記録ID: 2346058
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ハイキング
京都・北摂
【過去レコ】天王山・釈迦ヶ岳・ポンポン山
2013年10月29日(火) [日帰り]
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- GPS
- --:--
- 距離
- 19.4km
- 登り
- 997m
- 下り
- 887m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 7:27
- 休憩
- 0:41
- 合計
- 8:08
16:48
ゴール地点
過去天気図(気象庁) | 2013年10月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
JR山崎駅 帰り: 原立石バス停からJR高槻駅へ 【高槻市営バス】 https://www.citybus.city.takatsuki.osaka.jp/ |
コース状況/ 危険箇所等 |
・整備されてます。 ・一般道も通ります。 |
写真
旗立松展望台
秀吉が、自軍の士気を高めるために老松の樹上高くに、いわゆる「千成ひょうたん」旗印を掲げたそうです。これが戦局に大きな影響を与えて勝利を収めたとか。現在の松は2代目だそうです。
秀吉が、自軍の士気を高めるために老松の樹上高くに、いわゆる「千成ひょうたん」旗印を掲げたそうです。これが戦局に大きな影響を与えて勝利を収めたとか。現在の松は2代目だそうです。
史蹟「禁門の変十七烈士之墓」
禁門の変(1864年)に敗れ、天王山中で自刃した長州藩の真木和泉守以下十七名の墓だそうです。
【山崎観光案内所HP】
https://oyamazaki.info/archives/180
恥ずかしながら、2年後(2015年)の大河ドラマ「花燃ゆ」を見るまで、謂われを知りませんでした。
禁門の変(1864年)に敗れ、天王山中で自刃した長州藩の真木和泉守以下十七名の墓だそうです。
【山崎観光案内所HP】
https://oyamazaki.info/archives/180
恥ずかしながら、2年後(2015年)の大河ドラマ「花燃ゆ」を見るまで、謂われを知りませんでした。
酒解神社
奈良時代の創建。
祭神の「酒解神」とは、大山祇神(オオヤマツミ)の別名で、初めて酒を作って神々に献じた、酒造の祖神とされているそうです。また、酒解神は橘氏の祖神だそうです。
奈良時代の創建。
祭神の「酒解神」とは、大山祇神(オオヤマツミ)の別名で、初めて酒を作って神々に献じた、酒造の祖神とされているそうです。また、酒解神は橘氏の祖神だそうです。
本山寺内を通過します。
役の行者が開山し、8世紀に開成皇子が創建、戦国時代には、松永久秀が所領を寄進、三好長慶や高山友照・右近父子が寺領を安堵している。江戸時代には、5代将軍網吉の生母・桂昌院が大改修を行ったそうである。
役の行者が開山し、8世紀に開成皇子が創建、戦国時代には、松永久秀が所領を寄進、三好長慶や高山友照・右近父子が寺領を安堵している。江戸時代には、5代将軍網吉の生母・桂昌院が大改修を行ったそうである。
神峰山寺を通過
ここも役行者の開山、宝亀5年(774)開成皇子の創建。天皇の勅願所で、仏教の聖地として比叡山、葛城山と並ぶ7高山のひとつに数えられ、歴代天皇のみならず、足利3代将軍義満や豊臣秀頼の生母・淀殿らの寄進もあったそうです。
ここも役行者の開山、宝亀5年(774)開成皇子の創建。天皇の勅願所で、仏教の聖地として比叡山、葛城山と並ぶ7高山のひとつに数えられ、歴代天皇のみならず、足利3代将軍義満や豊臣秀頼の生母・淀殿らの寄進もあったそうです。
撮影機器:
装備
個人装備 |
ソフトシェル
雨具
日よけ帽子
行動食
非常食
飲料
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
ガイド地図(ブック)
ファーストエイドキット
日焼け止め
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ツェルト
ストック
カメラ
|
---|
感想
この時期、仕事で何度か名神高速道で「天王山トンネル」を行き来した。
「天王山トンネル」は、子供の頃から、クルマで大阪から東に行く時に、何度となく通る場所でもあった。
また、トンネルのある大山崎町あたりは、新幹線や東海道本線、阪急京都線もあり、京都、神戸間の国道171号(昔で言えば西国街道?)が通る東西交通の大動脈とも言える位置にあるのが「天王山」。
この「天王山」周辺で、本能寺の変で織田信長を討ち取った明智光秀と、中国征討から大返しをした羽柴秀吉とが天下分け目の山崎合戦を行った地。一度は行ってみたいと思ってました。
とはいえ「天王山」の往復では、物足りない気もして…地図を眺めていて「ポンポン山」もそう遠くないかな?と思って計画にいれました。
この「ポンポン山」…小学生だったか中学生だったかの頃、地理かなんかの授業でたまたま地図で見つけて「えっ?゜゜ (゜ロ゜屮)屮 ポンポン山?なんでカタカナ?」と強烈なインパクトで忘れられない存在でした。ここも、いつか行ってみたいとは思っていました。
古くは加茂勢山という名だったそうで、諸説あるそうですが「頂上に近づくにつれて足音がポンポンとひびく」ということから明治以降の通称となったそうです。
実際に行ってみて、史蹟「禁門の変十七烈士之墓」があったり、役の行者や時の天皇家や権力者にもゆかりのある寺院もあったりで、思い出深い山行の1つとなりました。
令和2年5月17日(日)にアップしました。
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