【春香作戦】要倉山〜本宮山〜陣馬山〜堂所山〜富士見台〜地蔵峰【戊42.7】
- GPS
- 06:25
- 距離
- 23.2km
- 登り
- 1,536m
- 下り
- 1,608m
コースタイム
- 山行
- 5:53
- 休憩
- 0:41
- 合計
- 6:34
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
復路:高尾山口駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
中谷山尾根:ヤマプラでは尾根の南側に登山口があると示しているが、現地を見た限りでは、ほぼ確実に私有地と思われる。北側に迂回して鉄塔巡視路を登るべき。 (※過去の他の人の山行記録に、私有地のため地権者の許可を得るよう記載あり。) 尾根に登った後も超急登や藪が待っている。 笹尾根:和田峠からの長い階段上りは現在整備中で通行止め。若干ぬかるんでいる他は非常に歩きやすい。 北高尾山稜:道が細くなるとともに細かいアップダウンがある。歩きにくくはない。 |
その他周辺情報 | 高尾山温泉 |
写真
感想
※関場から中谷山尾根への入山は、ヤマプラでは正規ルートのように線が引いてあるが、その入口とされている箇所は私有地である旨、他の方の山行記録にも記されているところであり、無断立ち入りは避けるべきである。
先の週末に高尾梅郷にでも春の香を楽しみに行こうと思っていたのが、よんどころない事情といまいちな天候により敬遠。
思い立ったが吉日のこの週末は、雨上がりの青天に風も心地好く、まさに山行日和。この佳き日に、先日歩いて気に入った、高尾と戸倉の間で目立つことの少ない奥八王子山域を歩くこととした。翌週末の天候が好くないということもあって、タイミングにおいてもベストの山行となった。
【本山行のハイライト:中谷山尾根取り付き】
ヤマプラで山行計画を練ると、ルートは関場バス停から100m程歩いた先、尾根の南東端から入山することとなっており、地図上の踏み跡も南面に集中している。
しかしながら、実際に訪れてみると、入口と思しき所には、人の立入りを拒むかのようにロープが張られており、その先が管理者のいる私有地であろうことが窺われた。また、入口の先は道ではなく畑のようで、このまま立ち入れば、人の敷地内で道を探してうろつくという瓜田李下状態になることは確実だ。
そこで、いったんその場を外れて他に入山路が無いか、他の山行記録はどうなっているかを確認することにした。
他の山行記録を見ると、「立入禁止と書かれていたので、その場を外れて通った」などという、「このはしわたるべからず」の注意書きを見て真ん中を通って渡った一休さんかよ!とツッコミを入れたくなるようなことが臆面もなく書かれており、やはり、尾根南面からアプローチするのは避けるべきと考えられた。
そんな中、尾根北面からのアプローチ記録を残しておいていただいた方にはいくら感謝しても足りない。この場で厚く御礼申し上げる。
一方で、私とほぼ同時に山行を開始した男性は、そのままロープを潜って敷地内に立ち入り、山の中へ入っていった。
今回のケースは、遭難時の対応に似ているように感じる。
山道を歩いていて、道が正しいかどうかわからなくなった時、或いは、今歩いている道が間違っている、少なくとも何かおかしいと感じた場合、どのように対応するか。
1.そのまま突き進む。
これは私と違って立ち入っていった男性の対応だが、道迷い時だったら、下の下策であることは論を待たない。
2.立ち止まって地図等を調べる。
これは私の対応で、次善の策と言える。しかし、今回の場合、悩ましいのは、ヤマプラでは正規ルートのごとく線が引かれていたことだ。ただ、地図と目の前の現実では、眼前の現実を基に考えるべきは言うまでもないことだ。
3.このようなマイナー山域では、計画時にルートの状況をよく確認しておく。
これが最上策。しかし、2にも書いた通り、ヤマプラでは正規ルートのようになっているので、これは後付けの結果論に過ぎず、実際は難しいかも知れない。
と挙げてきたが、1よりも良くない、最悪の選択肢があった。
それが何かおわかりになるだろうか。
初めまして
北高尾山稜が道が細く巻き道もほとんど無いのは、南斜面に狐塚峠下から関場峠まで戦国時代の軍道が通っていたからと推測しています。
傾斜の緩い小尾根筋に痕跡が残っているはずです。未調査ですが。
林業体験(チェーンソー、刈払機など)は色々手続きがあって面倒ですが、
山道整備(倒木退治や薮刈り等)のボランティアなら基本許可不要(と言うか、お役所関係は許可が出ない)で、暗黙の了解レベルで色々出来ますよ。
別レポのネタですが、鳥の羽はタカの餌場の跡ですね。
castle_hunterさん
コメントありがとうございます。
あの辺りは小仏峠に通じる旧甲州街道がメインルートだったのだろうと思いますが、北高尾山稜側に支線のような道があったのでしょうか。奥八王子からあきる野にかけて山城跡がいくつもあることを考えると、確かに連絡路があったと考えるのが理にかなっていますね。
林業体験の立札の向こうではチェーンソーの音がブンブン鳴っていました。本職の方だったのかもしれません。最近歩いた山には、このままだといずれ通れなくなるのではないかと思う箇所もあり、山道を日ごろ整備していただいている皆様には頭が下がります。
八王子城からは周辺砦に向けていくつも中腹軍道が通っています。
それも余計なアップダウンが一切無いという変態ぶりです。
北高尾山稜だけが不明確なんですが。
和田峠から戸倉城まではまだ歩いた事はないのですが、今熊山(今熊城)側はしっかり軍道が通っていますね。
今熊城(神社裏手)の石垣が半端ないですが。
尾根鞍を水平に埋める土橋や巻き道がその証拠です。
役に立つ事も無く終った道普請に駆り出された庶民の生きにくい時代の貴重な産物です。
旧甲州街道の相模湖側が10ヶ所近く半端なく掘ってあるのも、防御上の理由です。
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