猛暑日は図書館に行こう ★多摩丘陵から八王子中央図書館へ
- GPS
- --:--
- 距離
- 20.8km
- 登り
- 199m
- 下り
- 200m
コースタイム
6:45相原駅ー相原トンネル見学ー7:05八王子みなみ野駅ー北野住宅地ー7:40絹ケ丘住宅地ー8:00野猿峠ー9:30八王子中央図書館12:30ー13:00西八王子駅
帰り:JR東・中央本線西八王子駅から輪行
天候 | 残暑 35℃超え |
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過去天気図(気象庁) | 2018年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
自転車
帰り:JR東・中央本線西八王子駅から輪行 全線自転車を使用 |
写真
装備
個人装備 |
ロードレーサー+SPD(歩ける自転車靴)
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感想
八王子の図書館へ行く計画
敢えて手前の相原駅で降り多摩丘陵の峠を越えて八王子入りする。本当は遣水峠を越えるはずが相原トンネルを見学しそのまま進んだところ”主だった傾斜もなく”八王子に抜けてしまった。。これには唖然
多摩丘陵は南高尾山稜に続く山並みで、神奈川から八王子に抜けるには、浜街道の御殿峠、シルクの遣水峠、はたまた町田街道の恋路坂越え、七国峠越え、、
あの労苦は一体どこへ??という程の容易な八王子入りで御座いました
■横浜線の始まりは生糸輸送=貨物線なり
安政6年(1859)の横浜開港以来、生糸輸出は年々増加していたが、輸送には鉄道貨物が待ち望まれていた。
1)甲州道中ルート:牛馬・人力、集積地は岡谷・八王子・長津田
※中央本線(M39)・横浜線(M41)
2)中山道ルート:牛馬・人力・高瀬舟、集積地は倉賀野・関宿などであった
※高崎線(M17)・信越本線(M26) M44横軽間(碓氷峠区間)日本初の電化
■八王子は横浜へ続く生糸の集積地
暑い日は図書館に限りますねぇ(^^;
さて、ここで疑問なのですが、何故に八王子が海外輸出の拠点=横浜だったのか??
■八王子は国内向けの絹織物の街
しかも国内需要の織物にも歴史があり、しかも未だ幅を利かせているアパレルの街なのだ(^^
■八王子は盆地。そこに乗り込む名の峠
図書館で八王子が空襲にあい市街地が焼かれた事を知ったが、その子ども向けの本の書名が”盆地を焼いた焼夷弾(ぼんちをやいたしょういだん)”的なタイトルだった。
八王子は盆地。。
これは衝撃的。確かに多摩川沿いの東京への道は平坦だが、三方を山に囲まれ横浜方面は山岳路だ。
甲州道中が通しているだけあって峠たちも名の峠である。
なお遣水峠(絹の道)は、横浜開港ー横浜線開通までの”わずか50年間のみ”栄えたシルクロードである。
横浜への峠越えは鑓水よりも御殿峠が楽だったが、遣水が生糸商人の拠点であったため生糸は遣水に立ち寄ったのである
実に八王子は低いながらも多くの山に囲まれた、プチ盆地であった
横浜線に最後まで残った単線区間が”相原ー八王子間”でこれも多摩丘陵が障害となったが、昭和63年に新トンネルが掘られ横浜線は全線複線化した。
相原トンネル 367m M41供用 現上り線(横浜行き)トンネル
新相原トンネル 985m S63供用 現下り線(八王子行き)トンネル
■八王子シルクと多摩織
海外輸出だけでないのが八王子のいいところ。実は横浜開港以来、多くの生糸が外国に流れるのを恐れ、幕府は一時的に”生糸は江戸を経由するように”との一時的な令を出す。
元々、八王子は呉服を製造していたので江戸と横浜の面倒を見れる街道の分岐点だったのだ。また八王子工業高校なるアパレル高校、八王子織物染色講習所・八王子桑志高等学校の開校。戦後は呉服だけでなくネクタイなどの軽織物に栄えた、まさに桑都八王子なのである。
喩えれば鍋焼く火なる残暑かな ほの香
秋暑く浜街道に影もなし ほの香
八王子は盆地じやないかつくつくし ほの香
八月の図書館という匂いかな ほの香
マリア様は白朝顔の弦しめて ほの香
秋袷粋な人行く八王子 ほの香
猛暑日のそよりともせず秋初め ほの香
横浜の広き国道震災忌 ほの香
横浜の命五万余震災忌 ほの香
震災忌地域資料に皺あまた ほの香
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