信州一周ー山と遺跡の旅3)上諏訪・塩尻


コースタイム
天候 | 雨のち晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2014年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
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写真
装備
備考 | GPS |
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感想
5時半、少し寝坊したので慌てて起き、散歩に出かける。二つの川を渡る。最初の川には蓮の花が咲いており、二番目は何もない。15分くらいで高島城に到着、敷地内に入り、お城の正面入口まで行くが当然ながら閉まっている。この城は廃藩置県後、いったん天守閣を撤去されたが、市民の再建への熱望から昭和45年に再建された。その際、文部省文化財専門員の大岡実博士が撤去前の姿を忠実に再現して設計されたそうだ。庭園・冠木門や石垣を見学し、湖畔に出る。百景園を散策し、湖畔の遊歩道を進む。9月には花火大会が盛大に行われるようで、駐車場などの準備があちこちで行われている。周囲の道路沿いに、袋掛けしている果実の木があったが、どうやら「かりん」の木らしい。朝の体操をしている市民を眺めながら間欠泉に出る。残念ながら噴出は午前9時半くらいからのようだ。ホテルに戻る途中、片倉館があり、製糸業で知られる片倉財閥が建設した地元住民のための温泉付きの福利施設で、国の重要文化財に指定されている。しゃれた西洋風建物でいつかここの温泉に入ってみたいものだ。ホテルに戻り、そのままホテルの大浴場の温泉につかる。この温泉はなかなか良い。源泉かけ流しと思われる。風呂から出て、すぐ朝食。バイキング方式で和洋二回りする。8時前に部屋に戻り、急いで荷物を詰め込み、少し遅れて8時過ぎにロビーに集合。レンタカーの到着を待つ。8時10分頃、車に乗り込み、8時20分頃、高島城に立ち寄り、再び見学、車に戻ってカメラのバッテリーを探すと、バッテリー充電器をホテルに残したことを発見、ホテルまで戻る。部屋に置き忘れていた。昨朝購入したばかりで、まだ見慣れていないようだ。車に戻って今度は諏訪大社上社に直行、上社を見学して、残りの女性組の到着を待つ。会員の別荘に宿泊していて、少し遅れているようだ。上社では9月二週目の週末から三日間、奉納相撲が開かれるようで、土俵づくりを地元の力士のような男性が準備していた。拝殿は現在修理中
「諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社です。
信濃國一之宮。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社総本社であり、 国内にある最も古い神社の一つとされております。
諏訪大社の歴史は大変古く古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあり、また日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したと書かれています。
諏訪大社の特徴は、諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がありません。代りに秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝しております。
古代の神社には社殿がなかったとも言われています。つまり、諏訪大社はその古くからの姿を残しております。
諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。また武勇の神として広く信迎され、現在は生命の根源・生活の源を守る神として御神徳は広大無辺で、多くの方が参拝に訪れます。(公式ホームページ)」
本殿はなく、上の守屋山に本宮、ご神体があるようだ。歴史的には
「神職−当社には、神体と同視される「大祝(おおほうり)」(= 現人神)のもと、五官の祝(ほうり)(神職)が置かれた。
上社
大祝(おおほうり):諏訪氏(神氏)
祭神・建御名方神の後裔。古代から代々、上社の大祝を務めた。中世には大祝を中心として武士団化した。上諏訪の祭政の権を握っていたが室町時代に兵馬の惣領家・祭祀の大祝家に分かれ、のち惣領家に統一された[20]。江戸時代には諏訪藩を治めたが、諏訪頼忠の四男・頼広が大祝家として分かれ、藩主家と異なる「諏方」の字を用いて書き分けた。居館は神殿(ごうどの)(現 前宮)のち諏訪市中洲」(Wikipedia)
とあるように、人が神であり、ご神体という大変変わったご神体の歴史を持っているという。御柱などについてもボランティアガイドが現れ、説明してくださった。博物館では再び詳しく解説があった。別荘組と合流し、諏訪市博物館へ。
同館では著名な民間考古学者の藤森栄一氏の親戚筋に当たる学芸員の藤森氏による展示解説が行われた。解説はまず、藤森英一氏夫人蔵の茶臼山遺跡の石器(二万年前)から始まり、続いて諏訪湖底から発見された曽根遺跡の大量の石鏃、縄文時代の蛇体装飾付釣手土器、顔面把手付など、有名な土器に関しての解説、
さらに信州への稲作の導入期の弥生時代から国家形成期の古墳時代の信州と畿内政権との関係を見るが、遺物としては水鳥形灰釉陶器が目を引く。また仏教渡来以降の神仏習合では諏訪大社と神宮寺の関係が面白いのだが、その末路は悲惨だ(廃仏毀釈)。武家の時代には諏訪大社が戦の神様に変身し、旧御射山遺跡や高島藩と諏訪大社との関係など、興味深い展示解説が続く。
最後に藤森栄一氏の業績を記念する展示に関しての解説。藤森氏や尖石の宮坂氏ら、信州出身の名だたる民間、大学の考古学者は多い。藤森氏の縄文農耕論は、その後関連科学分野の進展から紆余曲折を経て、新たな研究段階に達している。その他、様々な遺跡や地質に関する展示もあり、機会があれば、またじっくり見学したいものだ。
昼食後、塩尻に移動して平出遺跡博物館と同遺跡を見学して、夕方塩尻駅で解散、当方はもう一日、三ツ頭と野辺山の遺跡(矢出川=南牧村美術民俗資料館)と平山郁夫シルクロード美術館を見学するため、甲斐大泉の宿泊先に移動した。
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