須川岳
- GPS
- --:--
- 距離
- 9.9km
- 登り
- 661m
- 下り
- 657m
コースタイム
Bは頂上へ)-16:45須川分岐(Bを待つ)17:05-18:20下山
過去天気図(気象庁) | 2007年08月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
コース案内と地図をしっかり読み込んでいれば問題ない。 |
感想
栗駒山にて汚点を残す
8月13日( )
鳥海山を序章とすれば、栗駒山の登山は5人が山上でバラバラになり、誰がどこにいるのか分らなくなって捜し歩くと言う最悪の経過をたどり、汚点を残す終章となった。できれば書かずに済ませたいが、どうしてそのような事態を招いたかと言うことをきちんと分析し、自己批判することは避けて通れないことなので敢えて経過を書く。
12:00出発-14:00山頂14:30-16:30下山の予定でA が先に登山口に行って待っていた。他の4人は準備に手間取り、遅れて駐車場を出たがAのいる位置が分らず、須川温泉の中に向かって行った。Aは大声で4人を呼んだが聞こえなかったので追いかけて合流した。そこで登山口に戻るべきだったが、温泉の中からでも登れないことはないので妥協してそのまま登り始めた。
20分ほど登った所でBが『財布がない』ことに気づき、立ち止まって点検したが見つからなかった。Aは立ち会っていたが『すぐに行きますから先に行って下さい』と言われて先行する3人を追いかけ、薮道から見通しのいい平原に出て木道に指しかかる辺りで写真を撮っていたCに追いついた。この時,D・E(夫婦)は100mほど先の三叉路を右折してさらに100mほど進んだ位置にいた。正面に火山性の荒れた沢が見えていた。
AはBが来るのを待ちながらCと一緒にゆっくり歩いて三叉路を右折し、D,Eを追った。この時Aは、C,Dのいる位置の先に三叉路があってそこを左折し、正面に見えている沢の中を登る道があると錯覚していた。
いつまで待ってもBが来ないのでCに『D,Eさんが行った先に三叉路があるはずなので、合流したら一緒に左折して先に登って下さい。後から追いかけるので、必ず同じ道を下ってきて下さい』と言い残してBを迎えに行くことにした。
来た道をゆっくり戻って、最初に立ち止まった位置まで来たがBの姿が見えないので駐車場に戻ったのではないかと考え、大急ぎで降りて駐車場とテントを探した。2度,3度と行き来して探したが見えないので温泉の事務所で放送をかけて呼び出してもらい、10分ほど待って反応がなかったので山中にいるものと判断して再び山道を追いかけた。すでに出発から1時間以上が経過していた。
あるはずのない三叉路を探して進むうちに登山口に向かって下っていることに気づき、初めて道を錯覚していたことが分って13:45から引き返す。三叉路に戻ったのが14:15。よく見ると標柱に『←山頂』と書いてあった。Bは他の4人とは離れていたが故にこれに気づいているはずだと思った。
この時点でAは自分以外の4人全員が自分より上にいると確信して後を追い、5分後の14:20に大きな案内板のある名残りヶ原の分岐点に到達した。
この先で道は須川分岐を経由して山頂に至る道と、自然研究路を経て山頂に向かう道に分かれるが、予定は須川分岐となっており、また自然研究路は大廻りになるので事実上1本道で迷う所はなく、またA自身が山頂まで登るのは時間的に無理と考え、須川分岐から下りて来るであろう4人を迎えに行くつもりでゆっくり登り始める。
15:15,下山中のCと遭遇し、5分ほど話してD,Eが下山中(の見込み)であることを聞き、その地点で待つことにした。Bの所在については不明のままであったが、Cが下山することにより何らかの情報が得られることに賭けるしかなかった。
駐車場と登山路を行ったり来たりして疲れていたので一旦は待つことにしたが、じっと待っているより少しでも早く安心したいし、安心してもらいたいので、須川分岐までには会えるだろうと予測しながら迎えに登ることにする。
15:45須川分岐に着いたが2人の姿が見えず、稜線上にも人影がなかったので、ひょっとするともう一方の自然研究路コースを下ったかもしれないと言う考えが生じ、また須川分岐まで戻ってから道を間違えた可能性も否定できないと言う最悪のケースまでが想起されて、とりあえず山頂まで急ぐことにする。
16:05山頂着,結果的に登頂となった。登山者1名に聞いてみたが分からない。信じがたいことではあるが、もし自然研究路のコースを降りていたらそれが最善であり、須川分岐まで戻っての道迷いでないことを願う。しかし、悪い方の予想が的中すれば次に打つ手を考えなければならないと思い、自然研究路コースを追うか、須川分岐に戻るかで迷う。
2人を追って自然研究路コースを降りる決断をして5分ほど下ったところでカメラを忘れたことに気づき、山頂に戻って考え直し須川分岐に戻ることにする。
16:27発。同35,Aを追ってきたBに会う。一つ心配の種が消えてホッとし、そのまま登頂してもらって須川分岐で合流する。
最悪の場合を想定して手を打つとすれば須川分岐でAが別のコースを辿り、Bが下山して他の仲間に知らせ、別コースの下山口からも探してもらうことである。
須川別れには3つのコースがある。1つは湯浜コースでこれはまずないとして迷うとすれば天馬尾根コースであるが、もう1つ,秣岳に向かう細い道があった。この道は天馬尾根コースと同一の道だということが後で分かったのだが、地図がなかったのでAはこれは秣岳までの行き止まりの道ではないかと考えた。道が細くて間違いそうには見えなかったが、もし入り込んで迷うととんでもないことになりかねないと言う不安が広がった。
考えあぐねたが、天候がよかったのでここで間違う可能性は低く、山頂から自然研究路ルートで下っている公算が高いと考えて、まずは下って情報を得ることにする。17:05須川分岐発。途中,名残りヶ原分岐で二手に分かれて探しながら18:20下山。D,E両名,無事の下山を知る。 Bと一緒に下山する道すがらBが道を間違えたことを聞き、その地点を確認したが、この場所はAもはじめ沢の方に向かっていると考えた場所で、しばらく観察して周囲をぐるっと見回して左に折り返す道を発見し、ことなきを得た所である。
下を向いたまま歩いているとそのまま入り込んでしまいやすい場所で、事実、無数の踏み跡がかなり高い所まで続いており、それがよけいに道迷いを誘引する要素にもなっていると言える。Aもかつて尾瀬燧ケ岳で同じことをやったことがある。
このような場所にはもっとハッキリした×印を施すべきである旨,後に温泉事務所に伝えた。紅白のポールが1本横たえてあったが、それでは意味不明である。
Bは間違いに気づかずかなり高い所まで迷い込んだが、そこから下を見下ろして山頂に向かう正しい道を発見し、以後は沈着に行動して元に戻ったと言う。
その後一旦下山して、Cから『Aが探しに行っている』と聞いて再びAを追って登ってきたと言うことで、A以上に疲労しているのは明らかだった。
散々探し廻って下山してみると、2人でのんびり風呂に入っていると聞いて少々頭にきた。だが基本的にこれはAのミスであり、翌月の例会で顛末を詳しく報告し、問題点を分析して自己批判した。
最後の登山では表立って事故があった訳ではないが、内部的には事故につながりかねない様々な問題を露呈し、多くの課題をを突きつけられた結果となった。
事故に至るまでには様々な伏線がある。それは小さな『ヒヤリ』『ハッと』として日頃の山行の中のあちこちに顔を出している。結果オーライでなく、それらを一つひとつ掬い上げて検証し、教訓を引き出して次の山行に直ちに反映させなければ、いつか必ず事故は起こる。万全を期したつもりでも事故は起こるが、事故に不可抗力と言えるものは万にひとつもなく、すべて未熟さ,軽率さ故に起こしたものであると考えるべきである。そう言う意味では恥ずかしいかぎりの山行になったが、自分達の山行を改めて検証するいい機会にはなった。
(検証は別途)
13日夜は、イクラ+ウニ丼とイカのポン焼きその他で豪勢な夕食。翌14日は4時起き。5名は早発ちして東北道上のSAで食事を摂りながらまっすぐ帰る。
5時に一関IC前で一行と別れて平泉に向かう。以後は18日まで1人旅。
8月10日から14日までの山旅の費用は1人20570円。
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