厚樫山(阿津賀志山)に思いを寄せて藪をこぐ
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- GPS
- 00:17
- 距離
- 497m
- 登り
- 15m
- 下り
- 18m
コースタイム
- 山行
- 0:01
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:01
天候 | 曇り 朝方雨で藪はひどかった |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
その他周辺情報 | 道の駅「あつかしの郷」 |
写真
感想
国見町を訪れたときに、道の駅ではとにかく「阿津賀志山」推しでした。「阿津賀志山の戦い」の紹介がされている展示があったり、国道4号線に山を紹介する看板を設置したりしてあった。
そういう意味で心には残っていたのである。
さて、この日の朝は宮城県村田町の道の駅にいましたが、やはり夜半過ぎから雨、この日予定していた蔵王刈田岳+屏風岳の計画が吹っ飛びました。特に屏風岳は一等三角点百名山や宮城県最高峰であるので行きたいところではあったのです。
しかしながら雨は雨、諦めましょう〜諦めましょう、諦めましょう〜ララランララン〜♪(華原さんがこんな曲で過去に紅白に出ていたはず?)
結局、宮城県を去り、前日に覚えていたここをちょこっと覗くことにしたのでした。過去レコを見ると山頂近くに駐車場有で結構楽に行けそう。もう、雨が落ち着いてからはもう結構時間が経っている、新しく計画したとしても移動時間も考えれば難しいだろうと思った。
さて、厚樫山(阿津賀志山)といえば、鎌倉幕府軍が奥州征伐をしたときの激戦地であります。奥州側はここに大きい堤を作り鎌倉幕府軍を向かい打つが、やはり戦争慣れているのか、新しい武器やアイデアを多数持っていたのか、ここは鎌倉幕府軍が破ります。
結局、多賀城など後ろを守るお城も守りきれず平泉が落ちてしまい奥州藤原氏の滅亡を招いていく。そう、歴史上の分水嶺となった場所である。
山については、やはり夏に登る山ではないと思った。冬に登る山で、この時期は藪+蜘蛛の巣+降ったであろう雨による水滴という三重苦を抱えながら着実に進んでいく。ヘレンケラーも真っ青だ。
三角点までは辿り着き、山頂を極めたことにして一旦は車に戻る。藪が深すぎて目の前の展望台に近づくことはできなかった。
今度は道路を歩いてみる、地図には石碑があると書いてあるのだ。そして、そこには難なく到着した。戦争があってから800年が経過したという石碑であった。きっと、阿津賀志山の戦いのことなのだと思う。近くには神社、四阿などもあった。あとは、車に戻るだけである。
道の駅に戻り朝食兼昼食としてカレーをいただく。ちょうど阿津賀志山の堤防をモチーフにしているカレーである。それをいただき、残り1日になった休暇を栃木あたりで過ごすため更に南下して行った。
そして、次の日も朝に雨。
どこにも登ることができずに帰宅した。
本当ならば、太郎山や霊山、屏風山、小野岳あたりを登りたいと思っていたが一つも登ることはできなかった。でも、こんな日もあるさと思うしかない。そんな4連休でした。
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