俺のシルクロードにえいちゃん(横田英)を訪ねて チャリレコ★横川ー碓氷峠ー軽井沢・小諸・上田・松代
- GPS
- --:--
- 距離
- 75.1km
- 登り
- 1,062m
- 下り
- 1,017m
コースタイム
9:30チャリで横川駅発ー10:45碓氷峠11:05ー11:30旧碓氷峠11:40−11:50軽井沢ー12:10追分宿ー14:00さかきテクノ駅
14:00 しなの鉄道・テクノさかき駅から輪行(さらに小海線・中央本線)
23:00に帰宅(^^;
天候 | 秋晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
帰り:しなの鉄道・テクノさかき駅から輪行(小諸から小海線・小淵沢から中央本線) |
コース状況/ 危険箇所等 |
碓氷峠を越えている道は幾つかあるのですが →いわゆる新道の碓氷バイパスに迷い込まないように クルマが多く道幅が狭いので、接触される危険がある(らしい)※情報交換による →アプトの道は遊歩道なので自転車の乗車はできません。押しならOK 徒歩のハイカーに衝突する恐れがあるため 帰りの輪行に使った小海線 →小淵沢までのダイヤ間隔が1時間30分ほど開く時がある 首都圏の終電に間に合わなくなる恐れがある |
写真
感想
■9:00頃 三回目の信越本線・横川駅
碓氷を越える前に、念願の?駅蕎麦(釜飯で有名なおぎのや)を食そうと思ったのだが、営業時間の9時を過ぎているのに準備が整っていない(苦笑 自転車で付近を散策してから、かけ蕎麦(\350)を頂く。注文してから茹でるので食感がよいのであった。軽井沢から来たバイクの人と情報交換。名物の釜飯(\1000)を食べていました。
新蕎麦をのんびり茹でる終の駅 ほの香
立ち蕎麦やバイクの人は冬支度 ほの香
終(つい)
■11時頃 碓氷峠〜旧碓氷峠
18号の碓氷峠から分けて旧碓氷峠へ行くことに。力餅を出す茶屋が数件あり賑わっています。降ればそのまま旧軽井沢でした。峠も麓(ふもと)も人の賑わいにびっくりしました。そのまま自転車を漕いで横田英の地元・松代(まつしろ)を目指します。
静かさや降りし木の実の碓氷越 ほの香
恐ろしき古道の虫にもてなされ ほの香
赤とんぼ明治の道は辛かろか ほの香
木の実(このみ)・秋、虫=秋・秋に鳴いている虫の総称
■12:00頃 信州探索
小諸から上田は未体験ですが旧街道ではそれなりの旧家が居並ぶという景観です。国道を避ける道筋の”勘”が冴えます。キロ単位の長大なアップダウンが多く割と過酷です。
信州の名は英という鶏頭花 ほの香
英(えい)=富岡製糸場の一等工女。富岡日記の著者、鶏頭花(けいとうか)=秋・鶏の鶏冠に似た真っ赤な花
■13:50頃 時間切れで、しなの鉄道テクノさかき駅から小諸駅に撤退
ここより先に漕げば終電を逸しかねない。えいちゃんの実家が現存する松代を諦める。
■小海線マイスター現る
小諸駅のスーパーで買出し後、小海線に。
15:42の小海止まりに乗っても1時間後の小淵沢行きに乗っても、小淵沢駅の到着は同時刻らしいので結果、1時間待つw
16:22小諸発・小淵沢行。二両編成の気動車。升席の右側(八ヶ岳側)に着席する。
出発間際・しなの鉄道との連絡があり、ぽっちゃり系の素朴な娘が”宜しいでしょうか。と”はす前”に着席します。スマホを取り出すわけでもなくチョコレートを食べながら車窓を見ています。小海線ローカルと思いまして、こちとらビールとわっぱ飯、チャリンコジャージですが、いつもご利用ですか?と話しかけてみると、そのままのローカルで見た目だけでなく性格も素朴・郷土愛・小海線の身近さ等々・・
折も車窓の田は豊作。お爺さんの田植えと収穫を手伝う、って話になりました。
こいつ、早乙女(さおとめ)なんか!!
つか目が綺麗なんですけど!!(爆)
途中で降りるそうなんですが、今は大学への通学でこの線は中学から使っているそうでやたら詳しい。車窓越しに本当に様々な事を教えられます。
小淵沢の大きなカーブは撮影ポイントというので、えっ?終点の”おぶちざわ”(小淵沢)も詳しいんですねえ!!といったら”こぶちざわ”ですよ(笑)と指摘されました。
おいらは今までの数十年間・総理大臣の苗字の影響もあり”おぶちざわ”と誤読しており、しかも飲んでいるので”おぶちざわ”が止まらない。その都度”こぶちざわ”ですよと指摘が(笑)。五回目の指導でようやく気がつく。
この娘はナガノ人の癖に何故に国境を越えた異国の山梨県”おぶちざわ”(小淵沢)の読みを正そうとするのだろうか
・・げげげっ、これは郷土愛ではない。
つまり”小諸ー小淵沢”という、小海線と一心同体の”郷鉄愛”!!
郷鉄愛 or メガネ or 早乙女とかどんだけなんだよ・・ 萌え死ぬ!!(爆)
メガネは判るけど(爆)、農業に萌えるとか変ですね。といわれましたので
いやぁそれがいいんですよ〜 早乙女さん萌えです!!
と申しましたら珍しいといわれました。
小諸から一時間、至福の萌え時間を過ごし、お互いの人生の祝福をいたしまして、それぞれの道に別れていきます。
おぶちざわ否こぶちざわでしょつくつくし ほの香
小海線を愛す唇秋夕焼 ほの香
見つめればメガネに写る豊の秋 ほの香
否(いな)、つくつくし(法師蝉、つくつく法師)=秋、秋夕焼(あきゆうやけ、あきゆやけ)=秋・ここでは”あきゆやけ”と読んでください、豊の秋(とよのあき)=豊年・豊作・出来秋 秋・五穀がよく実った年
■19:00頃 中央本線・小渕沢駅(こぶちざわえき)
小海線では途中日没となり、早乙女さんのお勧めの八ヶ岳は見えずじまいだったのですが、中央本線に乗り換えての”塩山ー山梨ぶどう園”の夜景はとても綺麗であります。
日頃は、盆地ガー盆地ガーと申していたのですが、遅い時間の各停から見る盆地の外郭から見た夜景。秋の冷気と呼応して荒井由美の詩と被るようで御座いました。
秋冷や離合の駅には高嶺星 ほの香
秋冷(しゅうれい)・秋、離合駅=主に単線のすれ違いに使う駅、高嶺星=山の裾野に掛かる星
■小海線マイスターから一言
おいら:今日はこの汽車に乗ることも目的の一つなんだけど、やっぱ小海線は小諸のアトラクションなんですか?
マイスター:小海線は移動の手段です(きっぱり)
おいら:ひぇぇぇ。すいませんです。すいませんです。すいませんでしたー(
・・小海線は移動の手段
観光客相手に容赦ない客観論。
”小海線は移動手段” これぞ小海線マイスター
そして”移動の手段”という客観・七音には、一冊の本が書けるくらいの主観・含蓄が働いていること、アトラクションの意味をお互いが理解していること。
・・解る。今日を境に脳が壊れた(笑)
データ
1859年(安政6年)横浜港開港
北長野の繭は牛馬で碓氷峠を越え高崎ー利根川の高瀬舟へ
1872年(明治5年)富岡製糸場操業
開港13年後、生糸の流れに富岡製紙場経由が加わった
1884年(明治17年)高崎線(東京ー高崎)全通
繭は利根川水運から鉄道輸送へと転換
1886年(明治19年)国道18号線碓氷線整備
碓氷峠に馬車鉄道現れる
1897年(明治20年)上信線(高崎ー下仁田)全通
長野県北部ー富岡製糸場が高崎経由の鉄道で結ばれる
1893年(明治26年)信越本線(高崎ー直江津)全通
横浜開港の34年後、三重連の蒸気汽関車をもって遂に碓氷峠を越えた(アプト式を採用)。北長野の繭が労せず横浜へ
1912年(明治45年)信越本線・横川ー軽井沢間を日本初の電化
煤煙の激しさから日本最初の電化へ。但し電化にも係らず横川ー軽井沢間は傾斜がきつく、貨物車は、三重連・電気機関車の装備となった(客車は二重連)
1963年(昭和38年)信越本線の横川ー軽井沢間の経路を変更。信越本線・新線開通
戦後も生糸の輸出は膨大だ。さらに軽井沢や新潟への貨客(スキー客など)を対応した。
1971年(昭和46年)国道18号線の碓氷バイパス開通
1997年(平成2年)北陸新幹線の開通に伴い、信越本線・新線、横川ー軽井沢間廃止
時代の流れか。客車だけでなく生糸流通の根幹である貨物物流も廃止された
1993年(平成5年)上信越自動車道開通
トラック輸送全盛
関連する記録
俺のシルクロードは共にあった★ 利根川水運・中山道ルート 横川(碓氷峠)ー軽井沢ー富岡製糸場ー高崎 2017年07月23日(日)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1205491.html
俺のシルクロードが川を使っていたなんて ★チャリで横浜港ー隅田永代橋ー旧江戸川ー江戸川ー利根川ー上州富岡 2017年04月02日(日)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1096892.html
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