記録ID: 3411057
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ハイキング
奥秩父
乾徳山と夢窓国師
2021年08月02日(月) [日帰り]
山梨県
体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 06:00
- 距離
- 8.2km
- 登り
- 1,196m
- 下り
- 1,203m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2021年08月の天気図 |
---|---|
アクセス | 徳和駐車場 平日朝8時半で5台くらい |
写真
感想
鎌倉時代から室町時代にかけてかけて、庭師としても有名な禅僧「夢窓疎石」が修行したとされる乾徳山。「乾徳」は「君主の示す徳」と恵林寺の乾(いぬ)の方角=北西の方角にあったことが由来だそうです。
恵林寺というのは甲斐武田氏の菩提寺として知られ、元徳2年(1330年)に夢窓疎石により開山された寺です。しかし天正10年(1582年)に織田・徳川連合軍に武田氏が滅ばされると恵林寺も焼き払われてしまいます。この時100人以上の僧侶が犠牲になったそうです。信長の死後、徳川家康が甲斐を領し、武田遺臣を庇護した家康は再び恵林寺を再建し、現在に至ります。
この寺にある庭園も夢窓疎石により設計され、国の名勝に指定されています。
他にも苔寺として有名な西芳寺、疎石が開山した天龍寺の庭園も設計しており、世界遺産に登録されています。
後醍醐天皇にその才覚を見い出され、崇められ、「夢窓国師」の国師号を下賜され、生前に夢窓・正覚・心宗、死後に普済・玄猷・仏統・大円と7度にわたり国師号を歴代天皇から賜与され「七朝帝師」と称されました。
乾徳山の近くにある国師岳や、乾徳山にある国師ヶ原十字路など夢窓国師由来の場所があり、夢窓国師飲んだとされる錦晶水や銀晶水など、未だにその名残を留めます。
しかし歴史ある乾徳山と夢窓国師について調べたのが下山後だったので、再び登り歴史を感じたい山の一つです。
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徳和乾徳山登山口(オソバ沢コース)ー国師ヶ原ー月見岩ー扇平ー乾徳山ー下山は月見岩から道満尾根
利用交通機関:
車・バイク、 電車・バス、 タクシー
技術レベル
3/5
体力レベル
3/5
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