記録ID: 4046223
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ハイキング
近畿
信貴山から高安山 歴史巡り
2022年03月03日(木) [日帰り]
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体力度
2
日帰りが可能
- GPS
- 03:49
- 距離
- 8.5km
- 登り
- 433m
- 下り
- 429m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 2:44
- 休憩
- 1:03
- 合計
- 3:47
距離 8.5km
登り 438m
下り 441m
信貴山のどか村に停めて歩こうと思いましたが、木曜日は定休日で駐車場も閉まっていたので、信貴山朝護孫子寺の駐車場に停めて歩きました。
天候 | 晴れ&曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
特に危険な個所等は有りませんでした。 |
その他周辺情報 | 今日も真っ直ぐ帰りました。 |
写真
寅だらけ。
「敏達天皇11年(582年)に寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に四天王の一つである毘沙門天を聖徳太子が感得し、後にその加護によって物部守屋に勝利したことから、用明天皇2年(587年)7月3日に聖徳太子は自ら刻んだ毘沙門天を本尊として当寺を創建し、「信ずべき貴ぶべき山(信貴山)」と名付けたとする。また寺の至る所に張り子の虎が置かれているのは、その逸話に由来している。」〜と、Wikに出ていました。
「敏達天皇11年(582年)に寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に四天王の一つである毘沙門天を聖徳太子が感得し、後にその加護によって物部守屋に勝利したことから、用明天皇2年(587年)7月3日に聖徳太子は自ら刻んだ毘沙門天を本尊として当寺を創建し、「信ずべき貴ぶべき山(信貴山)」と名付けたとする。また寺の至る所に張り子の虎が置かれているのは、その逸話に由来している。」〜と、Wikに出ていました。
撮影機器:
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ソフトシェル
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
日よけ帽子
靴
ザック
サブザック
昼ご飯
行動食
非常食
飲料
レジャーシート
地図(地形図)
コンパス
笛
ヘッドランプ
予備電池
GPS
筆記用具
ガイド地図(ブック)
携帯
サングラス
タオル
ストック
カメラ
|
---|
感想
寅年と言う事で、寅のお寺 信貴山へやって来ました。
お寺山を参拝して、信貴山頂上から、高安山などを巡り、軽く一周して元の信貴山の駐車場まで戻ってくるルートです。
信貴山から、高安山へと巡る道中から少し脇へ入ったところに、高安城址倉庫礎石群があり、発掘調査の結果、掘っ立て柱の礎石で、いわば正倉院の様な高床式の倉庫が分散して6棟有り、穀物や、塩などを保管されていたとされています。
白村江の戦いに敗れた大和朝廷が、防衛のため、対馬の金田城、讃岐の屋嶋城、そして、こちら高安山には、高安城が築かれたと、日本書紀に記述されているそうです。
高安城に関しては、そんな記述は有りますが、実際の遺構などの発見には至っておらず、詳しい解明はされていませんが、667年に築かれた古代の山城で、タカヤスジョウと言うより、タカヤスノキが、その時代としては正しい読み方なんですね。
思いがけず、そんな歴史の一端に触れるウオーキングとなりました。
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