下北半島 恐山 釜臥山(南東ルート)より宇曾利山湖


- GPS
- --:--
- 距離
- 9.9km
- 登り
- 778m
- 下り
- 684m
コースタイム
10:30時〜11時山頂
14:00宇曾利湖畔へ下山
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2009年09月の天気図 |
アクセス |
写真
感想
撮影しながら倍時間かけて登る。
釜臥山はむつ市の背景に圧倒的に聳える名山。陸奥湾をはさんで青森からもすぐわかるとがった山容も名山。恐山周辺はもちろん下北半島の最高峰。むつの大湊は明治海軍時代からの軍港。特徴的な砂嘴の中に、今日は軍艦が六隻停泊している。日米開戦前の大軍艦時代にはここにも戦艦武蔵が来たらしい。が、大湊線の列車では海側の窓は全部カーテンを閉めさせられたと云う話を、同行の佐々木さんに聞いた。今年90歳の母上からの話。
釜臥山の山頂には戦後米軍が作り航空自衛隊に移管した対空レーダーサイトが鎮座している。軍と原子力設備に占められた最果ての半島の姿だが、これも一つのありかただ。自転車に乗った水兵さんが行き交う町から山の下の南東斜面へ。
むつ山岳会の前田さんたちと登った。釜臥はスキー場から登る。ススキの斜面にはタデの赤い花が付き、秋の様相だ。樹林がないので軍港が丸見え。リフトや古いジャンプ台などを脇に見ながら、スキー場最上部の七面山まで一時間ほど。その先には古い岩洞を使った祠がある。これだけの容姿の山であるし恐山も近いからやはり岩木山のようにやまかけの人がいたらしい。今も数人ながらお山参詣の痕跡がある。
樹林帯に入り、ブナやナナカマドの急斜面を登ると山頂直下の安山岩の岩場の基部。ここにも参詣の名残がある。お宮の周囲だったと思われるところには、一文銭(寛永通宝)がいくつか落ちていた。
山頂直下のガレを登るともうレーダーサイトのある山頂。山頂の敷地の殆どはトゲ付きの高い柵で囲まれ、南側の幅2mほどだけが登山者の行ける山頂。祠にお参りするが後ろには巨大レーダービルがそびえる。丁度新築中で、古い球体レーダーが可愛く見えるほどビッグな十階建てくらいのビルディングが土建屋によって造られている最中。工事現場の騒音が聞こえてきたので早々に山頂を去る。山頂からは尻屋崎の桑畑山、下北の吹越烏帽子、かすむ八甲田あたりまで見えた。展望は抜群。大間で建設中の原発からの送電線が延々緑の半島を渡っていくのが見える。
不思議なものだ。数年前には最果てのこんな半島に登っているなんて想像も出来なかった。
下りは宇曾利山湖に降りる。しばらく自動車道を歩き、湖の南岸へ降りる道を教わった。巨大なブナとヒバ(ひのきあすなろ)の混交林で、下北の往年の森林資源はかくもと、彷彿させる森だった。青森名産の天然ヒバの樹林を歩くのは初めて。明治大正昭和と、この秀材を求めて、下北、津軽両半島の山間には森林軌道が網目のように延びていた。ヒバは倒木になってもなかなか朽ちない。
倒れたブナに付いていたブナハリタケと、ナメコを沢山収穫した。晩におみそ汁に。キノコに詳しい前田さんと石濱さんのおかげだ。
宇曾利山湖畔の歩道は人気が無くて良い。恐山の最もスピリチュアルな場所、霊場の方へは今回はパス。人が多そうだから。誰もいない冬にでも行ってみようと思う。宇曾利山湖(うそりやまこ)は恐山と同じ語源。もとはアイヌ語のオショロ(くぼんだ土地)との説もある。下北は江戸中期まで一部を除きアイヌエリアだった模様。
むつの町に出て名物の大湊海軍コロッケを買い求めようとしたが、お持ち帰り出来る店はどこも売り切れで残念だった。こうなるとますます食べたくなっちゃうなあ。海軍さんはやっぱりハイカラですなあ。
コメント
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yoneyamaさん、こんにちは
実は私、このレーダーサイトに2年程勤務していました。スキーを始めて覚えたのも釜臥スキー場。
ところで、yoneyamaさん、青森県の新郷村にキリストの墓があるって知ってますか?
あと、日本中央という石碑が七戸っだったかな?あるらしいのですが・・・
これまでヤマレコで釜臥山の記録書いてるのは確かaraigengaさんだけでしたよね。レーダー基地勤務だったとはびっくりです。もし窓があるなら、最高の展望の職場ですね。いま新築中の新しいレーダーになると無人化に近くなるそうですう。あのスキー場海に向かって滑る最高の場所ですね。冬にもっかい行ってみたいです。
キリストの墓、知ってますよ。お祭りもやっているんですよね。戸来(へらい)というヘブライに似た地名もあって。義経伝説はわかるけどキリストはいったいどんな由来でしょ。
私の職場に窓はありましたが、見えないようになっていた気がしますし、景色も見えない位置だった気がします。
キリストが日本に来たとは、にわかに信じられませんがヘブライ人がある時期に来たことはあるように思います。ナニャドラヤの踊りやら、相撲のハッケヨイやノコッタなどもヘブライ語だとか。ダビデの星の家紋が付いた家があるとか・・・
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