JR松本駅
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JR松本駅
城山(じょうやま)公園案内板
天保14年(1843)に松本藩主戸田光庸(みつつね)が桜や楓を植樹し、一般庶民にも開放したのが始まりだそうです。明治8年(1875)には太政官布達公園の1つとなったそうです。
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城山(じょうやま)公園案内板
天保14年(1843)に松本藩主戸田光庸(みつつね)が桜や楓を植樹し、一般庶民にも開放したのが始まりだそうです。明治8年(1875)には太政官布達公園の1つとなったそうです。
犬甘城 五郭・城山稲荷神社
犬甘城は信濃守護・小笠原氏に仕えた犬甘氏の居城です。
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犬甘城 五郭・城山稲荷神社
犬甘城は信濃守護・小笠原氏に仕えた犬甘氏の居城です。
犬甘城 六郭・展望台
1550年(天文19年)の武田晴信による信濃侵攻の際には、犬甘大炊助が守っていましたが、馬場信房の計略で乗っ取られ廃城となったようです。
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5/17 7:09
犬甘城 六郭・展望台
1550年(天文19年)の武田晴信による信濃侵攻の際には、犬甘大炊助が守っていましたが、馬場信房の計略で乗っ取られ廃城となったようです。
犬甘城 一郭跡
江戸時代後期の1843年(天保14年)には松本藩主・戸田光庸が領民に公園として開放されました。
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5/17 7:16
犬甘城 一郭跡
江戸時代後期の1843年(天保14年)には松本藩主・戸田光庸が領民に公園として開放されました。
旧開智学校
明治初期に地元の大工が最新の洋風建築を模範とし、伝統技術を駆使して建設した学校建築です。
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5/17 8:10
旧開智学校
明治初期に地元の大工が最新の洋風建築を模範とし、伝統技術を駆使して建設した学校建築です。
旧開智学校
1961年から国の重要文化財として指定されていましたが、2019年に国宝に指定されました。
(耐震工事のため休館中で、外観のみ撮影しました。)
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5/17 8:11
旧開智学校
1961年から国の重要文化財として指定されていましたが、2019年に国宝に指定されました。
(耐震工事のため休館中で、外観のみ撮影しました。)
松本城 高麗門
信濃国守護小笠原氏が林城に居城を移した時、周辺に築いた支城の一つとして深志城を築いたのが始まりとされています。
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5/17 8:37
松本城 高麗門
信濃国守護小笠原氏が林城に居城を移した時、周辺に築いた支城の一つとして深志城を築いたのが始まりとされています。
松本城 本丸天守閣
小笠原長時を追い払った武田信玄は深志城を改修し、信濃攻略の拠点としました。
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5/17 8:42
松本城 本丸天守閣
小笠原長時を追い払った武田信玄は深志城を改修し、信濃攻略の拠点としました。
松本城 天守閣内部
武田氏滅亡後、徳川家康の援助を受けた小笠原貞慶が旧領を回復し、深志城を居城として城下町を整備した。
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5/17 8:52
松本城 天守閣内部
武田氏滅亡後、徳川家康の援助を受けた小笠原貞慶が旧領を回復し、深志城を居城として城下町を整備した。
松本城 天守閣より埋橋
この時、深志から松本と改名し松本城と称されました。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐の後、石川数正が十万石で封じられました。
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5/17 8:58
松本城 天守閣より埋橋
この時、深志から松本と改名し松本城と称されました。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐の後、石川数正が十万石で封じられました。
松本城 埋橋より見た天守閣
その後、小笠原〜戸田〜松平〜堀田〜水野〜戸田氏と変遷して明治維新を迎えました。
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5/17 9:31
松本城 埋橋より見た天守閣
その後、小笠原〜戸田〜松平〜堀田〜水野〜戸田氏と変遷して明治維新を迎えました。
松本神社 前井戸
松本は周囲の山々から生まれ出る清らかな水を地下に蓄えた町です。
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5/17 9:35
松本神社 前井戸
松本は周囲の山々から生まれ出る清らかな水を地下に蓄えた町です。
葵の井戸
今回はその一部を巡ってみました。
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5/17 9:41
葵の井戸
今回はその一部を巡ってみました。
北馬場柳の井戸
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5/17 9:43
北馬場柳の井戸
松本城 総堀跡
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5/17 9:53
松本城 総堀跡
大名小路井戸
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5/17 10:08
大名小路井戸
なわて若がえりの水
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5/17 10:17
なわて若がえりの水
下諏訪駅
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5/17 12:19
下諏訪駅
諏訪大社 下社秋宮
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5/17 12:33
諏訪大社 下社秋宮
諏訪大社 下社秋宮 御神湯
かなり温かいお湯がたくさん出ていました。
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5/17 12:34
諏訪大社 下社秋宮 御神湯
かなり温かいお湯がたくさん出ていました。
諏訪大社 下社 秋宮
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5/17 12:41
諏訪大社 下社 秋宮
諏訪大社 下社 春宮
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5/17 13:32
諏訪大社 下社 春宮
万治の石仏
この石仏を建立した願主が、万治3年(西暦1660年)と刻まれていることから、万治の石仏と称されました。
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5/17 13:43
万治の石仏
この石仏を建立した願主が、万治3年(西暦1660年)と刻まれていることから、万治の石仏と称されました。
温泉寺
歴代諏訪藩主の廟所を守る高島藩の菩提寺。創建は寛永17年(1640)、高島藩2代藩主諏訪忠恒が慈雲寺の泰嶺和尚を招いて開山したのが始まりと伝えられています。
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5/17 15:50
温泉寺
歴代諏訪藩主の廟所を守る高島藩の菩提寺。創建は寛永17年(1640)、高島藩2代藩主諏訪忠恒が慈雲寺の泰嶺和尚を招いて開山したのが始まりと伝えられています。
和泉式部の墓
平安時代中期の歌人である。越前守・大江雅致の娘。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。
全国に幾つかある墓のひとつです。
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5/17 15:55
和泉式部の墓
平安時代中期の歌人である。越前守・大江雅致の娘。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。
全国に幾つかある墓のひとつです。
高島藩主諏訪家墓所
第二代藩主忠恒仮御霊屋(天久院)の左右に3代〜8代歴代藩主のお墓があります
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5/17 15:57
高島藩主諏訪家墓所
第二代藩主忠恒仮御霊屋(天久院)の左右に3代〜8代歴代藩主のお墓があります
高島藩主諏訪家墓所
100基以上の石灯籠が並び建てられています。
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5/17 15:56
高島藩主諏訪家墓所
100基以上の石灯籠が並び建てられています。
高島古城跡碑案内板
2代目諏訪郡代となった長坂虎房が高島古城(茶臼山城)へ政庁を移しました。
その後、秀吉の武将・日根野織部正高吉は、茶臼山城に入りました。
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5/17 16:13
高島古城跡碑案内板
2代目諏訪郡代となった長坂虎房が高島古城(茶臼山城)へ政庁を移しました。
その後、秀吉の武将・日根野織部正高吉は、茶臼山城に入りました。
高島古城跡
天正二十年(1592年)新たに高島城の築城を開始、完成後移り、茶臼山城は廃城となりました。
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5/17 16:26
高島古城跡
天正二十年(1592年)新たに高島城の築城を開始、完成後移り、茶臼山城は廃城となりました。
上原城址の看板
築城年代は明らかではありませんが、室町時代後期の文正元年(1466)より諏訪信満が山腹に館を構え、山麓に城下町を設けました。
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5/18 8:36
上原城址の看板
築城年代は明らかではありませんが、室町時代後期の文正元年(1466)より諏訪信満が山腹に館を構え、山麓に城下町を設けました。
「諏訪氏上原城館跡」の石碑
天文十一年(1542)武田信玄は諏訪一族の高遠頼継と共に当地を侵攻しました。
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5/18 8:36
「諏訪氏上原城館跡」の石碑
天文十一年(1542)武田信玄は諏訪一族の高遠頼継と共に当地を侵攻しました。
「諏訪氏上原城館跡」の解説版
頼重は上原城を放棄し、北側にある桑原城に移りますが結局降伏しました。頼重は自刃させられて、諏訪惣領家は滅亡しました。
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5/18 8:37
「諏訪氏上原城館跡」の解説版
頼重は上原城を放棄し、北側にある桑原城に移りますが結局降伏しました。頼重は自刃させられて、諏訪惣領家は滅亡しました。
林道からの入り口
その後、上原城は武田氏による諏訪支配および信濃侵攻の拠点として整備され、
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5/18 9:05
林道からの入り口
その後、上原城は武田氏による諏訪支配および信濃侵攻の拠点として整備され、
2郭にある物見岩
天正十年(1582)の武田氏滅亡まで約40年間重要な役割を担いました。
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5/18 9:13
2郭にある物見岩
天正十年(1582)の武田氏滅亡まで約40年間重要な役割を担いました。
1郭内部
規模としてはそれほど広くなく、普段は中腹の板垣平で暮らしていたようです。
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5/18 9:15
1郭内部
規模としてはそれほど広くなく、普段は中腹の板垣平で暮らしていたようです。
3郭にある金毘羅神社
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5/18 9:27
3郭にある金毘羅神社
金毘羅神社からの眺め
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5/18 9:30
金毘羅神社からの眺め
頼岳寺境内の諏訪氏の墓所です。
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5/18 10:09
頼岳寺境内の諏訪氏の墓所です。
諏訪氏御廟所
開基の諏訪頼水:頼岳寺殿昊窓映林大居士
諏訪頼水の父、諏訪頼忠:永明寺殿光山宗湖大居士
諏訪頼水の母:理昌院殿玉英貞珠大姉
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5/18 10:11
諏訪氏御廟所
開基の諏訪頼水:頼岳寺殿昊窓映林大居士
諏訪頼水の父、諏訪頼忠:永明寺殿光山宗湖大居士
諏訪頼水の母:理昌院殿玉英貞珠大姉
頼岳寺
高島藩三万石の初代藩主、諏訪頼水公が諏訪氏の菩提所として開創したお寺です。
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5/18 10:12
頼岳寺
高島藩三万石の初代藩主、諏訪頼水公が諏訪氏の菩提所として開創したお寺です。
頼重院
頼重院は、諏訪大社上社の大祝を代々務める諏訪氏の総領 諏訪頼重の菩提寺として創建されました。
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5/18 10:27
頼重院
頼重院は、諏訪大社上社の大祝を代々務める諏訪氏の総領 諏訪頼重の菩提寺として創建されました。
諏訪頼重の供養塔
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5/18 10:28
諏訪頼重の供養塔
桑原城登山口
桑原城は築城時期等については不明ですが、桑原氏によって築かれたと伝わっています。
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5/18 11:07
桑原城登山口
桑原城は築城時期等については不明ですが、桑原氏によって築かれたと伝わっています。
入口からの林道
武田信玄が諏訪へ侵攻し、上原城の諏訪頼重を攻めると、頼重は上原城を焼き払って桑原城へ退却し籠城しました。
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5/18 11:07
入口からの林道
武田信玄が諏訪へ侵攻し、上原城の諏訪頼重を攻めると、頼重は上原城を焼き払って桑原城へ退却し籠城しました。
桑原城4郭下の堀切跡
その後、頼重は降伏し甲斐へ連行され、切腹することとなり諏訪氏は滅亡しました。
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5/18 11:26
桑原城4郭下の堀切跡
その後、頼重は降伏し甲斐へ連行され、切腹することとなり諏訪氏は滅亡しました。
桑原城首塚(東側下の郭)
桑原城はまもなく廃城となったと思われます。
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5/18 11:30
桑原城首塚(東側下の郭)
桑原城はまもなく廃城となったと思われます。
桑原城2郭から見た1郭
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5/18 11:33
桑原城2郭から見た1郭
桑原城1郭内部
小さな祠があります。
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5/18 11:47
桑原城1郭内部
小さな祠があります。
高島城土戸門跡
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5/18 13:18
高島城土戸門跡
諏訪護国神社
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5/18 13:21
諏訪護国神社
高島城 三ノ丸御殿移築裏門
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5/18 13:32
高島城 三ノ丸御殿移築裏門
高島城天守
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5/18 13:51
高島城天守
高島城 冠木門
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高島城 冠木門
本丸の石垣
石垣は野面積みで、稜線のところだけが加工した石を用いています。
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5/18 14:00
本丸の石垣
石垣は野面積みで、稜線のところだけが加工した石を用いています。
高島城角櫓
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5/18 14:03
高島城角櫓
高島城天守と堀
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5/18 14:06
高島城天守と堀
高島城 冠木橋
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5/18 14:08
高島城 冠木橋
三之丸湯跡
七代藩主の頃に藩主専用の温泉浴場が建てられました。明治には士族の入浴が許され、大正時代に入ると一般民も利用していました。
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三之丸湯跡
七代藩主の頃に藩主専用の温泉浴場が建てられました。明治には士族の入浴が許され、大正時代に入ると一般民も利用していました。
八重垣姫像
八重垣姫は人形浄瑠璃の演目「本朝二十四孝」に登場するヒロイン。
上杉謙信の娘・八重垣姫は、婚約者・武田勝頼のために兜を持ちだし諏訪湖を渡る。
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5/18 14:37
八重垣姫像
八重垣姫は人形浄瑠璃の演目「本朝二十四孝」に登場するヒロイン。
上杉謙信の娘・八重垣姫は、婚約者・武田勝頼のために兜を持ちだし諏訪湖を渡る。
諏訪大社 上社 本宮
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諏訪大社 上社 本宮
諏訪大社 上社 本宮 明神湯
明神湯は諏訪明神ゆかりの温泉とされ諏訪温泉の源泉とも伝えられています。
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諏訪大社 上社 本宮 明神湯
明神湯は諏訪明神ゆかりの温泉とされ諏訪温泉の源泉とも伝えられています。
諏訪大社 本宮 大鳥居
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諏訪大社 本宮 大鳥居
諏訪大社 本宮 神楽殿
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諏訪大社 本宮 神楽殿
上社前宮 阿像(獅子)
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上社前宮 阿像(獅子)
諏訪大社 上社 前宮
御祭神が最初に居を構えられ、諏訪信仰発祥の地と伝えられています。
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諏訪大社 上社 前宮
御祭神が最初に居を構えられ、諏訪信仰発祥の地と伝えられています。
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