< 車でのアクセスは北陸道 >
〜の富山西ICで降りて下さい。遠方から来られる場合は、北陸道を利用することになります。最寄りのICは、富山IC、富山西IC、小杉ICの3ヶ所ですが、お勧めは、富山西ICです。ICから県道41→31号線と進みます。婦中町の長沢(西)交差点で国道472号線に入ります。幾つかの交差点で曲がる必要がありますが、この国道をたどれば、坂の街「八尾」に到着します。
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< 車でのアクセスは北陸道 >
〜の富山西ICで降りて下さい。遠方から来られる場合は、北陸道を利用することになります。最寄りのICは、富山IC、富山西IC、小杉ICの3ヶ所ですが、お勧めは、富山西ICです。ICから県道41→31号線と進みます。婦中町の長沢(西)交差点で国道472号線に入ります。幾つかの交差点で曲がる必要がありますが、この国道をたどれば、坂の街「八尾」に到着します。
< 八尾町の旧町+八尾町福島のマップ >
「坂の街」を構成している旧町(10町)を南西側から北東方向に挙げると〜 東新町(ひがししんまち)、西新町(にししんまち)、上新町(かみしんまち)、諏訪町(すわまち)、鏡町(かがみまち)、東町(ひがしまち)、西町(にしまち)、今町(いままち)、下新町(したしんまち)、天満町(てんまんちょう)〜となります。坂の街と井田川を挟んだ平野部が、風の盆の第11目の町となる「福島(ふくじま)」となります。
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< 八尾町の旧町+八尾町福島のマップ >
「坂の街」を構成している旧町(10町)を南西側から北東方向に挙げると〜 東新町(ひがししんまち)、西新町(にししんまち)、上新町(かみしんまち)、諏訪町(すわまち)、鏡町(かがみまち)、東町(ひがしまち)、西町(にしまち)、今町(いままち)、下新町(したしんまち)、天満町(てんまんちょう)〜となります。坂の街と井田川を挟んだ平野部が、風の盆の第11目の町となる「福島(ふくじま)」となります。
< 「坂の街」の旧町の拡大図 >
旧町の10町(富山市八尾町の小字の町名)で「坂の街」が構成されています。「福島」を加えた11町で『おわら風の盆』が執り行われています。
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< 「坂の街」の旧町の拡大図 >
旧町の10町(富山市八尾町の小字の町名)で「坂の街」が構成されています。「福島」を加えた11町で『おわら風の盆』が執り行われています。
< 富山西IC→国道472号線へ >
高山本線をまたぐ高架橋を通る過ぎた所の交差点小倉で右折すると、国道472号線が道なりに八尾まで導いてくれます(「坂のまち大橋」の近くに出ます)。しかし、私は高架橋で右折し、迂回路である県道344号線を進みました。今回(2018年8月30日)は、今年2度目の八尾訪問になります。
2018年08月30日 06:09撮影
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8/30 6:09
< 富山西IC→国道472号線へ >
高山本線をまたぐ高架橋を通る過ぎた所の交差点小倉で右折すると、国道472号線が道なりに八尾まで導いてくれます(「坂のまち大橋」の近くに出ます)。しかし、私は高架橋で右折し、迂回路である県道344号線を進みました。今回(2018年8月30日)は、今年2度目の八尾訪問になります。
< 県道344号線を南下 >
〜中です。このまま道なりに進むと「八尾大橋」に出ます。ドライレコーダーの記録ですが、八尾福島(越中八尾駅の少し北側の地点)から南を眺望した画像です。これから登山する八尾の「城ヶ山」は、かすかに見えています。
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8/30 6:13
< 県道344号線を南下 >
〜中です。このまま道なりに進むと「八尾大橋」に出ます。ドライレコーダーの記録ですが、八尾福島(越中八尾駅の少し北側の地点)から南を眺望した画像です。これから登山する八尾の「城ヶ山」は、かすかに見えています。
< 「町民ひろば」に到着 >
風の盆の期間、「町民ひろば」は一般客の駐車場(普通車1,000円)になります。今回はまだ早朝なので、料金の徴収はしていませんでした。
2018年08月30日 06:16撮影
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8/30 6:16
< 「町民ひろば」に到着 >
風の盆の期間、「町民ひろば」は一般客の駐車場(普通車1,000円)になります。今回はまだ早朝なので、料金の徴収はしていませんでした。
< 町民ひろば >
この広場の隣には「八尾B&G海洋センター」があります。もう一つ隣には「八尾総合福祉センター」もあります。
2018年08月30日 06:20撮影
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8/30 6:20
< 町民ひろば >
この広場の隣には「八尾B&G海洋センター」があります。もう一つ隣には「八尾総合福祉センター」もあります。
< 城ヶ山(じょうがやま) >
広場にある高台から南方向を眺めました。坂の街八尾のすぐ後方にある「城ヶ山(標高202m)」が見えます。同名の山が多いでしょうから、「八尾城ヶ山」とお呼びしては如何でしょうか? また、龍がとぐろを巻く〜という意味を持つ「龍蟠山(りゅうばんざん)」という別名があります。この写真で見ると、何となく、山容が〜龍の長い鼻と頭〜に見えませんか?
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8/30 6:21
< 城ヶ山(じょうがやま) >
広場にある高台から南方向を眺めました。坂の街八尾のすぐ後方にある「城ヶ山(標高202m)」が見えます。同名の山が多いでしょうから、「八尾城ヶ山」とお呼びしては如何でしょうか? また、龍がとぐろを巻く〜という意味を持つ「龍蟠山(りゅうばんざん)」という別名があります。この写真で見ると、何となく、山容が〜龍の長い鼻と頭〜に見えませんか?
< 別荘山(べつそうやま) >
南東方向を眺めました。聞名寺(もんみょうじ)の裏手に別荘川が流れ、さらに後方には、「別荘山(標高194m)」が聳えています。
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8/30 6:21
< 別荘山(べつそうやま) >
南東方向を眺めました。聞名寺(もんみょうじ)の裏手に別荘川が流れ、さらに後方には、「別荘山(標高194m)」が聳えています。
< 井田川河岸からのパノラマ >
南(上流側)は、東新町+西新町〜北(下流側)は、天満町〜まで約2kmほどの坂道に旧町の10町は並んでいます。さらに北側に位置する八尾町福島の「越中八尾駅」までを『おわら風の盆に街』〜とすると、長さ3kmにおよぶ細長い坂の街〜になります。
2018年08月30日 06:31撮影
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8/30 6:31
< 井田川河岸からのパノラマ >
南(上流側)は、東新町+西新町〜北(下流側)は、天満町〜まで約2kmほどの坂道に旧町の10町は並んでいます。さらに北側に位置する八尾町福島の「越中八尾駅」までを『おわら風の盆に街』〜とすると、長さ3kmにおよぶ細長い坂の街〜になります。
< 城ヶ山を目指します >
禅寺橋(ぜんでらばし)の袂を通り過ぎ、八尾大橋(やつおおおはし)を渡ります。
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8/30 6:31
< 城ヶ山を目指します >
禅寺橋(ぜんでらばし)の袂を通り過ぎ、八尾大橋(やつおおおはし)を渡ります。
< 禅寺橋 >
橋の欄干には、おわら踊りがデザインされています。踊りには3種類あります。「豊年踊り(旧踊り)」、「男踊り(かかし踊り)」、「女踊り(四季の踊り)」〜です。
2018年08月30日 06:32撮影
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8/30 6:32
< 禅寺橋 >
橋の欄干には、おわら踊りがデザインされています。踊りには3種類あります。「豊年踊り(旧踊り)」、「男踊り(かかし踊り)」、「女踊り(四季の踊り)」〜です。
< 八尾大橋を渡ります >
この後、鏡町(八尾町鏡町)の長い坂道を上り、上新町−諏訪町と進みます。そして、城ヶ山公園入口から城ヶ山に登ります。
2018年08月30日 06:35撮影
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8/30 6:35
< 八尾大橋を渡ります >
この後、鏡町(八尾町鏡町)の長い坂道を上り、上新町−諏訪町と進みます。そして、城ヶ山公園入口から城ヶ山に登ります。
< 禅寺橋を振り返りました >
左手(井田川の左岸)が、町民広場のある福島(八尾町福島)/右手(井田川の右岸)は、西町(八尾町西町)〜になります。
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8/30 6:36
< 禅寺橋を振り返りました >
左手(井田川の左岸)が、町民広場のある福島(八尾町福島)/右手(井田川の右岸)は、西町(八尾町西町)〜になります。
< 八尾大橋を渡り >
〜鏡町の長い坂道を上ります。
2018年08月30日 06:39撮影
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8/30 6:39
< 八尾大橋を渡り >
〜鏡町の長い坂道を上ります。
< ごうどうの坂 >
上新町口(鏡町の南端)から「ごうどうの坂(合同道)」を登り、上新町−諏訪町へと進みます。
2018年08月30日 06:42撮影
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< ごうどうの坂 >
上新町口(鏡町の南端)から「ごうどうの坂(合同道)」を登り、上新町−諏訪町へと進みます。
< 合同道(ごうどうみち) >
大正天皇が皇太子であられた頃に、行啓された折り、新設された道のようです。
2018年08月30日 06:45撮影
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8/30 6:45
< 合同道(ごうどうみち) >
大正天皇が皇太子であられた頃に、行啓された折り、新設された道のようです。
< 上新町通りを横切り >
〜諏訪町に上がります。
2018年08月30日 06:46撮影
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8/30 6:46
< 上新町通りを横切り >
〜諏訪町に上がります。
< 諏訪町通りを横切り >
〜城ヶ山公園に入ります。この諏訪町通りは『日本の道百選』に選ばれています。
2018年08月30日 06:47撮影
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< 諏訪町通りを横切り >
〜城ヶ山公園に入ります。この諏訪町通りは『日本の道百選』に選ばれています。
< 城ヶ山公園入口 >
少し東側に、諏訪神社があります。南北朝時代のことです、城ヶ山に築城した『諏訪左近』に由来していますが、ここに諏訪町が町建てされたのは、築城の300年ほどのちのことになります。
2018年08月30日 06:48撮影
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< 城ヶ山公園入口 >
少し東側に、諏訪神社があります。南北朝時代のことです、城ヶ山に築城した『諏訪左近』に由来していますが、ここに諏訪町が町建てされたのは、築城の300年ほどのちのことになります。
< 乃木大将登り道跡 >
大将の乃木希典(のぎ まれすけ)が、明治の終わり頃、来八尾されています。2番城ヶ山に「乃木堂」が建立されています。
2018年08月30日 06:49撮影
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8/30 6:49
< 乃木大将登り道跡 >
大将の乃木希典(のぎ まれすけ)が、明治の終わり頃、来八尾されています。2番城ヶ山に「乃木堂」が建立されています。
< 3番山へ >
城ヶ山(公園)は、1番、2番、3番〜山と駒利山と4つの山に分けられています。まず、一番北側に位置して標高の低い「3番山」から巡ります。
2018年08月30日 06:52撮影
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8/30 6:52
< 3番山へ >
城ヶ山(公園)は、1番、2番、3番〜山と駒利山と4つの山に分けられています。まず、一番北側に位置して標高の低い「3番山」から巡ります。
< 公園広場 >
「3番山」が、公園広場(花見広場)になっています。この広場の北側にが、神社と上の山休憩所があります。
2018年08月30日 06:59撮影
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8/30 6:59
< 公園広場 >
「3番山」が、公園広場(花見広場)になっています。この広場の北側にが、神社と上の山休憩所があります。
< 婦南鎮霊神社 >
日清戦争と日露戦争の忠魂碑があった場所だったという。
2018年08月30日 07:01撮影
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8/30 7:01
< 婦南鎮霊神社 >
日清戦争と日露戦争の忠魂碑があった場所だったという。
< 上の山休憩所 >
〜に上がりました。
2018年08月30日 07:03撮影
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8/30 7:03
< 上の山休憩所 >
〜に上がりました。
< 休憩所から北東方向 >
〜を眺めました。木々の間から、聞名寺(もんみょうじ)が覗けました。また、かすかにお隣の別荘山(べつそうやま)も見えています。
2018年08月30日 07:03撮影
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8/30 7:03
< 休憩所から北東方向 >
〜を眺めました。木々の間から、聞名寺(もんみょうじ)が覗けました。また、かすかにお隣の別荘山(べつそうやま)も見えています。
< 休憩所の下 >
〜には、東町に下る道(乃木坂)があります。さて、公園広場に戻ります。
2018年08月30日 07:05撮影
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8/30 7:05
< 休憩所の下 >
〜には、東町に下る道(乃木坂)があります。さて、公園広場に戻ります。
< 公園広場(3番山)から >
〜隣の「池の広場」へ移動します。公園口からの石段が繋がっている所を通り過ぎます。
2018年08月30日 07:08撮影
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8/30 7:08
< 公園広場(3番山)から >
〜隣の「池の広場」へ移動します。公園口からの石段が繋がっている所を通り過ぎます。
< 城ヶ山公園の由緒 >
城ヶ山の古名が「龍蟠山(りゅうばんざん)」です。龍がとぐろを巻いてこの山に巣くうっていた〜というイメージは、山城としては最強です?
2018年08月30日 07:09撮影
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8/30 7:09
< 城ヶ山公園の由緒 >
城ヶ山の古名が「龍蟠山(りゅうばんざん)」です。龍がとぐろを巻いてこの山に巣くうっていた〜というイメージは、山城としては最強です?
< 蓬莱塚 >
「池の広場」の亀甲池の中にある小島の一つです。ビーナスとキューピットは配置されていて、なんとなく〜オクシデンタルです。
2018年08月30日 07:10撮影
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8/30 7:10
< 蓬莱塚 >
「池の広場」の亀甲池の中にある小島の一つです。ビーナスとキューピットは配置されていて、なんとなく〜オクシデンタルです。
< 亀甲池 >
丸い小さな池が珠繋ぎのように連なっています。それぞれの池には亀の甲を思わせるような中島が造られています。
2018年08月30日 07:11撮影
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8/30 7:11
< 亀甲池 >
丸い小さな池が珠繋ぎのように連なっています。それぞれの池には亀の甲を思わせるような中島が造られています。
< 公園マップ >
〜に今回の山行ルートをトレースしてみました。
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8/30 7:13
< 公園マップ >
〜に今回の山行ルートをトレースしてみました。
< 駒利山の広場へ >
「駒利」とは軍馬を扱ったことを意味しているのでしょか〜江戸時代末期には富山藩主が、ここで軍事訓練を行ったらしいので、その時にここで馬を利用したのかも?
2018年08月30日 07:14撮影
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8/30 7:14
< 駒利山の広場へ >
「駒利」とは軍馬を扱ったことを意味しているのでしょか〜江戸時代末期には富山藩主が、ここで軍事訓練を行ったらしいので、その時にここで馬を利用したのかも?
< 駒利山休憩所 >
〜の前には、馬の銅像が、お言葉(掲示物あり)に甘えて、乗馬させて戴きました。作り物の馬に乗ったのは、幼稚園児の時以来か?
2018年08月30日 07:17撮影
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8/30 7:17
< 駒利山休憩所 >
〜の前には、馬の銅像が、お言葉(掲示物あり)に甘えて、乗馬させて戴きました。作り物の馬に乗ったのは、幼稚園児の時以来か?
< 駒利山からの眺望 >
東の空に、富山市南部の峰々が見えました。なかでも「御鷹山」は、同名の山が、富山市内には2山あります。今見えている御鷹山(675m)は、[楡原−八尾桐谷の境]にあり、もう一つのはここから西側にある、[山田数納(すのう)−八尾山中の境]にある御鷹山(807m)です(後出します)。
2018年08月30日 07:20撮影
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8/30 7:20
< 駒利山からの眺望 >
東の空に、富山市南部の峰々が見えました。なかでも「御鷹山」は、同名の山が、富山市内には2山あります。今見えている御鷹山(675m)は、[楡原−八尾桐谷の境]にあり、もう一つのはここから西側にある、[山田数納(すのう)−八尾山中の境]にある御鷹山(807m)です(後出します)。
< 梅香台へ向かいます >
あとで、南東側の梅香台から、1番山(1番城ヶ山の山頂)へ登り、山頂からはこちら側に下り返します。
2018年08月30日 07:23撮影
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8/30 7:23
< 梅香台へ向かいます >
あとで、南東側の梅香台から、1番山(1番城ヶ山の山頂)へ登り、山頂からはこちら側に下り返します。
< 休憩所とバーベキュー広場 >
〜があります。
2018年08月30日 07:29撮影
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8/30 7:29
< 休憩所とバーベキュー広場 >
〜があります。
< 梅香台休憩所 >
バーベキュー広場には水場がありますが、トイレはありません。ここから管理棟のトイレ(ウオッシュレット付き)まで約300m離れています。
2018年08月30日 07:32撮影
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8/30 7:32
< 梅香台休憩所 >
バーベキュー広場には水場がありますが、トイレはありません。ここから管理棟のトイレ(ウオッシュレット付き)まで約300m離れています。
< 八尾町角間 >
〜の方向を覗いてみました。風の盆の期間は、車両通行止めです。この後、下山先の東新町からも車両が通行出来る道が上がって来ていますが、そちらも車両通行止めになっていました。
2018年08月30日 07:35撮影
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< 八尾町角間 >
〜の方向を覗いてみました。風の盆の期間は、車両通行止めです。この後、下山先の東新町からも車両が通行出来る道が上がって来ていますが、そちらも車両通行止めになっていました。
< 梅香台をあとにして >
〜1番山(1番城ヶ山)へ上がります。
2018年08月30日 07:42撮影
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8/30 7:42
< 梅香台をあとにして >
〜1番山(1番城ヶ山)へ上がります。
< 一段高い場所に上がると >
〜展望場所がありました。立山連峰眺望図が掲示されています。正面奥に劒岳と立山があるのですが、今回は見えませんでした。
2018年08月30日 07:44撮影
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8/30 7:44
< 一段高い場所に上がると >
〜展望場所がありました。立山連峰眺望図が掲示されています。正面奥に劒岳と立山があるのですが、今回は見えませんでした。
< 虚子の句碑前休憩所 >
〜に到着。山頂の80mほど手前に位置しています。
2018年08月30日 07:48撮影
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8/30 7:48
< 虚子の句碑前休憩所 >
〜に到着。山頂の80mほど手前に位置しています。
< 休憩所から北北東の方向 >
〜を眺めました。井田川に架かる「坂のまちおお橋」が見えています。隣りにあった「十三石橋」は、架け替え工事中のため、撤去されています。
2018年08月30日 07:49撮影
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8/30 7:49
< 休憩所から北北東の方向 >
〜を眺めました。井田川に架かる「坂のまちおお橋」が見えています。隣りにあった「十三石橋」は、架け替え工事中のため、撤去されています。
< 高浜虚子の句碑 >
この句碑の前に休憩所があるのではなく、休憩所の横にこの句碑があるような感じになっています。虚子の句碑としては、最も古いものだということです。
2018年08月30日 07:50撮影
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8/30 7:50
< 高浜虚子の句碑 >
この句碑の前に休憩所があるのではなく、休憩所の横にこの句碑があるような感じになっています。虚子の句碑としては、最も古いものだということです。
< 秋葉神社 >
石材で造られた小さな社殿です。このお社のある位置が、城ヶ山の山頂部分に相当する場所だと思いますが、たぶん、この後上がる、城ヶ山公園展望台が最高所なのでしょう。
2018年08月30日 07:50撮影
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8/30 7:50
< 秋葉神社 >
石材で造られた小さな社殿です。このお社のある位置が、城ヶ山の山頂部分に相当する場所だと思いますが、たぶん、この後上がる、城ヶ山公園展望台が最高所なのでしょう。
< 秋葉神社火伏神御鎮座由来 >
火伏神さまが、祀られています。
2018年08月30日 07:51撮影
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8/30 7:51
< 秋葉神社火伏神御鎮座由来 >
火伏神さまが、祀られています。
< 城ヶ山公園展望台 >
天守閣をなぞらえた展望になっています。標高202mと標されています。ネットで調べると、城ヶ山は200mの山となっていますが、ここで天守台として2mかさ上げされたのかも?
2018年08月30日 07:52撮影
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8/30 7:52
< 城ヶ山公園展望台 >
天守閣をなぞらえた展望になっています。標高202mと標されています。ネットで調べると、城ヶ山は200mの山となっていますが、ここで天守台として2mかさ上げされたのかも?
< 展望台から西方向の眺め >
ここから真西に、「牛岳」があります。牛岳の南に位置する「御鷹山」も見えます。ここ城ヶ山からは、二つの御鷹山が見れることになります。東に675mの御鷹山/西に807mの御鷹山〜の2山です。
≪リンク≫ 越中国『牛嶽』をレポートしています。
https://yamare.co/1060409
2018年08月30日 07:53撮影
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8/30 7:53
< 展望台から西方向の眺め >
ここから真西に、「牛岳」があります。牛岳の南に位置する「御鷹山」も見えます。ここ城ヶ山からは、二つの御鷹山が見れることになります。東に675mの御鷹山/西に807mの御鷹山〜の2山です。
≪リンク≫ 越中国『牛嶽』をレポートしています。
https://yamare.co/1060409
< 展望台から北方向の眺望 >
富山八尾中核工業団地が目立って見えます。遠くには、なだらかな呉羽丘陵(呉羽山がある)が見えています。
2018年08月30日 07:53撮影
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8/30 7:53
< 展望台から北方向の眺望 >
富山八尾中核工業団地が目立って見えます。遠くには、なだらかな呉羽丘陵(呉羽山がある)が見えています。
< 呉羽丘陵をズーム >
丘陵の北側(画面の右側)が「呉羽山」です。呉羽丘陵の最高所は、白鳥城跡のある「城山」になります。
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8/30 7:53
< 呉羽丘陵をズーム >
丘陵の北側(画面の右側)が「呉羽山」です。呉羽丘陵の最高所は、白鳥城跡のある「城山」になります。
< 眼下を見下ろしました >
曳山展示館、民俗工芸館、桂樹舎和紙文庫〜が確認出来ました。下山したら、寄り道してみます。
2018年08月30日 07:54撮影
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8/30 7:54
< 眼下を見下ろしました >
曳山展示館、民俗工芸館、桂樹舎和紙文庫〜が確認出来ました。下山したら、寄り道してみます。
< 秋葉神社の参道 >
〜を下ります2番山をへて管理棟の付近まで、石段を下ります。
2018年08月30日 07:55撮影
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< 秋葉神社の参道 >
〜を下ります2番山をへて管理棟の付近まで、石段を下ります。
< 乃木堂のある場所 >
〜にでました。2番山になります。「乃木堂」の前方には、米屋少兵衛翁の銅像があります。
2018年08月30日 07:57撮影
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< 乃木堂のある場所 >
〜にでました。2番山になります。「乃木堂」の前方には、米屋少兵衛翁の銅像があります。
< 乃木堂 >
乃木大将は、日露戦争終結の翌年の明治39年(1906年)に来町されています。
2018年08月30日 07:59撮影
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< 乃木堂 >
乃木大将は、日露戦争終結の翌年の明治39年(1906年)に来町されています。
< 「米屋少兵衛」翁の銅像 >
八尾町建ての功労者であります。4代目「少兵衛」の時のことです。八尾の町民たちが、加賀藩から頂戴した[町立てお墨付き]を、米屋家から取り返したことを祝って、八尾の踊りを始めたのが、『おわら』のきっかけになったらしい。
2018年08月30日 07:59撮影
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8/30 7:59
< 「米屋少兵衛」翁の銅像 >
八尾町建ての功労者であります。4代目「少兵衛」の時のことです。八尾の町民たちが、加賀藩から頂戴した[町立てお墨付き]を、米屋家から取り返したことを祝って、八尾の踊りを始めたのが、『おわら』のきっかけになったらしい。
< あじさいの丘展望台 >
遠望はあまり望めません。アジサイの花は、ドライフラワーの状態(枯れている)でした。展望台の直下に紫陽花の遊歩道があるので、アジサイの季節だと、アジサイ園の眺望が、さぞすばらしいことでしょう。
2018年08月30日 08:00撮影
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8/30 8:00
< あじさいの丘展望台 >
遠望はあまり望めません。アジサイの花は、ドライフラワーの状態(枯れている)でした。展望台の直下に紫陽花の遊歩道があるので、アジサイの季節だと、アジサイ園の眺望が、さぞすばらしいことでしょう。
< 参道口に降りました >
すぐ隣りに、先ほど通行した梅香台に行く道(角間に通じる)があります。
2018年08月30日 08:04撮影
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8/30 8:04
< 参道口に降りました >
すぐ隣りに、先ほど通行した梅香台に行く道(角間に通じる)があります。
< 東新町へ下ります >
角間からの道路と同様に、おわらの時期なので、車両通行禁止になっています。
2018年08月30日 08:05撮影
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8/30 8:05
< 東新町へ下ります >
角間からの道路と同様に、おわらの時期なので、車両通行禁止になっています。
< 若宮八幡社 >
〜に来ました。下の一の鳥居(鳥居が2つある)から参拝すべきでしたが、ズルして、境内に横入りしました。
2018年08月30日 08:09撮影
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8/30 8:09
< 若宮八幡社 >
〜に来ました。下の一の鳥居(鳥居が2つある)から参拝すべきでしたが、ズルして、境内に横入りしました。
< 蚕養宮(さんようぐう) >
江戸時代から、養蚕業を祀っています。
2018年08月30日 08:10撮影
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8/30 8:10
< 蚕養宮(さんようぐう) >
江戸時代から、養蚕業を祀っています。
< 江戸から明治にかけて >
〜蚕養(さんよう)が栄えました。
2018年08月30日 08:12撮影
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8/30 8:12
< 江戸から明治にかけて >
〜蚕養(さんよう)が栄えました。
< 東新町通り >
〜に出ました。向こうで「諏訪町通り」と繋がっています。「諏訪町通り」は400mほどの長さですが、「東新町通り」は短くて100m位しかありません。
2018年08月30日 08:13撮影
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8/30 8:13
< 東新町通り >
〜に出ました。向こうで「諏訪町通り」と繋がっています。「諏訪町通り」は400mほどの長さですが、「東新町通り」は短くて100m位しかありません。
< 一本下の >
〜通りの「西新町」へ移動します。
2018年08月30日 08:13撮影
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8/30 8:13
< 一本下の >
〜通りの「西新町」へ移動します。
< 西新町通り >
〜に入り、上新町の方向に進みます。
2018年08月30日 08:14撮影
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8/30 8:14
< 西新町通り >
〜に入り、上新町の方向に進みます。
< 上新町通り >
〜を通行し、曳山展示館に向かいます。
2018年08月30日 08:18撮影
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8/30 8:18
< 上新町通り >
〜を通行し、曳山展示館に向かいます。
< 曳山展示館 >
日中は、本来の八尾曳山の展示が行われています、夜になると、おわらの演舞(有料)が行われていますが、予約が必要かも知れません。詳しくはホームページを確認て下さい。
2018年08月30日 08:20撮影
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8/30 8:20
< 曳山展示館 >
日中は、本来の八尾曳山の展示が行われています、夜になると、おわらの演舞(有料)が行われていますが、予約が必要かも知れません。詳しくはホームページを確認て下さい。
< 越中八尾まちあるき案内図 >
展示館近くにある案内図に、今回の探検隊ルートをラインンマークしてみました。「町民ひろば」からスタートし、坂の街を横切り、城ヶ山をハイキングして下山、坂の街を縦走、越中八尾駅を見て回り、「町民ひろば」に帰還しました。
※:マップでは、駒利山の辺りに城ヶ山の▲印が付いていますが、最高所(山頂)は秋葉神社のある場所です。
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8/30 8:21
< 越中八尾まちあるき案内図 >
展示館近くにある案内図に、今回の探検隊ルートをラインンマークしてみました。「町民ひろば」からスタートし、坂の街を横切り、城ヶ山をハイキングして下山、坂の街を縦走、越中八尾駅を見て回り、「町民ひろば」に帰還しました。
※:マップでは、駒利山の辺りに城ヶ山の▲印が付いていますが、最高所(山頂)は秋葉神社のある場所です。
< おわら風の盆マップ >
同じく近くに掲示されていました。風の盆実行委員会作製の案内図です。縦にした[坂の街]の図が、より判りやすいと思います。
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8/30 8:23
< おわら風の盆マップ >
同じく近くに掲示されていました。風の盆実行委員会作製の案内図です。縦にした[坂の街]の図が、より判りやすいと思います。
< 川崎順二顕彰碑 >
おわら保存会の初代会長ですが、ただの初代ではなく、『中興の祖』として尊敬されてきました。
2018年08月30日 08:26撮影
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8/30 8:26
< 川崎順二顕彰碑 >
おわら保存会の初代会長ですが、ただの初代ではなく、『中興の祖』として尊敬されてきました。
< 展示館から井田川側の道 >
〜に下ります。この坂道は「原蚕の坂(げんさんのさか)」と呼ばれています。
2018年08月30日 08:29撮影
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8/30 8:29
< 展示館から井田川側の道 >
〜に下ります。この坂道は「原蚕の坂(げんさんのさか)」と呼ばれています。
< 「原蚕の坂」を振り返り >
〜ました。この坂は、県立蚕業(けんりつさんぎょう)学校の通学路でした。[県蚕]が[原蚕]に転訛したといいます。
2018年08月30日 08:30撮影
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8/30 8:30
< 「原蚕の坂」を振り返り >
〜ました。この坂は、県立蚕業(けんりつさんぎょう)学校の通学路でした。[県蚕]が[原蚕]に転訛したといいます。
< 上新町口に来ました >
左折して井田川側に下ります。民俗工芸館と和紙文庫の周辺をパトロールして来ます。
2018年08月30日 08:33撮影
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8/30 8:33
< 上新町口に来ました >
左折して井田川側に下ります。民俗工芸館と和紙文庫の周辺をパトロールして来ます。
< 会館時間前でした >
「民俗工芸館」と「桂樹舎和紙文庫」は静かにたたずんでいました。
2018年08月30日 08:35撮影
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8/30 8:35
< 会館時間前でした >
「民俗工芸館」と「桂樹舎和紙文庫」は静かにたたずんでいました。
< 踵を返し >
〜「諏訪町通り」まで上がります。「上新町口」には今回3度通過したことになります。「ごうどうの坂」を登り、「上新町通り」を横切り、城ヶ山公園口のある位置から「諏訪町通り」に入ります。
2018年08月30日 08:44撮影
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8/30 8:44
< 踵を返し >
〜「諏訪町通り」まで上がります。「上新町口」には今回3度通過したことになります。「ごうどうの坂」を登り、「上新町通り」を横切り、城ヶ山公園口のある位置から「諏訪町通り」に入ります。
< 諏訪社 >
神明造りのお社が見事です。
2018年08月30日 08:45撮影
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8/30 8:45
< 諏訪社 >
神明造りのお社が見事です。
< 西町通り >
〜に向かいます。諏訪町から外れ、「東町通り」の手前で西町側に下ります(後で「東町通り」にも入ります)。
2018年08月30日 08:49撮影
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8/30 8:49
< 西町通り >
〜に向かいます。諏訪町から外れ、「東町通り」の手前で西町側に下ります(後で「東町通り」にも入ります)。
< 宮田旅館 >
西町通りの中程に所在しています。ある芸能人の親戚すじの旅館です(柴田理恵さんのお母さんの実家)。
2018年08月30日 08:52撮影
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8/30 8:52
< 宮田旅館 >
西町通りの中程に所在しています。ある芸能人の親戚すじの旅館です(柴田理恵さんのお母さんの実家)。
< 四十物(あいもの)横丁 >
〜を通り、東町に上がります。坂の街をジグザグに進んでいます(下っています)。
※:「四十物」という言葉のルーツは、越中(富山)だそうです。アイモノ(四十物)は[魚の塩漬け]のことです。なまの魚(生魚)と干し物(干魚)の中間の物〜なので、「間物(アイモノ)」と呼ばれました。漢字で「四十物」と表記するのは、[年中出回っている物]=[始終(シジュウ)ある物]→「四十(しじゅう)ある物」〜ということで、『四十物』と書いて「アイモノ」と読ませるようになったらしいです。
2018年08月30日 08:53撮影
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8/30 8:53
< 四十物(あいもの)横丁 >
〜を通り、東町に上がります。坂の街をジグザグに進んでいます(下っています)。
※:「四十物」という言葉のルーツは、越中(富山)だそうです。アイモノ(四十物)は[魚の塩漬け]のことです。なまの魚(生魚)と干し物(干魚)の中間の物〜なので、「間物(アイモノ)」と呼ばれました。漢字で「四十物」と表記するのは、[年中出回っている物]=[始終(シジュウ)ある物]→「四十(しじゅう)ある物」〜ということで、『四十物』と書いて「アイモノ」と読ませるようになったらしいです。
< 八尾おわら資料館 >
こちらで20分ほど勉強させて戴きました。しっかり見学するのなら、1時間ほどみていた方が良いでしょう。
2018年08月30日 08:58撮影
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8/30 8:58
< 八尾おわら資料館 >
こちらで20分ほど勉強させて戴きました。しっかり見学するのなら、1時間ほどみていた方が良いでしょう。
< 坂の上側から聞名寺 >
〜の境内に入りました。鎌倉時代より〜桐野山(とうやさん)「聞名寺(もんみょうじ)」の門前町として旧八尾村が栄えていました。
2018年08月30日 09:38撮影
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8/30 9:38
< 坂の上側から聞名寺 >
〜の境内に入りました。鎌倉時代より〜桐野山(とうやさん)「聞名寺(もんみょうじ)」の門前町として旧八尾村が栄えていました。
< 坂の下側から聞名寺 >
〜を見上げました。さて、江戸初期、八尾が加賀藩となった頃、坂の街「八尾」の10町が造られました。のちに、加賀藩から分藩した富山藩に編入され、現在の富山県富山市八尾町に至っています。
2018年08月30日 09:41撮影
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8/30 9:41
< 坂の下側から聞名寺 >
〜を見上げました。さて、江戸初期、八尾が加賀藩となった頃、坂の街「八尾」の10町が造られました。のちに、加賀藩から分藩した富山藩に編入され、現在の富山県富山市八尾町に至っています。
< 交差点「十三石橋」 >
〜に下りてきました。井田川に沿いの国道472号線に入ります。架け替え工事中の「十三石橋(橋桁)」を覗いてみました。2015年11月から工事が始まっていますが、掛け替えには時間がかかるみたいです。新しい橋が完成するのは、2020年8月頃の予定です。
2018年08月30日 09:49撮影
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8/30 9:49
< 交差点「十三石橋」 >
〜に下りてきました。井田川に沿いの国道472号線に入ります。架け替え工事中の「十三石橋(橋桁)」を覗いてみました。2015年11月から工事が始まっていますが、掛け替えには時間がかかるみたいです。新しい橋が完成するのは、2020年8月頃の予定です。
< 交差点を振り返りました >
南側を眺めると、「別荘川(べつそうがわ)」を挟んで「別荘山」が見えます。
2018年08月30日 09:51撮影
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< 交差点を振り返りました >
南側を眺めると、「別荘川(べつそうがわ)」を挟んで「別荘山」が見えます。
< 久婦須川(くぶすがわ) >
〜の上流を眺めました。隣を流れる「別荘川」とともに「井田川」の支流です。上流側から、仁歩川(にんぶがわ)−野積川(のずみがわ)−別荘川(べっそうがわ)−久婦須川(くぶすがわ)−山田川(やまだがわ)と順に井田川に合流しています。こちらの井田川も、富山平野の真ん中辺りで、神通川に合流しています。
2018年08月30日 09:53撮影
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< 久婦須川(くぶすがわ) >
〜の上流を眺めました。隣を流れる「別荘川」とともに「井田川」の支流です。上流側から、仁歩川(にんぶがわ)−野積川(のずみがわ)−別荘川(べっそうがわ)−久婦須川(くぶすがわ)−山田川(やまだがわ)と順に井田川に合流しています。こちらの井田川も、富山平野の真ん中辺りで、神通川に合流しています。
< 交差点「坂のまち大橋」 >
「坂のまち大橋」を渡り、越中八尾駅に向かいます。川下の方には、「高山本線」の橋梁が見えています。富山から遙か南の岐阜まで鉄の道が続いています。
2018年08月30日 09:55撮影
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< 交差点「坂のまち大橋」 >
「坂のまち大橋」を渡り、越中八尾駅に向かいます。川下の方には、「高山本線」の橋梁が見えています。富山から遙か南の岐阜まで鉄の道が続いています。
< 大橋から上流側 >
〜を眺めました。架け替え工事中の「十三石橋」の橋桁が見えます。
2018年08月30日 09:57撮影
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< 大橋から上流側 >
〜を眺めました。架け替え工事中の「十三石橋」の橋桁が見えます。
< 大橋を渡り >
〜福島(八尾町福島)に入りました。途中の横道に入ったところにある〜公衆浴場「福島の湯」を覗いてきました(風呂の中は覗いていません)。
2018年08月30日 09:58撮影
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8/30 9:58
< 大橋を渡り >
〜福島(八尾町福島)に入りました。途中の横道に入ったところにある〜公衆浴場「福島の湯」を覗いてきました(風呂の中は覗いていません)。
< 越中八尾駅 >
高山本線の駅です。富山−西富山−婦中鵜−坂速星−千里−越中八尾〜と駅が続いています。さらにここ八尾から高山本線は南進し、岐阜駅まで伸びています。
2018年08月30日 10:08撮影
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< 越中八尾駅 >
高山本線の駅です。富山−西富山−婦中鵜−坂速星−千里−越中八尾〜と駅が続いています。さらにここ八尾から高山本線は南進し、岐阜駅まで伸びています。
< 「町民ひろば」に帰還 >
「城ヶ山」ハイキングと坂の街「八尾」散策を約4時間で、完了出来ました。早朝の山行開始の時点では、晴れていましたが、午前10時過ぎから雨が降り始めました。町民ひろばに帰り着いた頃には、本降り状態でした。今回は早めに、自宅のある七尾(ななお:石川県七尾市)に帰還することにしました。
2018年08月30日 10:23撮影
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8/30 10:23
< 「町民ひろば」に帰還 >
「城ヶ山」ハイキングと坂の街「八尾」散策を約4時間で、完了出来ました。早朝の山行開始の時点では、晴れていましたが、午前10時過ぎから雨が降り始めました。町民ひろばに帰り着いた頃には、本降り状態でした。今回は早めに、自宅のある七尾(ななお:石川県七尾市)に帰還することにしました。
< 八尾ゆめの森温泉 >
「おわら資料館」が位置する所で、国道472号線から県道343号線に入り、1kmほど南下した場所に所在します。帰宅する前に、こちらの温泉で、汗と雨で濡れた自分の身体を清めさせて戴きました。
2018年08月30日 10:53撮影
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< 八尾ゆめの森温泉 >
「おわら資料館」が位置する所で、国道472号線から県道343号線に入り、1kmほど南下した場所に所在します。帰宅する前に、こちらの温泉で、汗と雨で濡れた自分の身体を清めさせて戴きました。
< 昨年も前夜祭 >
〜に来ました。この時は西町が担当の町流しの踊りでした。前夜祭は各町内(11町)が1日ずつ持ち回り(11日間の開催)で催されます。輪踊りと町流しが、各町内で行われます。開催時間は20時〜22時(降雨時は中止)です。
(2017年8月27日撮影)
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8/27 20:43
< 昨年も前夜祭 >
〜に来ました。この時は西町が担当の町流しの踊りでした。前夜祭は各町内(11町)が1日ずつ持ち回り(11日間の開催)で催されます。輪踊りと町流しが、各町内で行われます。開催時間は20時〜22時(降雨時は中止)です。
(2017年8月27日撮影)
< 4日前も >
〜「ななお(七尾市)」から、来「やつお(八尾)」しています。この時はバス旅行に参加し、小粋な[茶屋]で、よばれました(ご馳走を頂いた=と言う意味の方言)。風の盆の期間は、大方のお店のお値段は、ご祝儀相場になっているかもしれません。
(2018年8月26日撮影)
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8/26 17:56
< 4日前も >
〜「ななお(七尾市)」から、来「やつお(八尾)」しています。この時はバス旅行に参加し、小粋な[茶屋]で、よばれました(ご馳走を頂いた=と言う意味の方言)。風の盆の期間は、大方のお店のお値段は、ご祝儀相場になっているかもしれません。
(2018年8月26日撮影)
< 茶屋での演舞 >
おわらの踊り子は、独身の男女で男性30歳以下、女性25歳以下に定められています。(※:観光客でも、宿泊施設などで踊りを習うことが出来ます。)
(2018年8月26日撮影)
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8/26 19:08
< 茶屋での演舞 >
おわらの踊り子は、独身の男女で男性30歳以下、女性25歳以下に定められています。(※:観光客でも、宿泊施設などで踊りを習うことが出来ます。)
(2018年8月26日撮影)
< 前夜祭7日目 >
〜で、この夜は、福島(八尾町福島)が担当でした。この日は、坂の上にある「曳山展示館(上新町)」から「福島」までのシャトルバスが運行されていました。ちなみに、本ちゃんの日(風の盆の9月1〜3日)は、離れた場所に臨時駐車場(八尾スポーツアリーナ・八尾ゆめの森テニスコート)が、設けられます。これらの駐車場からもシャトルバスが運行されます。
(2018年8月26日撮影)
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8/26 20:50
< 前夜祭7日目 >
〜で、この夜は、福島(八尾町福島)が担当でした。この日は、坂の上にある「曳山展示館(上新町)」から「福島」までのシャトルバスが運行されていました。ちなみに、本ちゃんの日(風の盆の9月1〜3日)は、離れた場所に臨時駐車場(八尾スポーツアリーナ・八尾ゆめの森テニスコート)が、設けられます。これらの駐車場からもシャトルバスが運行されます。
(2018年8月26日撮影)
< 男踊り >
〜です。「かかし踊り」とも呼ばれています。おわらの踊りのなかでは、一番かっこの良い踊りです。
(2018年8月26日撮影)
『おわら』のスライドでしたが、これにて「おわり」デス。
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8/26 20:52
< 男踊り >
〜です。「かかし踊り」とも呼ばれています。おわらの踊りのなかでは、一番かっこの良い踊りです。
(2018年8月26日撮影)
『おわら』のスライドでしたが、これにて「おわり」デス。
今回は、9月2・3日諏訪町の旅館に泊まることができたので、夜中に、各町に観に行きました。情緒があって最高ですね。
『情緒があって最高』〜まったく同感です。残念ながら私のヤマレコの記録では、八尾の『情緒』が上手く伝わりません。「百分は一見にしかず」〜ですね。私の長すぎる?記録を読んで下さってありがとうございました。
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