堂ヶ作山・高山《会津若松市》
- GPS
- 03:37
- 距離
- 12.1km
- 登り
- 334m
- 下り
- 321m
コースタイム
- 山行
- 2:33
- 休憩
- 1:04
- 合計
- 3:37
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年03月の天気図 |
アクセス | 会津若松駅から徒歩 |
コース状況/ 危険箇所等 |
堂ヶ作山の東と高山には登山道無し、藪は薄いが高山は倒木目立つ |
写真
感想
明るくなった6:40過ぎ駅前のホテルを出発し、会津盆地の東の端にある堂ヶ作山を目指した。八角町で白虎隊自刃の地である飯盛山(380m)を望み15年前に訪れたことを懐かしんだ。旧滝沢本陣は早朝で無人だったが嘗て此処も訪れた。茅葺の屋根越しに堂ヶ作山を見て、住宅地の途切れにある種子釋稲荷神社に到った。石段を登り社殿に参拝して裏手の登山道を登って行くとすぐに堂ヶ作山(382m)に到った。4等三角点「堂ヶ作山」があり山頂標識も掲げられていた。樹林帯で展望はなく、写真を撮っただけで東の稜線へと進んだ。
登山道はなく藪を掻き分けて進み鞍部に達すると嘗ての林道の終点で堀切のようになっていた。コブを乗り越すと右手から地形図に描かれた林道が現れた。暫く此の林道を歩いたがこのまま行くと滝沢峠に上がってしまい、北西に張出した高山に向かうには林道から分かれて北へとトラバースした。藪は薄く緩斜面で難なく高山の南東稜線に達した。登山道がありホッとしたのも束の間、登山道は谷を下って行き、稜線には道はなかった。今度は倒木が多く歩き難い。高山(437m)山頂に達したが、山頂標識はなく、境界標なのか三角点のような標石があり。一文字目が「王」と読めたが後は判読不明だった。
なだらかそうな北尾根を下ると電灯線が尾根を越え開かれていた。北東方向には猫魔ヶ岳(1,404m)が望めたが磐梯山(1,819m)は雲が纏わりついていた。稜線の先は藪が濃く、巡視路の階段が北東の谷を下っているので稜線を外れて巡視路を下り車道に降りた。高山の山麓を巻く車道を歩くと横に不自然に川が近づき並走した。天然の峡谷のような地形もあり、切通しの断崖や土の剥き出した斜面が荒々しく異空間の感じだった。後で調べてみるとこれは、江戸時代の初期元和9年(1623)に八田野村の内蔵之助によって猪苗代湖の水を導く為に開削が始まった八田堰を起源とし、元禄6年(1693)に会津若松に達し、“戸ノ口堰”と改められたと云う歴史の古い用水路だった。
八幡配水池の門を過ぎると未舗装の道が西に分岐して下って行くと滝沢浄水場に達し、一箕中学校の横を抜けて住宅街に入った。坊主山の東端に達し稜線に突入するとすぐに墓地に出た。最上部に達すると堂ヶ作山と高山が遮るものなく見ることができた。樹林帯に入るとすぐに坊主山(261m)山頂で山頂標識が掲げられていた。展望はなく西に続く登山道を進み郷之原の車道に下った。続いて南側の大塚山の北西側に取り付いた。入口に「大塚山古墳」とあったので期待して登って行くと古墳の山は現代の墓地の山で登山道沿いに真新しい墓石が並んでいた。山頂部に到るとメインの前方後円墳と円墳が縦に並んでいた。前方後円墳の円墳部分が大塚山(270m)山頂で「大塚山古墳」の石碑の横に4等三角点「大塚山」が頭を少し出して埋まっていた。南に少し下ると熊野神社があり、其の下は墓地となっていた。
交番の横に下山し、南にある八幡神社に立ち寄った。平地かと思ったが、小高い丘の上にあり“八幡山”とか山名があってもよさそうだ。朝ごはんをしっかり食べていなかったので喫茶店を探したらコメダコーヒーを見つけ入ると店内は空いているのに10分余り待たされ、席に着いてからモーニングセットの出てくるのに30分待たされ、5分で食べなければならなくなってしまい急いでホテルに戻った。
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