中群山(超薄盛登山で甲州百山完登! 選定の謎に迫る!)
- GPS
- 00:10
- 距離
- 0.7km
- 登り
- 18m
- 下り
- 21m
コースタイム
天候 | くもり |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年10月の天気図 |
アクセス |
写真
感想
■超薄盛登山で甲州百山完登! 選定の謎に迫る!
甲州百山。ラストの中群山は、どう考えても熱盛できず。「中央線から見える山」のラストとは真逆で、スーツ姿で超薄盛にしてみました(笑)
さて、「なぜ中群山が甲州百山に選ばれたのか問題」。古本屋で『甲斐の山旅・甲州百山』を手に入れましたので、その謎に迫ってみたいと思います。
「中群山」を執筆しているのは、三人の著者の中で小俣光雄さんという人です。おそらくこの方が推薦者だったと思われます。山梨県北都留郡大鶴村生まれとあるので、現在の上野原市中央部(談合坂SA下りの東部あたり)に生家があったことが分かります。
「初めてこの山に登った時の驚きを、どう表現したらいいだろう。日陰の路を昇りつめて、目の前がパッと開けた瞬間、春だった。桃源郷とはこんな所か、そう感じたことがまるで昨日のようだ。まして、山の上に悠々と暮らしている人たちの姿。よそ者を親しく迎えてくれる言葉の暖かさ。私は足繁く通い、そのたびに親しさを増して、親類のような付き合いをさせてもらえるようになった」(39頁)
日照時間の短い谷ではなく、このエリアの山の上は農作業に適していたんでしょう。今も畑がありました。桃だったかどうかは未確認。山村さんは、山の上に住む住人と親類のように親しくなり、また頻繁に通っていたんですね。思い入れのある場所であったことが分かります。
「中群山は夜の山だ。それも秋から冬」「町から直線に測れば何キロもないのに、電灯の邪魔のないここでは、星はそれぞれの位置を競い合ってくれる。北極星は澄み切った冬空では小さな円周運動を示す」(39-40頁)
星が綺麗なのは、場所的にもうなずけます。山々に囲まれて、街頭すら見えない場所。「中群山は夜の山」なんだそうです。
人情と星空。これが中群山が選ばれた理由でした。名山選定で「そんな選考基準あり?」とツッコミをいれたそこのあなた!! 選考基準は筆者の胸一つ。
今や注目される中群山にいって残念な思いをするのは、昼間の登山でヒロ牧場の人と話さないのが原因かもしれません(笑)。小俣さんの意をくんで、あなたも星降る中群山に出かけて、人情に触れてみませんか?
(蜂谷緑・小俣光雄・山村正光『甲斐の山旅・甲州百山』実業之日本社、1989年)
コメント
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yama-ariさん、こんばんは
中央線から見える山に続いての甲州百山完登おめでとうございます。
超熱盛と超薄盛の対比も見事です(笑)
3分で登れる山はなかなか見つかりませんね。
私もなぜこの山が甲州百山に入ったのかと強い疑問を覚えていました。
山容、歴史、風格、展望、とどれを取っても???
そんな中、原本の解説を引っ張り出していただいて感謝です。
理由はこじつけのような感じもしないではないので、
やはり故郷の山ということなのでしょうか。
それとも出版が30年以上前なので、今とは全く違う雰囲気だったのか、
さらに謎が深まりました。
hirokさん。こんな超薄盛のレコまでコメントありがとうございます。
hirokさんの「中群山」の調理の仕方を拝見して、私にはできないと諦めていました。
やるなら超薄盛で逃げ切るしかないと思い続けていました。hirokさんから、熱盛要求がでませんようにと、それだけを祈りつつ(笑)
私も中群山の章を読んでいて、同じような感想を持ちました。「それは故郷の山に対する個人的な思い入れでしょ?」と。考えてみるに、regさんが深田久弥先生の立場なら「大栃山」を間違いなく「日本百名山」に入れると思います。愛してますから大栃山を。
どうしても名山選定には、誰もが認める名山に個人的な思い入れの山を忍ばせたいと願うものなんでしょう。「選定アルアル」といってもいいのでしょう。でなければ、甲斐百山の「八丁山」「みみ石」は説明がつきません(笑)。その点、手前みそですが、「みんなで選ぶ山梨200名山」は、その「選定アルアル」のバイアスをできる限り排除していますよね(自画自賛)。
hirokさんの最後の疑問のように、30年数年前は見事な風景が広がっていたとすれば、このコメントのすべてが覆りますけど。書いてて、自信なくなってきました(笑)
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