【甲府北山】湯村山 町会遠足
- GPS
- --:--
- 距離
- 4.2km
- 登り
- 164m
- 下り
- 149m
コースタイム
天候 | 晴れ 透明度高い快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年05月の天気図 |
アクセス |
感想
毎年恒例町内会の遠足、20人くらいで。カムナ古墳前の公民館からバラの見頃な水道みちを通って、饅頭森古墳の裏の住宅造成未遂のみちを登って湯村山へ。お向かいのケイコさんやよっちゃんと世間話しながらだらだら登頂。きょうは急な用事で妻と娘が参加できず、みんなにがっかりされてしまった。
この行事も発足当初は昭和30年代で、みんな若くて白山超えて千代田湖まで行ってバーべキュウしたそうだが、最近は高齢化していて湯村山登山まで。今回は推定最高齢のよっちゃんと黙り込むヒマ無くお話しながら歩く。当時カムナ塚周辺は一帯が田圃。始めに市が造成したのがウチ(借家)の列とケイコさんちの列で昭和27年、よっちゃんの家は33年に来たそうな。公民館前には井戸もあって、よく集まっていたそうだ。そのときこの一帯の大地主だった●●さんが市会議員に立候補するときに田圃を市に売って市が住宅造成をしたのが町の始まりだそうで、というような古くて元なまぐさかった話も。
その頃は塩沢寺の地蔵尊の御開帳の季節になると、恐ろしい八ヶ岳おろしの暴風が吹いて、雨戸も壊れるほどだったと。「やっぱり昔から人が住んでいなかった土地には何かあるねえ、とおとうさんと話したんだよ」。今は住宅が増えたせいか、当時ほどでもないようだけど、僕も一昨年引っ越して来た冬は風に驚いた。
あちこちの都市を住んできた。日本は戦後、どこの都市でも田圃をつぶして宅地造成を延々続けて来た。造成で入居する家族はどこの造成地もそれぞれ同世代なので、一緒に年を取って行く。時代が下った世代ほど郊外の、昔は住まなかったような造成地へと出て行く。どこも同世代だから、若い時始めたそんな行事が、年をとっても続いているのだなあ。この町は戦後最も早い時期だろう。主流は、60代後半〜80代だ。よっちゃんちの孫は今年就職して初給料もらってプレゼント贈ってきたとか。娘も息子も東京だ。
湯村山山頂からは富士山がくっきり見えた。先日登った南アルプスの笹山はこのあたりから西になると、見え始める。登らなきゃ、見つけられない気にもとまらない山だ。きょうは遠くまで尾根の形や樹相がよく見える、よく済んだ透明な空だ。
下りはよっちゃんのスピードが落ちたので、枝を使って杖を作って渡すとこりゃ楽だと喜ばれた。
公民館にもどってお弁当と豚汁を食べて解散。カムナ塚の上に登って、富士山と、農鳥岳や笹山、七面山、甲斐駒鳳凰と眺める。紫外線が強いが、涼しい五月だ。
午後は畑のトマトや茄子の花を見て、今年も巨大勢力になりそうな自生のカボチャに水をやる。
小さな山だけど、家から歩けるところに山があるってすばらしい。そこで近所の人と遠足できるのは素晴らしい。
コメント
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朝ドラ、たきぐちのほうとう
よねやまさんの紹介で甲府ファンになりました。
私が富士山をみるのは、今まで年に一回もなかったのに。山に行き出してよく見るようになりました。甲府からあんなに大きく見えるのにびっくりしました。
町なのに、いつでもあの景色の中に住んでいるなんて羨ましいです。
ここは晴天率が高いから、夏のムシムシ期間以外は、いつも富士山といっしょ感が強いですね。ちょっと見通しがきけばいつも見えます。山は低いところから見上げるより、向い合せに高い所からみると、ぐっと立って見えますから、富士山は山がちな山梨側から見たほうが格好良いのじゃないかなと思います。韮崎方面からが手前の御坂山地が遮らず、良い眺めだと思います。
多き口、なかなか行けない!
いいなあ山梨の生活。低い山も高い山もあって素晴らしい。仕事が有れば移住したい場所です。
腕にワザあればどこでも働けると思って、修行に励んでくださいまし!
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