富士山 船津口登山道探訪二度目
- GPS
- 04:15
- 距離
- 4.4km
- 登り
- 734m
- 下り
- 33m
コースタイム
天候 | ハレ時々高曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年11月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
地形図に載っている船津道の標高1700m〜2050m(精進口登山道の4合目)までの区間は道が不明瞭。シラビソやカラマツの針葉樹林を地図の道通り南西に向け進む。倒木は多いが、藪は薄く歩きやすい。精進口登山道は昭和三十年代までの簡易バス道路なので、失う事はない。四合目の建物は完全に倒壊している。 |
感想
前回5月に引き返した不明瞭区間を調べる。今回は下からではなく、スバルライン2合目付近の駐車場からスバルを少し下って、船津口道との交点から登る。
河口湖町の地元メンバー+村山道を探索した操八さんと、河口の玉枝さんも加わって進む。
操八さんに話を聞いて、修験道と富士講の時代的差異、変遷についてはじめて頭の中でまとまった。廃仏毀釈運動の矛先は仏教だけではなく修験道にも向かっていたこと、それでも修験道登山は戦中までは行われたが、途絶えたきっかけは太平洋戦争で男がいなくなったのが直接の要因だと。富士北麓の修験道史はまだまだ何も調べられていない。古い家の古文書がまだまだ眠っている。富士山世界遺産で紹介されているのは富士講や国家神道の面ばかり。より歴史の古い修験道史はまったく別とのこと。
富士北麓の船津口道の消えた変遷は、観光道路開発者や林業施業関係の資料をあたるべきだということ、図書館で古い新聞の縮刷マイクロフィルムを調べれば出てくる事実はいくらでもあるということを、教わった。ネットでカチャカチャやればなんでもわかると思ってはいけない。
今回、メンバーがスマフォのGPSで、国土地理院の地形図に残っている船津道と現在位置を表示しながら登ったが、図の通りに行くとシャクナゲの藪に阻まれたりして、道らしきものもわからなかった。
標高2000近くなると藪の無いシラビソカラマツ林になり、踏み跡のようなものが増え、落ちたらやばそうな大きな穴(噴気が抜けた穴らしい)がいくつも現れると4合目の元バス道に出る。
操八さんはここを何度か歩いているとの事。玉枝さんは中学生の時は旧バス道で三合目(桟敷山コル)まで来て、そこからこの精進口道を辿って小御岳まで行き、富士登山したという。
玉枝さんとゆっくり話したのは15年前のガッシャブルム以来。もう15年も経ってしまっていた。昨年か、新聞の連載記事で、玉枝さんの中学時代の苦労の話を読んだ話題になって、茅葺屋根の農家に住んでいた話をしてくれた。畑のこと、時代の事など話した。
一行は再調査のため来たルートの近くをまた下っていった。車は五合目に迎えが来たのでそのまま精進口道を五合目まで登った。気温が低く、歩かないと寒い日。バス道には雪が硬くなっていた。地下足袋では少々冷たかった。
コメント
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お疲れ様でした。
写真はないですかぁ〜?
動画撮影忙しく静止画無しです。
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