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ハイキング
奥武蔵
車山(JR八高線 寄居駅から折原駅)
2021年05月14日(金) [日帰り]
- GPS
- --:--
- 距離
- 9.1km
- 登り
- 232m
- 下り
- 197m
コースタイム
天候 | 晴れ☀ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
*JR八高線 越生駅9:31発 高崎行⇒寄居駅10:03着 *寄居駅は八高線のほか、秩父鉄道の秩父本線(秩父線)、東武鉄道の東上本線(東上線)、の3路線の接続駅となっている。 <復路> *JR八高線 折原駅12:48発 高麗川行 折原駅(おりはらえき)は、埼玉県大里郡寄居町大字西ノ入にある、八高線の駅。高崎駅管理の無人駅。駅舎はなく、簡易な待合室があるのみで、自動券売機は設置されていないが、乗車駅証明書発行機が設置されている。入口付近に簡易Suica改札機がある。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
*ハイキングコースとは言え、道標が完備されている訳ではない。土地勘が無い人は地図必携。 *車山に登らない限りは、スニーカーで可。 *八高線のダイヤに影響されるルートなので、要確認のこと。 |
その他周辺情報 | *鉢形城:深沢川が荒川に合流する付近の両河川が谷を刻む断崖上の天然の要害に立地し、その縄張りは唯一平地部に面する南西側に大手、外曲輪、三の曲輪(三ノ丸)の三つの郭を配し、両河川の合流地点である北東側に向かって順に二の曲輪(二ノ丸)、本曲輪(本丸)、笹曲輪と、曲輪が連なる連郭式の構造となっている。搦手、本丸、二ノ丸、三ノ丸および諏訪曲輪には塹壕をともない、また北西側の荒川沿岸は断崖に面する。 初めて築城したのは関東管領山内上杉氏の家臣である長尾景春と伝えられている。その後、小田原の後北条氏時代に北条氏邦によって整備拡張され、後北条氏の上野国支配の拠点となったほか、甲斐・信濃からの侵攻による最前線として重要な役割を担っていた。その後、下野国遠征の足がかりともなったが、その滅亡とともに廃城となった。 また跡地の周辺には殿原小路や鍛冶小路などの小路名が伝わっており、小規模ながら初期的な城下町が形成されていたことが窺える。 *キハ110形200番台気動車) 1993年(平成5年)2月から製造が開始されたマイナーチェンジ車であり、100番台と同様普通列車用となっている。キハ110形50両、キハ111・112形2両編成21本の計92両が導入された。そのうち、キハ110形14両 (223 - 236) とキハ111・112形2両編成3本 (210 - 212) の計20両は、後述の300番台からの編入改造車である。新津運輸区、高崎運転所(→高崎車両センター高崎支所)を皮切りに、長野総合車両所(→長野総合車両センター)、小牛田運輸区に投入された。 |
写真
感想
夏日が予想される中ではあったけど、近隣である寄居のハイキングガイドにある「鉢形コース」、「車山コース」のエリアで、寄居駅から折原駅を歩いてきた。
*寄居駅を10:10スタート。正喜橋の先にある「鉢形城跡」、この辺り一帯は、のんびり寛げそうな公園になっている。車道を進み、八高線の踏切を越えて、「里の駅アグリン館」で珈琲ブレイク♪ 寄居運動公園の先で道を間違えて「常光寺」まで行ってしまう。景色がおかしい?とは思っていたんだけど、この地域は初めてだったので修正が遅れてしまった。
最短ルートを探して、県道294号線に戻る。このあたりのポイントは、BOSCHおよびサラ油研の工場になるかな?目印に適している。
*八高線のダイヤを気にしながらも、車山参道の道標から、民家脇の車山登山口へ。蜘蛛の巣の洗礼を受けながら、超ハイペースで登る。正味10分でたどり着いた山頂からは、鉢形城跡方面のみ展望が得られる。息が整ったところで即下山。
復路は、ロープ頼りに尻もちをつきながら往路を下る。(時間に余裕のない山歩きはいけません!)
何とか、折原駅には8分の余裕を以て、12:40に到着。車山でのランチ♪は、仕方なく駅ホームに変更。この駅トイレが無いので手を洗えない・・・。
何だかとってもドタバタしたけど、それでも楽しく満足感のある山歩きだった。
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