記録ID: 29004
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積雪期ピークハント/縦走
道北・利尻
朱鞠内→釜ヶ淵山→熊岳⊃ピッシリ山
1991年11月23日(土) ~
1991年11月26日(火)
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- GPS
- 80:00
- 距離
- 38.0km
- 登り
- 1,077m
- 下り
- 1,056m
アクセス | |
---|---|
コース状況/ 危険箇所等 |
朱鞠内→釜ヶ淵山→熊岳⊃ピッシリ山 1991/11/23〜26(3-1) L:斎藤清克(5)AL:植田勇人(5)M:石崎啓之(2)、いはら、山崎吉之(2) 11/23 曇り→雪→曇り 入山日:林道終点(9:15)→コンタ760C1(11:30) 母子里の演習林から雪上車に乗って入山、林道終点まで。気温高い。ラッセルは少ないが重たい。予定通りコンタ尾根をいく。760でイグルーを作るが失敗して狭い。この頃から天気崩れる。上へ偵察に行く。 11/24 曇り→吹雪 熊岳引き返し:C1(6:30)→熊岳(8:30−9:45)→C1=C2(11:15) 朝高曇り、−9℃。天気図では悪そうだが行けるところまで行くつもりで出る。925(釜ヶ淵山)からの尾根にぶつかったところにデポ旗。925から先は雪庇小さいのが出てるが状態はいい。途中雪庇を越えるところがある。風が少し強い。熊岳にて時間待ち。天気図とる。回復の見込みなく引き返し。イグルーは不快調なので冬天を張る。この日の午後寒気入る。 11/25 雪 停滞:C2=C3 朝風がものすごい。1メートル弱雪が積もる。除雪3回。 11/26 曇り(−2℃) ピッシリ山登頂後下山:C3(6:15)→熊岳(8:00)→コル(9:30−11:00)→ピッシリ山(11:30)→C3(14:00−50)→林道 寒気、冬型が緩む。よくなる読みで出る。前日の積雪は風で吹っ飛ばされて雪面の状態はいい。熊岳直下細いところあり、一人ずつ行く。尾根が東西から南北へ曲がるとこはトラバース、一人ずつ行く。ピーク直下は局地風。アタックを試みるも風のため引き返し。コルの風の当たらないところで待つ。11時に最終アタックと決める。成功する。この日のうちに下山。汽車をヒッチする。ものすごく怒られる。以降やらぬ方がよい。 |
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北大山岳部部報14号より nezzrow文
あの線路だけが日常の世界との一本ザイルなのだ、と思うとなんとも淋しい。
この鉄道もまもなく国鉄解体で廃止になると、ピッシリ蕗の台ルートは歴史を終えるのだ。
(小山行ノートより)
暗くなり始めた林道を、我々は黙々と急いでいた。目指すは深名線蕗の台駅。次の汽車まで時間がなかったのである。
本来なら、のんびりと最果ての地の旅情と哀愁を噛みしめ、山行の余韻を味わいながら歩きたいところである。しかし、予想以上の苦戦を強いられ、我々は消耗していた。パーティ内には「早く帰りてぇ」という雰囲気が充満していたのである。
ピッシリ山を目指した山行は、私の知る限りルームでは過去二件と少ない。しかもいずれのパーティーもピークには到達していない。そのうちのひとつ、米山氏による敗退時の記録は「いつか登ってやるぜ」と結ばれてはいるが、ルームでは実現しなかったようである。つまり我々が山行を計画した当時、ピッシリ山はマイナーピークながら、ルーム未踏峰という怪しげな魅力を保っていた。たしかに、単に誰も登りたがらなかったためかもしれない。しかしそれだけ、ピッシリは遠い山だったのだ。「ピッシリはいつか登りたい山のひとつだった」という書き出しで始まる米山氏の記録が、何故か私はいたく気に入っていた。そしていつか私自身にとってもピッシリは登りたい山になっていたものと見える。当時二年目で、冬のメイン山行には参加せずウダウダやっていた私は、小山行と称してピッシリアタックを計画した。計画作りは主にスタジオシティ12階、私と同じようにメイン山行に行かずホゲホゲやっていた山崎の部屋で進められた。(ちなみに山崎の住んでいたこのスタジオシティなる建物はエレベーターやオートロックという近代設備を完備しており、おばけや太玉舎といった古風な建築にばかり馴染んでいるルームの人間からはもっとも縁遠い住居であった。そんなコジャレた所に住んでいたばかりに山崎は「ばぶる」と命名される憂き目をみていた。)二年目同士での慣れない計画作りは遅々として進まなかったが、斉藤、植田という最高のリーダースタッフを獲て、山行はどうにか実現したのである。
入山前夜は母子里の演習林でお世話になった。これは飛び入り参加の伊原の功績であった。彼は二年班のメンツとしてメイン山行に向けての準備山行の真っ只中であったが、我々のピッシリ山登頂計画の噂を聞きつけると、どこからか「母子里の演習林で御厄介になれる」という手土産をひっさげてパーティーに乱入して来たのである。他にも二年班から参加したいという不届きな輩が数人いたようだが、役に立たない奴等は私が排除した。私はリーダーの斉藤さんから、何故かそのような権限を与えられていたのである。
斉藤、植田、山崎、私こと石崎、それに伊原を加えた総勢五人のパーティーは、翌朝、演習林の方の好意で、雪上車を駆って颯爽と入山。タンネ限界付近の樹林帯にイグルーを建造し、これをアタックキャンプとした。と、ここまでは申し分のない展開であった。
ところが・・・停滞に次ぐ停滞。いい加減に造ったイグルーは天井が低すぎて不快調極まりない代物で、代わりに建てた冬天も風下だったが運の尽き、強烈に決まった冬型によるドカ雪で危うく埋められそうになり、前日まで何の変哲もなかった尾根には雪庇が張り出し、酒は底をつきかけ、タバコもまわし飲みという有様。ええいままよ、こうなりゃ背水の陣だと、酒瓶の底にわずかに残ったバーボンを飲み干し、虚勢を張って見たものの、我々は明らかに消耗していた。
下山用の予備日を一日残すばかりとなったところで、ようやく巡ってきた晴天をついてピーク直下まで漕ぎ着けたものの、爆風に行く手を阻まれ、アイゼンを持たなかった我々は、あわれ、タコ踊りを踊るはめに。こがれたピークを目の前に二度まで追い返された果てに、ようやく登頂を果たしたときには、旅情に浸ろうなどという余裕があろうはずもなかったわけで、我々は天場に戻ると、交わす言葉も少なめに、さっさと荷物をまとめると足早に山を下り始めた。そうして薄暗い夕暮れ時の林道をせっせと歩いていたわけである。
蕗の台の駅には、プラットホームとほったて小屋の他には何もなかった。我々はザックに腰掛けて、ぼんやりと汽車が来るのを待った。とはいうものの蕗の台には、本来、冬の間は汽車が止まることはない。我々はヒッチをするつもりであった。実際米山氏の記録には「汽車をヒッチして下山」とある。深名線をヒッチして帰る。なんて味わい深いんだ。深名線ヒッチはこの山行には欠かせない重要なイベントであった。それによって山行は美しく完結するはずであった。
ところが、しばらくしてやって来た汽車は我々には目もくれず、どんどん行ってしまった。殺風景な蕗の台の夕暮れに、我々はしばし立ち尽くした。
一日に五本程度しかない深名線のことである。その一本を乗り損なうということの意味はでかい。「深名線はヒッチ出来る」という揺るがぬ確信を抱いていた我々にとって、それは憤慨すべき出来事だった。あってはならないことであった。あの温厚な植田さんでさえもが、
「JR許すまじ」
というので、怒りは爆発寸前だったのだ。
たしか、私の記憶では、次の汽車が最終だった。「なんとしても止めねばならん」という雰囲気が高まっていた。汽車がやって来た時、我々は真っ暗なプラットホームの上でラテルネを振り回し、「助けてくれ」などと根も葉もないことを叫んでいた。そして汽車は止まったのである。
怒られた。今にして思えば当たり前のことではあるが、そのときはどうしてもすぐには納得しかねたのである。我々の心境としてはむしろ、「待ちぼうけを喰わせたのはそっちだ」くらいなものだったのだ。そうして乗り合わせた乗客にじろじろ見られたりしていると、わけの分からないまま、妙にしゅんとしてしまったのである。
植田さん、伊原、山崎の三人が母子里の演習林に車を取りに行く間、私と斉藤さんは朱鞠内の駅で、駅員に延々と説教をされていた。生まれてこのかた人様に怒られるようなことはただの一度もない、といった類の優等生であった私は、神妙にお縄を頂戴したような格好で頭を垂れていたわけだが、斉藤さんはすましたもので、
「あのおやじ、何かと怒りてえ年頃なんだよ」
などと、悟りきった様なことを言っている。そこは、それ、人生経験の違いなのだろう。ともあれ、こうして我々は無事下山したのである。
後日、つるで大内さんにこの話をしたところ、
「ばかだね、今どきそんな奴はいないよ。」
といって笑われた。しかし入山前に話を聞きに行った折り、「昔はさぁ、深名線といえばね、ヒッチすると通り過ぎた汽車が戻ってきたもんだよ。中には石炭ストーブがあってねぇ・・・」などと言ってそそのかしたのは、かく言う大内さんなのである。
まんまとしてやられたってとこか・・・
その深名線も廃線になって今はもうない。ピッシリ蕗の台ルートは歴史を終えたのだ。
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