権現山古墳、馬越長火塚古墳、仁連木城址
- GPS
- 04:06
- 距離
- 26.5km
- 登り
- 166m
- 下り
- 162m
コースタイム
- 山行
- 4:06
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 4:06
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自転車
|
写真
装備
個人装備 |
弁当と水
|
---|
感想
朝弁当詰めて仕事に行こうと思いふと気がつくと今日は休日だった。
弁当持って、豊橋の古代遺跡探訪に行くことにする。
この平野に初めて来たサピエンスが、どこに住みたいと思ったか、甚だ興味深い。山と川と、段丘と見渡して、一番住みやすいところの近くに古墳を作ったはず。東三河で一番古墳が多いのは、権現山周辺から石巻山にかけて。石巻山の屹立峰を仰ぐこの付近は、やはり一等地だったろうと思う。
一帯は柿の畑で、景観も良い。車では駐車場所もない幹線道路から自転車でスイスイ入り、落ちていた柿を一個かじりながら馬越長火塚に到着。最近国の史跡に昇格したとかで、整備もされている。
6世紀。穴にも入れる。広い。一枚岩は、この辺りに特徴的な石灰岩だ、材木のように節があり、石材としてはなかなか扱いやすいかも。
馬越長火塚の西にある小高い丘に浄水施設のタンクがある。あれが権現山。戦国期には城でも作りそうな高台だ。自転車こいでタンクの近くへ行くと、案内があり、権現山古墳に着く。2号墳が古くて3世紀。1号墳がその100年後。2号墳の近くには、大戦時には陸軍が高射砲台を作ったそうで、丸くて大きな穴がある。どこの町の高台にもある。史跡にもならずほったらかしの戦争遺跡だ。水が溜まってプールになっている。
ここで弁当を食べながら「豊橋の史跡と文化財」という本の該当ページを読む。
降って、権現山北のコルから少し西へ降りて見ると、やはり城跡の碑があった。引き返して柿畑を馬越へ戻り、1979年に時習館高校の歴史同好会が調査発表したという宮西古墳を見学。その奥の馬越集落を一回り。古墳のある場所は、こういう山の鼻が平地と出会うところが多い。そういうところには決まって古くからの集落があり、あくせくした都市化とは無縁な佇まいを残していることが多いのだが、豊橋は豊かなのかな、結構イマドキ風になっていた。
山の鼻先を縫って町へ帰る。石巻山の南面の集落に寄り道する。ここも行き止まりの谷だが、石巻山の正面玄関は北側のようだ。こちらは何もなさそう。やはり行き止まりに大きなため池あり。
家まで帰る途上に気になっていた仁連木城の城址に寄る。今は公園になっている。朝倉川を見下ろす段丘の上にある、16世紀通じて今川、徳川の狭間で苦労した田原の戸田氏の出城。武田信玄にも攻められて随分死者も出たようだ。甲斐武田、こんなところまで来ていたんだなあ。徳川支配後、関東引っ越しとともに廃城になった。土塁と堀の跡がわずかにあった。子供が7人、遊んでいた。
ここも、雑木がなければ朝倉川の北に、石巻山脇の本坂峠を越えてくる今川勢の動きが丸見えの要衝だと思う。
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