記録ID: 150573
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無雪期ピークハント/縦走
白山
白山(石徹白―三ノ峰―別山―白山―加賀禅定道―白山温泉)
2001年08月19日(日) ~
2001年08月20日(月)

- GPS
- 32:00
- 距離
- 37.8km
- 登り
- 3,144m
- 下り
- 3,061m
コースタイム
8/19
石徹白7:30―9:30石徹白大杉入口9:40―11:10神鳩宮11:30―12:15銚子峰13:00―14:20二ノ峰―15:25三の峰避難小屋(泊)
8/20
三ノ峰避難小屋5:15――6:30別山6:55――8:40南竜ヶ馬場8:50―10:10室堂10:40――11:10御前峰11:35――11:55剣が峰12:10―12:40大汝峰13:00――13:35室堂14:00--15:40別当出合分岐―(加賀禅定道)―18:10白山温泉永井旅館(泊)
石徹白7:30―9:30石徹白大杉入口9:40―11:10神鳩宮11:30―12:15銚子峰13:00―14:20二ノ峰―15:25三の峰避難小屋(泊)
8/20
三ノ峰避難小屋5:15――6:30別山6:55――8:40南竜ヶ馬場8:50―10:10室堂10:40――11:10御前峰11:35――11:55剣が峰12:10―12:40大汝峰13:00――13:35室堂14:00--15:40別当出合分岐―(加賀禅定道)―18:10白山温泉永井旅館(泊)
| 天候 | 晴れ。 |
|---|---|
| アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
復路は白山温泉からバスで北陸鉄道石川線鶴来駅まで出て、金沢から北陸線・ほくほく線、上越新幹線経由で帰京した。 |
| コース状況/ 危険箇所等 |
石徹白集落からは車道、林道歩きが10劼曚匹眤海、ようやく登山口に到着。石徹白の大杉は、落雷でなくなっていた。 三ノ峰の避難小屋には頼れる水場がなく、翌日も別山を越えて室堂近くまで行かねばならないので、このときは大きな水タンクを持参し、途中神鳩宮の水場で5リットルもの水を汲んで登った。そこまでの量は必要なかったかもしれないが、十分水を飲みたければ仕方がないだろう。 三ノ峰の避難小屋はしっかりした小屋だが、この日の泊り客は我々二名だけだった。 石徹白からの道は長いが、一日目、二日目とも問題になるような個所はなかった。 むしろきつかったのは加賀禅定道の下りの後半で、多少ヤブがでたり、細かい上下があったりで、下るのに結構疲れた。 |
写真
感想
白山に、南側の石徹白道から登った時の記録です。山中では1泊2日でしたが、前泊・後泊をいれれば四日間の山旅でした。
計画では、小桜平の避難小屋にもう一泊して中宮温泉方面へ降りる予定でしたが、台風が接近しているようだったので計画を変更して加賀禅定道を降りました。この道が意外にきつく、白山温泉に下りついたときはかなり疲れていました。
石徹白は九頭竜川の上流、一番奥まったところにある集落で、東京から行くと新幹線、在来線、長良川鉄道、そしてバスを乗り継いで一日かかりました。冬場はスキー場などあるようですが、夏は本当に静かな山里で、朝6時のお寺の鐘で目が覚めるような場所で、心が休まりました。かなり前の話ですが、民宿に泊まると一泊二食で6500円で、食事もおいしかったのを覚えています。
もう一つ覚えているのは、石徹白の民宿「おしたに」だったと思いますが、今の皇太子殿下が白山登山の際に詠まれた歌が残っていたことで、確か「百年(ももとせ)の昔帝(みかど)の見ましけむ 白山(しらやま)にしてわれ登りゆく」という御歌だったと思います。決してうまい歌とは思いませんが、明治天皇の北陸巡幸(1878年)に思いをはせているあたりは、皇太子ならではの歌といえるでしょう。皇太子が白山に登られたのは1980年のことだそうで、皇太子20歳の時のことになりますが、こちらの石徹白側から登られたのでしょうか。
帰りは鶴来で加賀国一ノ宮の白山比弯声劼忙嫁劼掘金沢に立ち寄って金沢城や東茶屋街を見てからほくほく線経由で帰京しました。
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