【第三次三鎮作戦(宮城編)】金華山【己9.6】
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- GPS
- 01:17
- 距離
- 4.6km
- 登り
- 405m
- 下り
- 399m
コースタイム
- 山行
- 1:07
- 休憩
- 0:11
- 合計
- 1:18
天候 | 晴れ 遠く霞む 暑い |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
船
|
コース状況/ 危険箇所等 |
道の状況:震災や台風の影響未だ癒えず。 外海を小さな船で渡るので、大きく揺れる。船室内は炎天下で熱がこもり、大きく揺れる中、エンジンの排気が流れ込んだりして気持ち悪くなりかけた。そのため帰りは甲板上に席を占める。 |
写真
感想
日本の大地よ、静かなれ
太平洋よ、平らかなれ
被災者の御霊よ、安らかなれ
日本の民よ、健やかなれ
東日本大震災において特に被害甚大であった岩手・宮城・福島の名立たる山の頂より被災者の御霊安らかなれと哀悼の誠を捧げるシリーズの第三弾。そして打ち止め。
さて、震災直後の夏から三つの鎮めとして東北各地を回ってきたが、三年目ともなると山の選定が難しい。やはり海側の山から哀悼の誠を捧げたいと考えたときに、岩手はすぐに五葉山で決まった。福島は北側の霊山か南側の二ツ箭山かで迷ったが、直前まで仕事を抱えていたこともあり、いわきに決まり。宮城は、海側が仙台平野なので、山を探すこと自体が難しい。と思ったら、北側にあった。それは金華山。牡鹿半島の先端に浮かぶ小さな山である。霊験あらたかな山でもあるし、好適地である。
しかし、ここで問題が。震災の影響もあり、現在、船の定期便が毎週日曜日の往復各一便しかないのである。しかも、船が島に着いて、再度出発するまで余裕は1時間30分。山頂まで到達できるか不安はあったが、山頂に到達できるか否かよりも追悼する気持ちが重要であるということと、距離的には片道2Km程度で山頂に到達できる可能性はあるということで、最終決定。一応、山行がトレイルランニングになる場合に備えて、念のため靴はランニングシューズで行くこととした。
そして三日目。暑さで体力を消耗しているのか、単に眠りが浅かったからか、疲れを感じつつ目覚め、モソモソ朝食をとる。疲れてはいたものの唯一陸路で行けない所だ。この最後の締めとなる山行の成否が一連の東北山行の成否に繋がる。そう思い、早めに出発する。道路の状況もわからないことだし。そうしたところ、かなり早く到着してしまいそうだったので、一旦戻って遣欧使節の支倉常長出帆の碑のある展望地に立ち寄る。
降りてみると、こんな所にも仮設住宅がある。しかも、以前からあったであろう公衆トイレは利用できなくなっていた。インフラの整備が進んでいないのだ。その先、道路は地震等の影響で壊れた部分を急いで直したせいか一部盛り上がったり、盛り下がったりしているが、それでも一応補修はされている。しかし、道路まわりは、あのときの瓦礫が片付けられてはいるが、沿岸沿いに家の土台やブロック塀の一部が若干残る更地が続く。
震災から3年。復興の遅れに伴う苛立ちや軋轢が生じていることは周知の通りである。電車が数分おきに来て東京-大阪間は数時間、レストランに行けば注文したものがすぐに出てくるような現代においては、1000年に一度の大災害からの復興にも同様のスピードを求めてしまうのかもしれないが、やはりスピーディーにできるものとできないものがあるだろう。遅れの原因について精査し、一つずつ堅実に解決していくしかないのではないか。「遅い!ケシカラン!!」だけでは生産的でないどころか有害である
また、今や新聞・テレビ以外からも種々の情報を得られる我々には、マスメディアが絆の美名の下に報じないようなこともわかってしまうのであるが、いまだに帰りたくても帰れない方々がいるということは厳然たる事実として心に留めておきたい。
さて、船は鮎川港を1030時に出港して20~30分ほどで金華山港に着き、1230時に金華山港を出発するという。行く以上は頂上まで行きたいが、どうだろう?
船室内に入ると、真っ昼間ということもあり熱気が混もっている。これだけでも十分グロッキーになり得るのだが、外洋に小船で出ていくので波はそれほど大きくないように見えたが結構揺れる。たまに排気が流れ込んできて若干気持ち悪くなってしまった。金華山に行く時は船酔いに注意だ。
金華山港に着いて様子を窺いながら歩く。事前情報では神社からの送迎があるとのことで時間短縮できると期待していたのだが、すぐに満員になってしまった。仕方なく最初から歩くこととしたが、上からマイクロバスが降りてきていたので、大鳥居のところで待っていれば必ず拾ってもらえるだろう。
表参道を経て参集殿へ。用を足したあと時間を確認し、拝殿へと上っていく階段脇の道を進む。最初から走ると疲れるので、時間を見つつ歩きでは厳しくなったら走ることとした。しかし、若干早足で歩く。低山の割には沢伝いの道や石ゴロゴロ、草ぼうぼうの道、急な登りと変化に富み、早足で過ぎるのが勿体ない。また、真夏の真っ昼間の低山ということで、すぐに暑さにやられてしまった。船便が複数便になって他の道も修復されたら再訪して今度はゆっくり歩いてみたいものである。因みに大祭がある時等は船も複数便出る模様。
水神社で一息入れてペースを落として行くと八号目から海を眺め渡すことができる。やはり津波での殉難者が多いことから海の見える所でと考えていたが、遂に海に出会うことが出来たのである。感慨も深し。早速、息をきらせながら山頂に赴き、大海祇神社を介して深く海行かば水漬く屍の御霊安らかなれと哀悼の誠を捧げた次第である。
帰りは時間に余裕があったので、ゆるゆると下り、黄金山神社にも参拝できた。この神社は三回参拝するとご利益があるそうだが、島内の全コースを回ろうとしたら、そのくらい訪れることになりそうだ。金華山港帰着は1218時。何とか走ることなく山頂まで行き、無事戻ってくることができた。実にありがたいことである。今度は冬場にでも来たいものだ。海が荒れるかもしれないが。
かくして震災直後の夏から岩手、宮城、福島を毎夏一山ずつ合計9山域回らせていただいた訳であるが、どの山も素晴らしく、また、天気が荒れることもなく快く私を受け入れていただいたことは天寵と言う他なく、慰霊と地鎮に訪れた私がかえって心洗われることとなった。真にかしこき極みである。
また、これら一連の山行は「うつくしま」をはじめとする東北の素晴らしさ再発見の旅であった。三鎮作戦は本年をもって終了するが、今後も復興支援の心を抱きつつも、虚心坦懐に 美しいもの、素晴らしいものを見たいという心で3県に限らず東北・信越・北関東と各地を巡り続けていくこととなろう。
今日も暮れゆく異国の丘に
友よ辛かろう切なかろう
我慢だ待ってろ嵐が過ぎりゃ
帰る日も来る春が来る
今日も更けゆく異国の丘に
夢も寒かろう冷たかろう
泣いて笑って歌って耐えりゃ
望む日が来る朝が来る
(『異国の丘』より)
~宮城編・完~
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