記録ID: 396793
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ハイキング
近畿
姫路城 から〜の 恒屋城
2014年01月19日(日) [日帰り]
![情報量の目安: S](https://yamareco.org/themes/bootstrap3/img/detail_level_S2.png)
- GPS
- --:--
- 距離
- 8.0km
- 登り
- 191m
- 下り
- 180m
コースタイム
溝口駅 〜 恒屋城 往復 歩数計で 14356 歩でした ( 誤差有 ) 。
天候 | 雪雪雪雪雪 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
姫路市香寺町字恒屋 ・ 交通 自動車の方は播但連絡道路の船津ランプ下車、 北西へ約 6 キロメートルで登山口 駐車場等詳細はコチラのブログを・・・ ↓↓↓ http://blogs.yahoo.co.jp/dfm92431/66797003.html 鉄道の方は JR 溝口駅より北西へ約 3 キロメートルで登山口 登山口より山頂までは徒歩で約 40 分 溝口駅前より登山口まで タクシーを使えば大幅に時間短縮が出来ます。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
アスファルトと整備された自然遊歩道を歩きます。 積雪凍結も有りましたがアイゼン等の必要性は感じませんでした。 運動靴でも特に問題は無かったです。 コース上にコンビニ無 ( 個人商店有 ) 。 溝口駅前の道を東に 10 分ほど歩いた所、 国道 312 号線沿にコンビニ有。 城山付近までは迷わずに行けますが、 駐車場 ( 5,6 台駐車可 ) 、登山口は分かりにくいです。 地図やナビ、ネットで調べるよりも 地元の方に聞いた方が早いです。 恒屋城 の西側すぐ向かいに 香寺荘 ( 温泉 ) 有り。 |
写真
目指すのは 棚原山 。
先日登った 雪彦山 から見えた山塊・・・
今回は
その何処かに登ってみたいな〜
っと思いまして・・・
駅前の道、
西側正面にど〜んと見えております〜
登山口まではタクシーを使うのも有りですね〜
先日登った 雪彦山 から見えた山塊・・・
今回は
その何処かに登ってみたいな〜
っと思いまして・・・
駅前の道、
西側正面にど〜んと見えております〜
登山口まではタクシーを使うのも有りですね〜
登山口に到着しました〜
小さな案内看板が数箇所に出ていましたが
ほとんど分からなかったので
地元の方に親切に場所を教えて頂きました〜
どうやら 恒屋城 というみたいですね〜
案内板より
頂上の北側が後城 ( 標高 236 メートル ) 、
南側が前城 ( 標高 199 メートル ) です。
この城は嘉吉年間 ( 紀元 1441 〜 1443 ) に
恒屋氏が築城し天正四年 ( 紀元 1576 )
羽柴秀吉のちの ( 豊臣秀吉 ) によって落城しました。
その折に恒屋氏は滅亡したようです。
城の遺構本丸、出丸、土塁、堀、など
中世の山城の典型的機構が残り
城の下には
堀をめぐらした居館跡も見受けられます。
小さな案内看板が数箇所に出ていましたが
ほとんど分からなかったので
地元の方に親切に場所を教えて頂きました〜
どうやら 恒屋城 というみたいですね〜
案内板より
頂上の北側が後城 ( 標高 236 メートル ) 、
南側が前城 ( 標高 199 メートル ) です。
この城は嘉吉年間 ( 紀元 1441 〜 1443 ) に
恒屋氏が築城し天正四年 ( 紀元 1576 )
羽柴秀吉のちの ( 豊臣秀吉 ) によって落城しました。
その折に恒屋氏は滅亡したようです。
城の遺構本丸、出丸、土塁、堀、など
中世の山城の典型的機構が残り
城の下には
堀をめぐらした居館跡も見受けられます。
うっすらと雪が積もっていますが、
運動靴でも大丈夫です〜
畝状縦堀や虎口、犬走りなど
いろいろな仕掛けが随所に施されており、
見所満載なのです〜
まあ、
あくまで素人の考えなのですが、
防御の薄い
北側から攻めれば
一発で落ちるような気もしますが・・・
秀吉はどうやって攻略したのでしょうか・・・???
運動靴でも大丈夫です〜
畝状縦堀や虎口、犬走りなど
いろいろな仕掛けが随所に施されており、
見所満載なのです〜
まあ、
あくまで素人の考えなのですが、
防御の薄い
北側から攻めれば
一発で落ちるような気もしますが・・・
秀吉はどうやって攻略したのでしょうか・・・???
一時的に雨水を溜めて
敵の侵入を防ぐ役割と
城で使う水を確保する役割を
果たしたそうな・・・
まあ、
素人の考えなのですが、
堀なら
城下を流れている
恒屋川を改良すれば良いし、
使用する水も
そこのを利用すれば良いのかと・・・
敵の侵入を防ぐ役割と
城で使う水を確保する役割を
果たしたそうな・・・
まあ、
素人の考えなのですが、
堀なら
城下を流れている
恒屋川を改良すれば良いし、
使用する水も
そこのを利用すれば良いのかと・・・
後城 に到着です〜
北側正面の三角錐の山は
大倉山 です〜
盗掘跡の小さな穴が有りますね〜
う〜ん、
また盗掘って・・・
そんな規模では行わないような・・・
もっと大きな穴か複数の穴になるはず・・・
単なる話題作りだけのような気がします〜
説明の看板も数年前まで無かったとの事なので
どっかの偉い人が適当に言った事を
そのまま記載しちゃったのかも・・・
あくまで素人考えですが・・・
戦国武将の財宝がどうのこうのという
割とスケールの大きな話なのに、
あまりにも
セコ過ぎるというか・・・
ショボ過ぎるというか・・・
そんな穴ですね~
北側正面の三角錐の山は
大倉山 です〜
盗掘跡の小さな穴が有りますね〜
う〜ん、
また盗掘って・・・
そんな規模では行わないような・・・
もっと大きな穴か複数の穴になるはず・・・
単なる話題作りだけのような気がします〜
説明の看板も数年前まで無かったとの事なので
どっかの偉い人が適当に言った事を
そのまま記載しちゃったのかも・・・
あくまで素人考えですが・・・
戦国武将の財宝がどうのこうのという
割とスケールの大きな話なのに、
あまりにも
セコ過ぎるというか・・・
ショボ過ぎるというか・・・
そんな穴ですね~
左上が 明神山、
右奥にうっすらと見えるのが
雪彦山 山域 でしょうか・・・???
秀吉クラスの武将なら
こんな小さな城くらい
スルーしても別に構わないのでは???
っと思ったりもしましたが、
眼下に中国自動車道が見えた瞬間、
ああ、昔もココは播磨と中国を結ぶ要所だったのかな〜
っと妙に納得をしました〜
右奥にうっすらと見えるのが
雪彦山 山域 でしょうか・・・???
秀吉クラスの武将なら
こんな小さな城くらい
スルーしても別に構わないのでは???
っと思ったりもしましたが、
眼下に中国自動車道が見えた瞬間、
ああ、昔もココは播磨と中国を結ぶ要所だったのかな〜
っと妙に納得をしました〜
前城 越し〜の、
姫路市内方面です〜
こうやって見ると
西側の防御もとても脆弱な気がします〜
ランドセルを背負った地元の小学生が
いとも簡単に登れる山なので
甲冑を纏った武士でも
容易に斜面を攀じ登れたかも・・・???
姫路市内方面です〜
こうやって見ると
西側の防御もとても脆弱な気がします〜
ランドセルを背負った地元の小学生が
いとも簡単に登れる山なので
甲冑を纏った武士でも
容易に斜面を攀じ登れたかも・・・???
装備
個人装備 |
ゴムゴムの実 1
|
---|
感想
本当は 棚原山 に登るつもりだったのですが・・・
ココロ惹かれる山に出会い、
ついつい寄り道を・・・
アクセスはあまり良くありませんが、
そのぶん訪れる人も少ないのでしょうか・・・???
隅々まできちんと整備されている、
とても美しい城趾でした。
景色も抜群でした。
竹田城がすっかり有名になってしまった今、
ココを < 新 ・ 天空の城 > と名付けても良いのでは・・・
っと思ったりでした。
〜 姫路市 HP より 〜
自然の山塊の頂上部を削平し、
土塁や空堀を築いた中世の山城である。
一説には長禄 2 年 ( 1458 ) 頃に築かれたとされ、
赤松家の家臣であった恒屋氏の居城であった。
一般に中世の城は、
見晴らしの良い高い位置に築かれる。
削平地には、いくつかの建物が建てられていたと推測される。
当城跡からは古瓦が採集されているため、
全国的にみても早い段階で瓦を用いた建築物が採用されたことがわかる。
http://www.city.himeji.lg.jp/s110/2212786/_5222/_5250/_5256/_8230.html
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