屋久島プチ縦走〜宮之浦岳〜縄文杉〜白谷雲水峡
- GPS
- 40:30
- 距離
- 20.7km
- 登り
- 1,363m
- 下り
- 2,081m
コースタイム
7:00淀川登山口着-7;30出立-9:30花之江河-10:00黒味岳との分岐点-12:30宮之浦岳-15:30新高塚小屋
12/31
6:30出立-8:00縄文杉-10:00大株歩道-11:00楠川分かれ-12:30辻峠-13;30白谷広場
天候 | 期間中はずっと曇り。加えて屋久島は雨が降りやすい地域なので、12/30は雨と風と霧、12/31は雨が霙に変わりました。寒さは、最低気温が0度かそれ以下、最高は5~6度だったと思います(山は)。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2008年12月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
12/30は霧の為視界不良でほぼ何も見えず。詳しくは感想で。宮之浦岳山頂付近は風が強すぎて若干危険でした。雪は降らず。ただ溶け残った雪は山頂付近の下りでちらほら見かける。 12/31は引き続き曇天。寒さが増し霙となる。前日同様アイゼンは必要なし。縄文杉目当ての観光客の多さに驚く。 |
写真
感想
(山は地図で見ても分からない。本で読んでも分からない。写真で眺めたものとも違う。自らの足で登り、自らの目で確かめる以外に山を理解することはできないのだ)
(新田次郎著「孤高の人」第一章 山麓より)
12/29
鹿児島に12時前到着。
その後シャトルバスで1時間、鹿児島市街・天文館通りへ。
あとで分かったのだがこの通りを鹿児島中央駅へ向けて歩くと登山用品店があった。ここでボンベ買えた…
その時は店が見つからず断念しトッピー(屋久島行きフェリー乗り場)へ。
最終(といっても15時台)に乗り西ノ表経由で屋久島・安房港へ。18時頃着。
この日は港を降りて坂を登ったすぐの左の所にある素泊り宿に
アポなしで泊まる。
部屋が埋まってて居間に通されてちょっとビックリ。同じような事考えて屋久島に来てる人が意外に多いのにもやや驚く。
近くのスーパーで万一の可能性に賭けてボンベを探すもあるわけもなく、取りあえず晩飯だけ買って、食って、早々に寝る。
12/30
朝6時、頼んでおいたタクシーが到着。いろいろ親切にしてくれた
宿のおばあさんに礼を言って後にし、タクシーで一路淀川登山口へ。
この時期、もうひとつ安房から行く事ができる(宮之浦からでも行けるが遠回り)荒川登山口もあるが、淀川にしておいた。特に理由はないが、
単純に、自分の足の速度と日程を考えると、荒川からだとどうしてももう一日
かかっちゃいそうなので。ちなみに次回来る時には、もう屋久杉は見ないで
荒川口から宮之浦岳〜永田岳〜のコースを狙っております。
7時頃、淀川到着。ちらほらと車が来ている。どうやら日帰りで宮之浦岳を狙っている観光客らしい。ちなみにタクシーの運ちゃんいわく、
「この時期途中ですれ違う車で、カップルが乗ってるのは、間違いなく縄文杉に行こうとして間違えてこっちに来ている。タクシーの後を追えばいいと思って来ちゃうんだよね」だそうだ。
バカップルよ、地図くらい買え。縄文杉は全然方向違うし、そもそも街が違うぞ。(白谷雲水峡から行くのが観光コースなのだが、白谷行くなら宮之浦から)
とりあえずカロリーメイトを腹に放り込んで、出発。この時点では天気はまだ曇り。まさかあんなに荒れるとは思わなんだ…
ほぼ予定通りの時間に黒谷岳との分岐点に到着(冒頭ph)。携帯電波が来る地点のようなので、とりあえず思いついた人にメールを送る。送られた方はなんだか分からなかったと思いますが。恐縮です。
11時頃から、霧と嵐が急激に強まる。視界が遮られて前も後ろもロクに見えないうえに、強い雨風がびゅーびゅー吹き付けてきて足を止めやがる。
この時点で雨合羽を着なかったのが失敗だったノ。雨がまだ大粒じゃなかったから、行けるかと思ちゃったんだよね。結果、15時半に新高塚小屋に着いた時にはビッチョビチョでした。
当たり前だが、上へ登れば登るほど、風はどんどん強まる。ほんの時折、太陽が申し訳程度に顔を出し、その瞬間だけは霧も晴れて、さすが世界遺産というだけの景観が一望に広がるのだが、すぐ隠れてしまって、再び霧と雨と嵐が容赦なく吹き付け、視界を奪う。
えっちらおっちらどうにか頂上に着いたのが12時半。若干遅いが、ここまではまあ予定通り。と自分を慰める。しかしこう霧がキツイと本当に景色が何も見えん!
しかも風が強すぎて座って休んでるのもままならない。吹き飛ばされるのは
まだ耐えられるとしても、体温があっという間に奪われてガタガタ震える。
そういえば途中で通った湿原・花之江河、ここも霧が濃すぎて足下くらしいか見えませんでした。なので感想の書きようがないです。
頂上の感動もそこそこに、これはとにかく今日の終着目標の新高塚小屋まで行って休まん事には埒があかん、それくらい嵐がキツイことにようやく立ち至り、一路新高塚を目指す。早く降りないとマジで吹き飛ばされそうだった。
途中永田岳との分岐点を通ったが、今回はパス。情けない話だが天気の悪さで若干気持ちがくじけたのと、なにしろ今回は、冬だというのに、ボンベがないのだ。ノアホですわな。ええ。しかし暖めなくても食えるものもそれなりに持っていたので、そこはさほど心配してなかった。酒も積んでたしね。無論屋久島の山だから許される話。島に着いた時もさほど寒くなかったのと、タクシーの運ちゃんの「今年はまだあったかいから(山に)雪も降ってないよ」の言葉で。
この辺から左足の脛にイヤ〜な痛みを覚え始める。たしかに、宮之浦岳のとくに下りのコースには解け残った雪が随所にあり(ということはやっぱり降ったのか?)、何度か足を取られてコケたが、それだけでもないようだった。
今回は一応雪山を想定して装備を持って行っていたので、靴も、いままで使ってたヤツよりさらにゴツい、完全雪山仕様の靴を初おろしで履いていっていた。この靴、たしかに防寒性は抜群だし、頑丈なのだが、とにかくカタい。
雪山仕様だからヤワじゃ困るのだが、にしても、カタい。しかも重い。
靴のホールドの部分なんてガッチガチで、それが脛に当たってズキズキと痛みを助長するのだ。
なんだか靴に捻挫させられたみたいな、妙な状態である。段々
無視できないくらい左足が痛くなってくる。ヤバイな。このままだと歩くのに
支障が出てくる。急がねば。新高塚へ!
15時半、新高塚到着。思った通りの時間。以前屋久島に来た時は、ここからさらに3kmほど歩いた所の、縄文杉のすぐ側にある旧高塚小屋に泊まったのだが、今回は新の方。新というだけあって、まだ建物も綺麗で、中も広い。
最大収容人数50人は伊達じゃない。(が、さすがに50人入るのは相当無理しないとキツいと思うノ)
しかし暖房設備は当然ナッシング。こっからが登山者の資質を問われる部分でもある。
今回は無駄な上着を持っていくのは極力避けたかったので、とにかく高い寝袋を新調した。といっても5万くらい。イヤ、充分高いな、おれにとっては。一応マイナス20Cくらいまでは耐えられる作りのようなので、「果たしてどうかな」と思いながら入ってみたのだが、しばらくすると、体がムンムンと暑くなってきた。小屋の外の気温は0Cくらいなのだが(という事は中も似たようなもん)、それでもムンムンで目が覚めるほどである。
ウーム、おそるべし寝袋。
「暑かったらジッパーを開けるとかして調節してください」と店の店員にいわれていたので、その通りにジッパーを1/4ほど開けて寝てみる。すると、ちょうど快適な状態に。ウーム、おそるべし店員。
ちなみにこの日は疲れていたので17時過ぎには早々と就寝。持ってった酒と魚肉ソーセージとつまみのスナック菓子を交互にグビグビボリボリやって腹をくちくして、一気に寝る。翌朝5時まで、時折目を覚ました分を引いても10時間は寝たはず。それでも左足の痛みは一向に引かなかった。
「おれは、ひとりでしか山を歩けない男なんだ。だからひとりで歩く、単独行なんか、いわば山における異端者のようなものだ。」
(「孤高の人」新田次郎著 第二章・展望より)
12/31
世間ではいわゆる「大晦日」。でも山にいるとそういう感じがしない。当たり前だ、TVも何もないのだから。
5時半起床。その少し前からうっすらと起きていたのだが、なかなか寝袋から出る気になれない。この辺は日常生活と何ら変わらん。第一、出たら寒いし。
えいやっと出て荷造り開始。食い散らかして寝てしまったので食料とゴミをすべてを片付け、ついでに朝飯を済ます。昨日の残りの魚肉と、あとこの場でひらめいた「山の即席栄養飯」。持ってきたカロリーメイトに、食うものがなくなったらペロペロ舐めようと思っていたピーナツバターを、べっとりとつけて頬張る。つまり「即席スニッカーズ」。だったらスニッカーズ持ってけという話だが、あっちはもうチョコがついてるから。こっちは、カロリーメイトの味の分だけ違いが楽しめるので。3種類しかないけど。
山ではそういう創意工夫も数少ない楽しみのひとつ。
寝袋も、最初買ったときは「この広げた状態から袋に戻せるのか?」と若干不安になったが、人間その時になれば必死の一念で大抵の事はできるもんで、無事収納しおえて、あとは残りの荷物をチャッチャと片して荷造り完了。
この時点で6時過ぎ。一人目が小屋を出て行ったのにあわせて靴を履き、まだ若干暗かったが、ヘッドライトを点けて6時半出立。
こういうのが冬山の醍醐味かー、としみじみ感じ入る。勿論南の島の冬だから本式ではないが、前日の雨と風はあまり好転していないようで、しかも夜明けの寒さと相俟って霙っぽい雪がパラパラと降っている。辺りには既にうっすらと積もっている。そんな中を一人白い息を吐きながらえっちらおっちら進んで行く。すごくいい気分だ。無論目的地があっての話だけど。ただ山ん中を彷徨いたいわけではないので。
旧高塚小屋を抜け、8時頃、縄文杉到着(冒頭ph左)。この頃もまだ空は霙のまま。にしても、天気悪いな。とにかく縄文杉を写真におさめる。ここも電波が来るようなので、前日と同じ人たちにメールで画像を送る。「テンション上がって送ってきてんのか?」と思ったかもしれませんが(それもある)、実際は自分の現在位置を手っ取り早く人に知らせるためです。なので気を悪くなさらず。
こっからは、朝起きた時から決めていたように、一気に白谷雲水峡を目指す。左脛の痛みが無視できる状態じゃなくなってきた。真剣に、歩くのに支障がでるくらい中でズキズキ痛みが腫れていた。
ちょっと、降り切れるか不安になるが、それを消し飛ばす。「アホか!! どんな地味なものであれ、単独行とはこういうもんなのだ。自分の体は最後まで自分で面倒見る、そうでなければ、真の単独行者とはいえない」。
ガシガシ歩き始める。しかし左足に負担はかけられないので、ステッキを松葉杖のようにして歩くしかなかった。
ここからの行程で驚いたのが、大晦日だというのに、縄文杉目当ての観光客の多さ! 前に10月に来た時と大差ないくらいだった。前日新高塚で隣の登山者に「僕は白谷の方から来たんだが、縄文杉目当てのとくにカップルが異常に多かった」と聞かされていて「面倒くせえなあ」と若干思っていたのだが、いざすれ違ってみると、カップルどころか、家族連れ、大人数のツアー客、年配夫婦、外人(外人は昨日の宮之浦岳頂上付近でもいた。世界遺産だからねー)の集団と、実に多種多様な人の群れが次から次へと登ってくる。みんな、以外と同じ事考えてるんだね。つうか、この時期でこんだけいるって事は、ピーク時(春〜夏)はどうなっちゃうのよ? と昨日の時点でタクシーの運ちゃんに聞いていたのだが、すると「その時期はもう宿がいっぱいになるんでキャンプ場にテント張って泊まってる人も多いですね」との事。
白谷から宮之浦行きのバスが11時台と14時台と16時台にあるので、後ろの2本に間に合わせようと、左足の痛みをなんとか騙し騙しウイルソン株を抜け(ガイドが客に説明している声。「なんでウイルソンって言うの?」「屋久島の自然を一躍世界に広めた人がウイルソさんという外人なんで。それにちなんで」とか言っていた)、トロッコ道(大株歩道)もなるべく止まらず歩き切り、荒川と楠川登山口の分かれ道へ。足を楠川へ向ける。
この時点で11時過ぎ。若干時間がかかっている。いっかい往復経験のある楠川をまた自分の足で通る事になるとは思いませんでした。看板にもある通り、こっから白谷はおよそ2時間。よし、なんとか14時台のバスには間に合うな。
登りになると尋常じゃない痛みが左脛を襲う。トロッコ道の段階ですでに左の靴はあま履きというか、若干紐の締めをブカブカにして履いていたのだが、それでも、痛え。どうなってんだっつうくらいに。その甲斐あって(?)間違いなく靴は足に馴染んできてるのだが。
予定より少しずつ足が遅れて行く。クソ。しかし足を休めているところへ通りかかった親子(母と娘)が、「太鼓岩ってどこですか?」「え、太鼓岩って、もうちょい前ですよ」と会話を交わし、その母娘が戻って行くのを見送ってから立ち上がって出立したらその母娘が、どうやらおれの後をついておれをナビにしようと目論んでいたらしく待っていて、無言でその横を通り抜けたおれは、「ここで歩けないのはカッコ悪いなあ」と思い、必死で平気を装って前を歩く。ガイドさんってこんな感じなのかね。
しばらくして太鼓岩の分かれ道に到着。「ここですよ」と教えてあげて、ようやく歩数が稼げた事に一安心。
結局、30分遅れの13時半に白谷広場到着。雨が凄い。にわか雨的などしゃ振りが間髪的に続く。あと、寒い! 歩いてる時は体が熱持ってるので気づかなかったが、止まると急に寒さに囚われる。本式の雪山はもっと寒いんだから、覚悟して準備せねば。14時過ぎのバスに乗って下山。
下山途中すれ違ったガイドに「今日明日と天気はもっと荒れるから、とくに明日はフェリー出ないかもよ。鹿児島は雪降るみたいだから」と言われていたので、慌ただしいがそのまま15時半台、宮之浦港からフェリーに乗って一路鹿児島へ。
19時頃到着し、既に真っ暗。何の見当もなかったが適当に歩いていたら4000円ほどの素泊まり宿を見つけたのでそこへ転がり込む。酒かっくらって、ガキの使いのスペシャルを見つつ、寝る。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する