岩倉山・譲葉山・東峰・北峰・南峰・中峰・岩原山・行者山・東観峰〜 新靴でリベンジ
- GPS
- 05:41
- 距離
- 10.8km
- 登り
- 718m
- 下り
- 714m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2022年01月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
靴底パックンで断念の前回。新靴でリベンジ! 譲葉山(西峰552m)の他に行者山(415m)、岩倉山(489m)が鎮座します。1年半ぶりの3山。岩倉山の名は、神が座す磐座(いわくら)に由来すると言われ、山頂付近には神室が祀られています。また、譲葉山北峰にも2カ所に磐座(526m)(524m)があります。後者の磐座には、「天下泰平 文化一四年丁丑奉納」と刻まれた石碑があります(文化14年は1817年)。神様への供物である「譲葉」の山、修験者である「行者」の山、神を祀る「磐座(岩倉)」の山… 三山から浮かんでくるのは、山岳信仰です。
山から見て東方にある宝塚神社は、昭和41年に素盞嗚(すさのお)神社を合祀し、日吉神社の社名を改め現在に至ります。明治以前までは山王権現と称していました。神社のウェブサイトには「日吉の神(山の神)を勧請せられ、田園地帯には素盞嗚の神(田の神)が鎮座された」と紹介されています。また、譲葉山北峰は、「譲墓岳(ユツリハカ岳)」の別名があり、天保12年(1841)の古地図に記されています。この「譲墓岳」に関連して、六甲山の山名由来に関して、次のような伝説があります。香坂王(かごさかのみこ)は、応神天皇の異母弟の押熊王(おしくまのみこ)と神功皇后討伐のため、挙兵を試みますが、宝塚の亥の谷で赤い大猪に襲われ命を落としてしまいます。香坂王の亡骸は殉死した五人の家臣らと譲墓岳に葬られました。その際、六人の甲冑も埋められたので、六甲山(ムコ山)=武庫山と名付けられたというお話です。六甲山の名の由来は諸説ありますが、甲冑埋蔵伝説は、北峰二カ所の磐座の所在と相まって誠に興味深い限りです。
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