記録ID: 2309051
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講習/トレーニング
尾瀬・奥利根
尾瀬・長蔵小屋を訪ねて(仕事)
1985年05月10日(金) ~
1985年05月11日(土)
tanigawa
その他1人
- GPS
- 32:00
- 距離
- 30.2km
- 登り
- 1,007m
- 下り
- 420m
コースタイム
長蔵小屋の2代目、平野長英さんと、3代目長靖さんの奥さんの紀子さんに取材するため、カメラマンと2人で、尾瀬を訪問した。
春の名残雪が降った朝、長英さんは、尾瀬の麓の丸太小屋で、私たちを迎えてくれた。
戦時中の尾瀬のこと。兵隊さんになれなかった、やさしすぎた、自分の生き方。そこに込められた、平和の願い。
亡くなった3代目長靖さんが発案した、おにぎりの包み紙の地図のこと。
丸太小屋でいただいた鯉こくがうまかった。
小屋には、北大山岳部に在籍した、坂本直行さんの日高の絵も掛けてあった。
もともと、長靖さんは、北海道新聞者で記者の仕事をしていた時期に、北海法育ちの紀子さんと職場で知り合い、結婚。小屋の三代目を継ぐために、夫婦で尾瀬に入った経緯があった。
午後からは、三平峠を越えて、尾瀬沼のほとりにある長蔵小屋へ。
紀子さんから、尾瀬を守る活動を続けた長靖さんの活動を聞かせていただいた。
小屋の周囲は、イワツバメが群生して、春を感じさせられた。
丸太小屋でいただいた山うども、おいしかった。
尾瀬を縦断しようと計画された幹線林道は、今も、峠の入口で工事が止まっている。
天候 | 晴れ |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
撮影機器:
感想
1988年1月 平野長英さんがなくなられた際の記事。
尾瀬長蔵小屋の二代目逝くく
尾瀬沼畔・長蔵小屋の二代目、平野長英さんが急性心不全のため亡くなりました。八十四才。尾瀬を開いた平野長蔵さんの長男。
尾瀬ヶ原を水没させるダム化に反対する活動は、戦後の自然保護運動の原点となり、三代目・平野長靖さん(一九七一年、雪の三平峠で遭難死)らの自動車道路建設反対運動に引き継がれました。
長英さんは、戦時をふり返り、「招集される前にひと目、尾瀬を見たい」と若者らが殺到した戦時下の長蔵小屋の模様や、中国大陸を転戦した自身の体験から、平和の尊さを語っていました。
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