に類似しているからです。(この段落は私見です)。
なお、(文献5)では、細かい場所は明示されていませんが、剣山〜三嶺〜天狗塚という「剣山地中核部」主稜線部には、あちこちに、「線状凹地」が分布している、と記載されています。この「線状凹地」状地形は、地すべりで形成されたものではなく、重力変形(クリープ)の一種だろう、と推定されています。
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注1)(文献4)に添付されている「図2 三嶺ー剣山地域の地質図」は、この地域一帯の地質構造を詳しく説明している興味深いものです。
詳しく知りたい方は、(参考文献)の項に、(文献4)をリンクしていますので、ご参照ください。
注2)「アンチフォーム」(Antiform) とは、(文献7)に基づくと、「上のほうで閉じたような褶曲構造」を意味する地質学用語です(なお、日本語訳はなく、カタカナ表記で「アンチフォーム」と使う)。
類似の地質学用語として、「アンチクライン(Anticline)」(日本語では、「背斜(はいしゃ)」と訳され、「背斜」という表現が良く使われる)があります。
「アンチクライン/背斜」とは、(文献7)に基づくと、「地層構造のうち、構造的下位の地層がその構造部の中心部にでている部分」という意味です。
「アンチフォーム」も「アンチクライン/背斜」も、意味するものはほぼ同じで、褶曲構造のうち、上に凸となっている部分を示す用語ですが、最近の論文類では、「アンチクライン/背斜」よりも、より広義の「アンチフォーム」という用語が良く使われているようです。
※ “Ma” は、百万年前を意味する単位
(文献3−c)でも、「どこから望んでも山容は秀麗」と書かれています。また、剣山から三嶺までは尾根続きであり、四国では数少ない、泊りがけでの縦走を楽しめるルートです。また三嶺から西へも縦走路が延びています。
さて、三嶺とその周辺の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、前述の「剣山」周辺と比べ、地質構造はなかなかに複雑です。注1)
まず三嶺の山頂部を含む部分は、「変成チャート」が分布しています。この「変成チャート」分布域は東西に細長く、東西方向には約8kmも伸びていますが、南北方向の幅は約300mと狭くなっています。三嶺の北側斜面は、「変成玄武岩」、「変成ハンレイ岩」が分布しており、「地帯構造区分」上は、「御荷鉾緑色岩類(みかぼりょくしょくがんるい)」と呼ばれる岩石類です(文献1−c)。
一方、「三嶺」の山頂の南側斜面や、「剣山」への縦走路の途中までは、「泥質千枚岩」という、泥岩由来の弱い変成作用を受けた地質が主体で、その中に東西に細長く、「変成チャート」や「変成砂岩」が分布しています。
ここまでの地質体は、産総研「シームレス地質図v2」によると、これらの地質体は全て、変成時期が「前期白亜紀(アルビアン期)〜新第三紀 暁新世」(約110〜56Ma)と記載されており、「剣山地」の北部から「石鎚山地」にかけて分布する「三波川帯」(結晶片岩類を主体とする高圧型変成帯)の主変成時期とほぼ同じなので、この「三波川変成作用」を受けた変成岩地帯といえます。
この一帯の種々の地質体は、原岩の構成から見ると、付加体が元となっていると思われますが、「地帯構造区分」上は、「秩父帯」の一部とするか、「三波川帯」の一部とするか、専門書や論文類でも見解がわかれており、帰属ははっきりしません。
また、「三嶺」の北側斜面などに分布している「御荷鉾緑色岩類」は、独立した「地帯」(「御荷鉾帯」)とする考え方のほか、変成作用を受けていることから「三波川帯」の一部とする考え方、ジュラ紀に付加した付加体として「秩父帯」の一部とする考え方もあり、位置付けは明確ではありません。
ただし「御荷鉾緑色岩類(みかぼりょくしょくがんるい)」の成因、形成場については、ある程度意見が一致しているようです。
文献1−c)によると、玄武岩やハンレイ岩といった苦鉄質火成岩の中に、チャートがゼノリス状(「捕獲岩」の意)に含まれることや、玄武岩の化学組成的特徴(MORB型ではない)、産状(枕状溶岩を含む)などを根拠として、移動している海洋プレート上で生じた火山活動(火成活動)によって形成されたもの、と推定されています。
その火成活動が生じた時期は明確ではありません、ジュラ紀(あるいはその前後)と推定されています。
ところで、「三嶺」も、それほど岩石が露出している場所が少ないのですが、三嶺山頂やそこから南側へ急角度で下る縦走路の部分は、岩場となっています。産総研「シームレス地質図v2」で見ると、この辺りの岩場は、「変成チャート」からなるようです。
続いて「三嶺」から「剣山」へと続く縦走路の地質について説明します。この縦走路は、割と起伏が少なく、岩場っぽいところも少ないので、歩いていても地質が良く解りません。
産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、三嶺山頂部から約4kmあたりまでは、前述の「泥質千枚岩」などの弱変成岩地帯となっており、その先は、「秩父帯」のメランジュ相の地質分布域となって、剣山山頂までずっと、「秩父帯」のメランジュ相分布域となっています。
この縦走路上には目立つピークがほとんどないのですが、それは地質的に変化が少ない為ではないかと思います(この段落は私見を含みます)。
なお、産総研「シームレス地質図v2」では表示されていませんが、筆者の山行記録の写真を見ると、縦走路の途中にはカルスト地形に似た、岩塊が点在する場所があります。「剣山」の「剣大岩」と同様、「秩父帯」中の石灰岩分布域ではないかと思われますが、「(変成)チャート」かも知れません。(この段落は私見です)。
なお、この縦走路から南へ分岐する支尾根上、縦走路から約1kmの位置には、「白髪山(しらがやま);1720m」という、割と目立つピークがあります。この山の地質を、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、三嶺山頂部と同じく、「変成チャート」で形成されています。
また「三嶺」からは、西方向にも主稜線が伸びており、縦走路もあります。「三嶺」から西へ約5kmの位置には、「天狗塚(てんぐづか;1812m)」という、山頂部が小さいながらぴょこんと突起状となった目立つピークがあります。この山も、産総研「シームレス地質図v2」で確認すると、三嶺山頂部と同じく、山頂部は「変成チャート」で形成されています。
一般的に、付加体型地質体の分布域では、泥岩、砂岩(や、それらを原岩とする変成岩)は浸食に弱く、チャート、石灰岩(や、それらを原岩とする変成岩)は浸食に強い傾向にあります。
「三嶺」の山頂部、「天狗塚」の山頂部、「白髪山」の山頂部が、共に周辺部から50〜100mほど突出しているのは、この「変成チャート」が浸食に強いためにできたものではないかと思います。(この段落は私見です)。
ところで、三嶺―剣山辺りの地質研究として、(文献4)、(文献5)があります。以下、(文献4)を元に、三嶺付近の地質構造をやや詳しく説明します。
前述のとおり、三嶺の山頂部は「変成チャート」が分布していますが、その北側斜面は、「御荷鉾緑色岩類」という別種の岩石類が分布しています。この間の地質境界は、(文献4)、(文献5)によると、「オコヤトコー名頃断層」と呼ばれる古い断層(=地質境界)です。この古い断層のセンスは、南側の地質体に、北側の「御荷鉾緑色岩類」が乗り上げた、「衝上断層」とされています。
この地質境界の南側、三嶺の山頂部付近では、(文献4)によると「変成チャート」の地質体は、北側に約60度の傾斜を持っています。一方、三嶺の山頂部から南に約2km付近では、地質構造は南傾斜となっています。
そのことから(文献4)では、三嶺の山頂部の約1km付近に軸を持つ、東西走向の背斜(はいしゃ)軸(=アンチフォーム軸)をもった褶曲構造となっている、と推測しています。この褶曲構造は、「谷道アンチフォーム」 注2) という名称がつけられています。
最後に、「三嶺」山頂部の地形的特徴について説明します。「三嶺」は山頂部の北から東側にかけ、小さい平坦な部分が広がっており、その中に小さい池もあります。この平坦部の縁には、無人小屋も建っています。
この地形について具体的に説明したものは見当たりませんでしたが、筆者は、隆起準平原というよりは、「線状凹地」の一種ではないかと考えています。というのは、この平坦面の北側と南側に、土塁のような高まりが東西に伸びており、「石鎚山地」のあちこちにある「線状凹地」状形に類似しているからです。(この段落は私見です)。
なお、(文献5)では、細かい場所は明示されていませんが、剣山〜三嶺〜天狗塚という「剣山地中核部」主稜線部には、あちこちに、「線状凹地」が分布している、と記載されています。この「線状凹地」状地形は、地すべりで形成されたものではなく、重力変形(クリープ)の一種だろう、と推定されています。
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注1)(文献4)に添付されている「図2 三嶺ー剣山地域の地質図」は、この地域一帯の地質構造を詳しく説明している興味深いものです。
詳しく知りたい方は、(参考文献)の項に、(文献4)をリンクしていますので、ご参照ください。
注2)「アンチフォーム」(Antiform) とは、(文献7)に基づくと、「上のほうで閉じたような褶曲構造」を意味する地質学用語です(なお、日本語訳はなく、カタカナ表記で「アンチフォーム」と使う)。
類似の地質学用語として、「アンチクライン(Anticline)」(日本語では、「背斜(はいしゃ)」と訳され、「背斜」という表現が良く使われる)があります。
「アンチクライン/背斜」とは、(文献7)に基づくと、「地層構造のうち、構造的下位の地層がその構造部の中心部にでている部分」という意味です。
「アンチフォーム」も「アンチクライン/背斜」も、意味するものはほぼ同じで、褶曲構造のうち、上に凸となっている部分を示す用語ですが、最近の論文類では、「アンチクライン/背斜」よりも、より広義の「アンチフォーム」という用語が良く使われているようです。
※ “Ma” は、百万年前を意味する単位
5) 丸笹山とその周辺の地質
「剣山」は、山頂の北側にある、「見ノ越」(みのこし;約1450m)という峠状の場所まで東西から車道が伸びており、そこがメインの登山口になります。その「見ノ越」の北側には、剣山から三嶺にかけて東西方向に伸びる主稜線と相対するように、東西方向に山稜が延びています。
「見ノ越」のすぐ北側には、「丸笹山(まるざさやま;1712m)」があり、手軽に登れ、剣山をまじかに望める良い山です。また、その西側 約4kmには、「塔ノ丸(とうのまる);1713m」(注3) があり、ここも笹原が茂る展望の良い山です。
「丸笹山」の地質は、産総研「シームレス地質図v2」を見ると、「泥質千枚岩」であり、前述の「三嶺」南側斜面の「泥質千枚岩」分布域とつながっています。「丸笹山」はその名の通り、山頂部は笹原となっている丸っこい山ですが、恐らく浸食にあまり強くない「泥質千枚岩」分布域となっているために、なだらかな山容となっていると思われます(この段落は私見を含みます)。
「塔ノ丸」も、山容は「丸笹山」と似ていて、笹原が広がるなだらかな山容ですが、地質的には、産総研「シームレス地質図v2」によると、「変成玄武岩」が分布しています。この「変成玄武岩」分布域は、前述の「三嶺」北側斜面の分布域とつながっています。
筆者の山行記録を見ると、「塔ノ丸」の登山道沿いや山頂付近には、グレー系の大きな岩が点在していますが、これらは「変成玄武岩」の岩だと思われます。
注3)ここでは、山名を「塔ノ丸」という名称に統一しましたが、この山は「塔の丸」とも書きます。また、地理院地図では「塔丸」と記載されています。
「見ノ越」のすぐ北側には、「丸笹山(まるざさやま;1712m)」があり、手軽に登れ、剣山をまじかに望める良い山です。また、その西側 約4kmには、「塔ノ丸(とうのまる);1713m」(注3) があり、ここも笹原が茂る展望の良い山です。
「丸笹山」の地質は、産総研「シームレス地質図v2」を見ると、「泥質千枚岩」であり、前述の「三嶺」南側斜面の「泥質千枚岩」分布域とつながっています。「丸笹山」はその名の通り、山頂部は笹原となっている丸っこい山ですが、恐らく浸食にあまり強くない「泥質千枚岩」分布域となっているために、なだらかな山容となっていると思われます(この段落は私見を含みます)。
「塔ノ丸」も、山容は「丸笹山」と似ていて、笹原が広がるなだらかな山容ですが、地質的には、産総研「シームレス地質図v2」によると、「変成玄武岩」が分布しています。この「変成玄武岩」分布域は、前述の「三嶺」北側斜面の分布域とつながっています。
筆者の山行記録を見ると、「塔ノ丸」の登山道沿いや山頂付近には、グレー系の大きな岩が点在していますが、これらは「変成玄武岩」の岩だと思われます。
注3)ここでは、山名を「塔ノ丸」という名称に統一しましたが、この山は「塔の丸」とも書きます。また、地理院地図では「塔丸」と記載されています。
(参考文献)
文献1) 日本地質学会 編
「日本地方地質誌 第7巻 四国地方」
朝倉書店 刊 (2016)
文献1−a) 文献1)のうち、
第1部「四国の地体構造・地質概要」全般 及び、
1−4章 「四国の各地帯の概要」の項
文献1―b) 文献1)のうち、
第3部「三波川帯」の項
文献1−c) 文献1)のうち、
第4部「御荷鉾緑色岩類」の項 全般、
4−3章 「(御荷鉾緑色岩類の)年代論」の項、及び
4−6章 「御荷鉾緑色岩類の形成場」の項
文献1−d) 文献1)のうち、
第5部「(四国地方の)秩父帯」の項
文献1−e) 文献1)のうち、
5−2章「黒瀬川構造帯」の項
文献1−f) 文献1)のうち、
第6部 「(四国地方の)四万十帯」の項
文献2) 太田、成瀬、田中、岡田 編
「日本の地形 第6巻 近畿・中国・四国」
東京大学出版会 刊 (2004)
文献2―a) 文献2)のうち、
7−1―(2)節 「四国山地の曲隆」の項 及び、
図7.1.2. 「単位地域の平均海抜高度から推定された、
100万年間の(四国地方の)平均隆起量の分布」
文献2−b) 文献2)のうち、
7−1−(1)節 「四国山地の組織地形と地質構造」の項 及び、
図7.1.1 「四国山地の定方向性を持つ線状谷の分布」
文献3) 徳島県勤労者山岳連盟 著
「新・分県登山ガイド 第35巻 徳島県の山」
山と渓谷社 刊 (2005)
文献3−a) 文献3)のうち、
「概説;徳島県の山に登る」の項
文献3−b) 文献3)のうち、
「剣山」の項
文献−c) 文献3)のうち、
「三嶺」の項
文献4) 村田
「四国中東部、三嶺−剣山地域の御荷鉾緑色岩類〜
秩父北帯の地質構造」
徳島大学大学院 ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部(論文集)
第28巻 p55-63 (2014)
https://repo.lib.tokushima-u.ac.jp/ja/106379
(このリンク先は、徳島大学のサイトです。
当該論文は、このリンク先に、PDFファイルとしてアップされています)
文献5) 石田、西村、中尾、元山、高谷、香西、小澤
「徳島県祖谷川上流部の御荷鉾帯と秩父帯
〜 地質・地形の総合的研究 〜」
徳島大学総合科学部 自然科学研究(誌)
第21巻 p47-64 (2007)
https://repo.lib.tokushima-u.ac.jp/ja/search/p/309/item/117533?all=a&sort=updated_at
(このリンク先は、徳島大学のサイトです。
当該論文は、このリンク先にPDFファイルとしてアップされています)
文献6) インターネットサイト
ウイキペディア 「剣山」の項
2023年1月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%A3%E5%B1%B1
文献7) 地質団体研究会 編
「新版 地学事典」 平凡社 刊 (1996)のうち、
・「アンチフォーム」の項
・「背斜」の項
「日本地方地質誌 第7巻 四国地方」
朝倉書店 刊 (2016)
文献1−a) 文献1)のうち、
第1部「四国の地体構造・地質概要」全般 及び、
1−4章 「四国の各地帯の概要」の項
文献1―b) 文献1)のうち、
第3部「三波川帯」の項
文献1−c) 文献1)のうち、
第4部「御荷鉾緑色岩類」の項 全般、
4−3章 「(御荷鉾緑色岩類の)年代論」の項、及び
4−6章 「御荷鉾緑色岩類の形成場」の項
文献1−d) 文献1)のうち、
第5部「(四国地方の)秩父帯」の項
文献1−e) 文献1)のうち、
5−2章「黒瀬川構造帯」の項
文献1−f) 文献1)のうち、
第6部 「(四国地方の)四万十帯」の項
文献2) 太田、成瀬、田中、岡田 編
「日本の地形 第6巻 近畿・中国・四国」
東京大学出版会 刊 (2004)
文献2―a) 文献2)のうち、
7−1―(2)節 「四国山地の曲隆」の項 及び、
図7.1.2. 「単位地域の平均海抜高度から推定された、
100万年間の(四国地方の)平均隆起量の分布」
文献2−b) 文献2)のうち、
7−1−(1)節 「四国山地の組織地形と地質構造」の項 及び、
図7.1.1 「四国山地の定方向性を持つ線状谷の分布」
文献3) 徳島県勤労者山岳連盟 著
「新・分県登山ガイド 第35巻 徳島県の山」
山と渓谷社 刊 (2005)
文献3−a) 文献3)のうち、
「概説;徳島県の山に登る」の項
文献3−b) 文献3)のうち、
「剣山」の項
文献−c) 文献3)のうち、
「三嶺」の項
文献4) 村田
「四国中東部、三嶺−剣山地域の御荷鉾緑色岩類〜
秩父北帯の地質構造」
徳島大学大学院 ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部(論文集)
第28巻 p55-63 (2014)
https://repo.lib.tokushima-u.ac.jp/ja/106379
(このリンク先は、徳島大学のサイトです。
当該論文は、このリンク先に、PDFファイルとしてアップされています)
文献5) 石田、西村、中尾、元山、高谷、香西、小澤
「徳島県祖谷川上流部の御荷鉾帯と秩父帯
〜 地質・地形の総合的研究 〜」
徳島大学総合科学部 自然科学研究(誌)
第21巻 p47-64 (2007)
https://repo.lib.tokushima-u.ac.jp/ja/search/p/309/item/117533?all=a&sort=updated_at
(このリンク先は、徳島大学のサイトです。
当該論文は、このリンク先にPDFファイルとしてアップされています)
文献6) インターネットサイト
ウイキペディア 「剣山」の項
2023年1月 閲覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%A3%E5%B1%B1
文献7) 地質団体研究会 編
「新版 地学事典」 平凡社 刊 (1996)のうち、
・「アンチフォーム」の項
・「背斜」の項
このリンク先の、1−1章の文末には、第1部「四国地方の山々の地質」の各章へのリンク、及び、「序章―1」へのリンク(序章―1には、本連載の各部へのリンクあり)を付けています。
第1部の他の章や、他の部をご覧になりたい方は、どうぞご利用ください。
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【書記事項】
初版リリース;2020年4月20日
△改訂1; (2022年2月7日)
・章立ての変更、文章見直し、一部加筆修正。
・(参考文献)の項を新設、整理。
・ 1−1章へのリンクを追加。書記事項の項を新設、記載
△改訂2;(2023年1月14日)
・第1部の全面改訂に作業に伴い、章の名称を初版の「剣山地の地質と地形概要」から、
「剣山地の地質と地形概要、及び「剣山地中核部」の山々の地質と地形」に変更し、
記載内容も大幅に加筆修正。
(初版の1−6章、1−7章、1ー8章を統合した内容とした)。
・写真、地質図などを追加
・参考文献の項、内容の加筆修正に伴い、全面的に変更
・「山の情報」を追加
△最新改訂年月日;2023年1月14日
△改訂1; (2022年2月7日)
・章立ての変更、文章見直し、一部加筆修正。
・(参考文献)の項を新設、整理。
・ 1−1章へのリンクを追加。書記事項の項を新設、記載
△改訂2;(2023年1月14日)
・第1部の全面改訂に作業に伴い、章の名称を初版の「剣山地の地質と地形概要」から、
「剣山地の地質と地形概要、及び「剣山地中核部」の山々の地質と地形」に変更し、
記載内容も大幅に加筆修正。
(初版の1−6章、1−7章、1ー8章を統合した内容とした)。
・写真、地質図などを追加
・参考文献の項、内容の加筆修正に伴い、全面的に変更
・「山の情報」を追加
△最新改訂年月日;2023年1月14日
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