比叡山延暦寺釈迦堂内陣特別拝観秘仏ご開帳(坂本から)【戊21.0】
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- GPS
- 05:27
- 距離
- 11.2km
- 登り
- 898m
- 下り
- 186m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
復路:叡山ロープウェイ |
コース状況/ 危険箇所等 |
坂本の日吉大社から上っていく道は、昔はメインルートだったのだろうが、山上まで車道が通っている今となっては荒れる一方。かつて石段か何かが敷かれていたであろう箇所は原形をとどめず、その脇に踏み跡道ができている。 |
写真
感想
【経緯&計画】
今年は比叡山延暦寺釈迦堂の秘仏ご開帳ということで機会をうかがっていたが、10月の長雨が去り、山も色づいてきた頃合につき、グスタフ氏とともに詣でることとした。
【山行概要】
東京を出て暫くは青空。鈴鹿山系、比良山系に近づくにつれ雲が増えたかなと思うほどに坂本に降り立つ。
麓の紅葉もまずまずで、日吉大社脇の石段から入山。整備された段の道は、やがて風雨により滅茶苦茶になった窪地道へと変わる。上まで車道が通じたからとは言え、比叡山にしてもこの状況。地方の山上にある中小寺社仏閣への道も推して知るべし。
ただ、そんな道も長くは続かず、1時間程度で宿坊・延暦寺会館に至る。その先が根本中堂、阿弥陀堂のある東塔地区で、今回のメインである西塔地区までは東海自然歩道をもう一歩き。
意外だったのは外国人の割合。以前、奈良に行った時に「中国人ばっかりや〜」という声を聞いたり、高野山で多くの西洋人を見たりしたことから覚悟していたのだが、あまり見ない。比叡山は清水寺や伏見稲荷ほどには知られていないのか。
と言うより、東京の混雑を見慣れているからかもしれないが、全体的にもそれほど混んでいない。いや、大いなる比叡の山が人を呑みこんでしまって混雑を感じさせないのかも知れない。(ただし、食事処は来訪者数に対して明らかにキャパが不足していた。)
釈迦如来を拝観し、阿弥陀堂を経て、大比叡山頂へ。大木がバッタンバッタン倒れている道を急坂を巻きながら暫く行くと目立たない山頂に到達する。
下りはグスタフ氏の足回りに配慮してロープウェイ・ケーブルカーで下ることとした。
【総括】
今回はグスタフ氏とは鍋割山に鍋焼きうどんを食べに行って以来3年半ぶりの共同山行である。足回りがそれほど強くない彼とは主としてC級山行(累積標高差1500m未満)を共にしていたところだが、ブランクも長いので大事をとって山行はロープウェイの比叡山頂駅まで。おかげで無事歩ききることができた。
【コラム】
最近は共同山行におけるトラブルなどが問題となっているようだが、それは単独よりも集団の方が安心という安易な考えに基づく催行・参加も一因であるように思う。「安全→安心」ではあっても「安心→安全」では必ずしもない。「自分一人だと心配だけど皆で渡れば怖くない」と同行者を募った人が、集団になっただけで能力が向上するわけではないのは自明なことだ。また、集団山行を主宰する人の多くは山行能力的には練達していると思われるが、やはり上記のような人が応募してくる可能性を考慮しないといけない。或いは、山行ルートの難易度や自己の能力を把握せずに参加する者もいるだろう。
そう考えると主宰者の責任は非常に重い。参加者が計画で示された難易度と自らの能力を照らし合わせて参加の是非を判断すべきは当然だが、主宰者もまた参加者の多様性を前提とした計画を立て、自分が対応できるのは何人までか慎重に見極めて募集をすべきだろう。
たまに10人以上の大集団を見ることがあるが、ああいうのは最低3,4人先達を付けて、皆で完踏しましょうではなく、落伍者はまとめて分離してエスケープさせるようにしないといけない。或いは、ポイントをいくつか設定し、各ポイントでの状況に応じて予定を変更することを事前に周知し、実際においても臨機応変に変更すべき。
その際、共同山行というのは主宰者自身に対象目的地に行きたい気持ちがある場合も往々にしてあるので、主宰者としては参加者の状況に応じて我執を抑えることも必要になってくる。
我執と言えば、能力的に問題無い人が集まったとしても、統制が効いていなければ集団にして集団にあらず。「私はまだ歩けるのに…」、「ペースが遅いな…」と思ってしまう人は、そもそも性が共同山行に合っていないと知るべし。
「マイペース」と「ひとりよがり」は似て非なるものである。すなわち、「マイペース」な人は、自分が他者とペースが異なることを自覚するが故に、他者に合わせることができる。「私マイペースだから」は「ひとりよがり」の自己正当化に過ぎない。
共同山行の趣旨は、山のあれこれについて感動を分かち合いたいということではないのか。多様な人が集まれば、花や木や食等々、人により関心の所在も様々。その一人一人と目線を同じくし、関心の所在を相認め合うならば、足並みも自然と揃ってくる。
そんなことはできないけれども仲間を見つけたい、誰かと話をしたいという人は、共同山行に参加するのではなく、単独山行をして、そこで出会った人と「こんにちは」以外の会話をするようにすれば良いだろう。
とかく共同山行は難しいものなのである。
〜自分も昔は共同山行中に時間ばかり気にしていたことを反省しつつ、おしまい〜
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