記録ID: 5578645
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ハイキング
関東
鎌倉街道中道支道(千歳通り十字路〜天沼)
2023年06月04日(日) [日帰り]
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体力度
1
日帰りが可能
- GPS
- 03:40
- 距離
- 13.6km
- 登り
- 7m
- 下り
- 11m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2023年06月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
ほとんどが舗装路です。 |
写真
光明院の泣きべそ地蔵。小張吉兵衛さんが、両親と奥さんを相次いで亡くし、悲しみを紛らわすためにお地蔵様を建てたところ、だんだんと悲しみの顔にかわり、ついに泣きべその顔になったと言われている。
光明院。和銅元年(708)の創建で、付近一帯に繁茂している蘆荻(ろてき)を刈って草堂を造り、行基作の観音菩薩を安置し、草堂を荻寺と名付けたという。それ以来この地一帯が荻窪と称するようになったとしている。
天沼熊野神社。祭礼で大賑わい。創建には二つ説があります。一つは奈良時代。東海道巡察使と呼ばれる地方監察官がこの地に来た際、氏神を勧請したのが始まりとされている。もう一つは鎌倉時代。新田義貞が北条高時の討伐のため進軍中にこの地に陣をしき、社殿を創設したと伝えられている。
早稲田通りの合流点にある地蔵堂。ここに建立されている石塔は、元禄10年(1697)の庚申塔及び宝永7年(1710)・享保7年(1722)の地蔵塔並びに、正徳5年(1715)の阿弥陀塔計4基がある。石塔の前の道は、かつての所沢道、左側の道は天沼から青梅街道に通じる旧道(歩いてきた道)。
感想
以前に歩いた鎌倉街道中道支道(上北沢〜新中野)と鎌倉街道阿佐ヶ谷道(西永福〜豊島園)の間を鎌倉街道で繋げるために歩きました。Webで資料が見つからなかったので、芳賀善次郎著「旧鎌倉街道探索の旅 中道編」p104〜p112を参考にしました。高田馬場まで歩く予定でしたが、時間が遅かったので、きりのいい早稲田通り合流地点で終了としました。石仏石塔は少なかったが、歴史のある神社仏閣が多くあり楽しく散策することができました。本日も楽しい鎌倉街道歩きでした。
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