上高地地質巡検

やっさん
その他20人 - GPS
- 21:20
- 距離
- 13.6km
- 登り
- 80m
- 下り
- 63m
コースタイム
| 天候 | 晴れ時々小雨 |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2011年08月の天気図 |
| アクセス |
写真
感想
‖臉誼咾半導戞β臉誼咾和臉技庸(1915)の焼岳山腹の水蒸気爆発による土石流のせき止めでできたせきとめ湖。焼岳や上流からの土砂流入で浅くなっているが観光資源としての有用性を維持するために冬の間にしゅんせつして池を維持している。
田代池と流山地形・田代池付近に小さな丘上の地形(マウンド)があるが、これは焼岳・割谷山方面からの滝谷花崗岩であるので、北側の山体崩壊による流山と思われる。
ウェストン碑と滝谷加工花崗閃緑岩(Gdt,140万年前)、140万年前に上昇して地下3000mで溶結凝灰岩を底付けして固まったものが現在は標高1500〜2500mに隆起している。深成岩が地表に達する隆起速度としては世界一の地域であることがわかる。
げ脇原兇里覆れ山(山体崩壊)による流路変更・河童橋からの岳沢は氷河による侵食地形がよくわかる。河童橋付近にみられる流山地形は西の善六沢からの扇状地と関連して一万年以降の山体崩壊によるものであり、梓川の流路を東側に押しつけたと考えられる。
V字谷斜面の露頭観察・上高地の平地はV字谷にできたせき止めに土砂が300m堆積したものであるが、このポイントでは当初の谷底から300m上のV字谷斜面をみることができる(写真〆犬侶梗)。
Ρ清水橋の溶結凝灰岩(Wm,176万年前)の露頭・凝灰岩の中に含まれる微小な長石の配列が圧縮方向を示す様子もみられる。礫を含む角礫凝灰岩は火山灰だけでなく周囲の岩屑を取り込んだものである。
Р芝鯊瑤ら望むカルデラ壁(黒雲母花崗岩・Go.6000万年)とカルデラ内溶結凝灰岩(Wm)の境界・溶結凝灰岩の区域を過ぎて北上すると白沢付近で岩石の色が急に白くなるが、この黒雲母花崗岩は唐沢岳から常念岳に至る6000万年前のものである。北に目を転じると明神岳絞と己の険しい溶結凝灰岩の岩峰と丸い花崗岩質の長七の頭の間の鞍部(ひょうたん池)が二つの地層の境界である(写真△虜犬鰐誠棲戞ΡΔ長七ノ頭)。黒雲母花崗岩でできたカルデラ壁の中に176万年前の噴火によって溶結凝灰岩が堆積したと考えられる。
明神池のせき止め・明神池は穂高神社奥宮で300円払って入る。池自体は大きいものではないが落ち口を観察すると明神岳からの土石によるせき止め湖のようである。
明神橋の河原の石を種類ごとに集めて分類した。1つずつ個別に観察するのではなく類似の岩石ごとに区分した後にそれぞれのグループの共通点を調べるという手順。写真は下にWm、左Md、右上Go、右By、左上の結晶片岩類は古生代の変成岩であり、梓川上流では槍ヶ岳の南に露出する。
黒雲母花崗岩の基盤であるジュラ紀泥岩(Sam,1.5億年)の露頭観察・上高地の東側には基盤となるジュラ紀の堆積岩を見ることができる。これは太平洋プレートに運ばれてきた付加体である。さらに近辺の古い地層は槍岳山荘付近の古生代結晶片岩、福地のデボン紀層などがある。
新村橋の先で梓川の河畔林と網状河川・梓川の河床は広く、流れは頻繁に流路を変更するために網状を示す(写真)。水流以外の場所には河畔林が成立してケショウヤナギからシラビソ・コメツガへの遷移を見るが2004年から2009年の調査によると流路変更によって河畔林の60%は水没したが流路変更による乾燥地に同面積の河畔林が成立していたとの報告が松本市安曇資料館に展示してあった。
清水橋から清水川流域・清水橋での流量は毎秒1トンであるがこの水は橋の上流250mからの湧水であり、帝国ホテルなどの取水口が設置されている。この安定的な水量の起源は謎であり、東側からの地下水だけではなく西の梓川本流からの水脈が推定されるとのことであった。
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