御破裂山・談山(多武峯ロマンティック街道)
- GPS
- 05:40
- 距離
- 10.5km
- 登り
- 337m
- 下り
- 629m
コースタイム
10:10多武峯BS-10:20/10:50談山神社(参拝)-11:10談山-11:30御破裂山-11:50西口の分岐-12:30/12:50気都倭既神社(昼食)-14:00/14:30石舞台古墳(休憩)-伝飛鳥板蓋宮跡-飛鳥寺-蘇我入鹿首塚-甘樫丘-15:41飛鳥BS-16:00橿原神宮前駅
16:37橿原神宮前駅-17:07/17:09大和西大寺駅-17:42大阪難波駅
天候 | 曇り |
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過去天気図(気象庁) | 2009年11月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
談山神社周辺にはたくさんの土産店があります。 多武峯バス停から歩かれる場合は、バス停そばにコンビニがあります。WCもバス停前にあります。 談山から石舞台までの道中にはお店やWCはありません。 談山から気都倭既神社手前までは普通の山道です。登山靴までは入りませんが運動靴は最低限必要です。 |
写真
感想
山行タイトルに記した「多武峯ロマンティック街道」。この名を知ったきっかけは数年前のJRふれあいハイキングの紙面でした。
以来、いずれこの地を訪れようと思案してきましたが、ようやく念願叶って足跡を残すことができました。
多武峯ロマンティック街道とは、一般に紅葉の名所で名高い談山神社から明日香の石舞台までのコースを呼びます。詳しくは近鉄の「てくてくまっぷ・多武峯・飛鳥の里コース」をご覧下さい。http://www.kintetsu.co.jp/zigyou/teku2/teku-nara24.html
今回は冬野川沿いのコースを歩きました。
起点となる談山神社の由緒書きによれば、「飛鳥法興寺で行われた蹴鞠会において出合った中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)が、藤の花の盛りの頃、当社本殿の裏山で極秘の談合をされました。多武峯縁起によれば、『鞍作(蘇我入鹿)の暴逆をいかにせん。願わくば奇策を陳べよと。中臣連、皇子を将いて城東の倉橋山の峰に登り、藤花の下に揆乱反正の謀を談ず。』と記され、この談合により飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を討ち、中央統一国家及び、文治政治の完成という歴史的偉業を成し遂げられた。多武峯はこの後、談峯・談い山・談所が森と呼ばれるようになり「大化改新談合の地」伝承が残りました。」と書かれています。現在、この裏山が談山(かたらいやま)と呼ばれています。
また、談山の隣には、山頂に藤原鎌足公の墓とされる円墳が鎮座する御破裂山があります。御破裂山の山名の由来は「この山が鳴動すると聖霊院に祀られている神像が破裂すると伝えられている。神霊が国家の大事を戒告するものとされ、御破裂山と呼ばれている。」と御破裂山山頂の案内板に書かれています。
まさに多武峯ロマンティック街道との呼び名に相応しく、日本国家の礎を築いた古代ロマンあふれる名山を起点に今回の山歩きは始まりました。
冬野川沿いのコースは眼前に大和盆地と金剛・葛城の遠望を眺める絶景コースです。談山神社から気都倭既神社手前までは古代からの古道を思わせる山道歩きとなります。気都倭既神社からは舗装道となりますが明日香の里山の風景や名所名跡を見学しながらの道のりは決して飽きることのない素晴らしいコースです。無事に石舞台に辿りつき、しばし休憩した後に、大化の改新の舞台となったと言われる伝飛鳥板蓋宮跡、飛鳥寺、蘇我入鹿の首塚と散策し、最後は蘇我蝦夷・入鹿の館があった甘樫丘に登り飛鳥の里を一望し今回の山行を終えました。
甘樫丘では、「その時歴史が動いた」よろしく、この丘で栄華を極めた蘇我氏が、まさに眼前にそびえる談山で密かに蘇我氏討伐の謀が計画なされ、そして実際に大化の改新により滅びることになろうとは夢にも思わなかっただろうと、想いを馳せながら今回歩いた道のりを振り返っていました。歴史好きには夢のような時間を過ごせた幸せな一日となりました。
コメント
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むこうまき遺跡が卑弥呼となれば明日香も注目されてくるかもしれませんね。
明日香は紅葉より彼岸花のシーズンが好きです。圧倒される花畑になります。案山子コンテストも有りますからね。
kidekiさん
コメントありがとうございます。
巻向遺跡は当分騒がれそうですね。
今回も明日香は団体さんや外国人観光客でごった返していました。
個人的に静かな山歩きが好きなので、これ以上あまり注目されて欲しくないのですが、、、
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