【京都】比叡山・桂谷川の謎の岩場(いにしえの石切場跡,発見?)
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- GPS
- --:--
- 距離
- 4.2km
- 登り
- 399m
- 下り
- 399m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自転車
車の場合,意外に停める場所を見つけるのに苦労するかも。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
自宅近くの鴨川河川敷からよく見える,比叡山の中腹にある白く輝く岩場らしきもの。 あれは何だろう? と長いこと気になっていましたが,今回ついに現地を見てきました。そこでちょっとした発見が…。 【比叡山西面・桂谷川】 ・ 高野川の小さな枝谷で,御蔭祭りで有名な御蔭神社のすぐそばから比叡山(四明岳)西面に突き上げている。小規模な谷なので大した悪場があるわけではないが,3段10mくらいの滝をはじめとしていくつか小滝があり,谷幅が狭まり水に浸からざるを得ない箇所もあるので,谷通しに行くなら登山靴より沢靴or沢足袋のほうが安全。 ・ この谷の詰めは,ザリザリに風化した花崗岩の急斜面となる。ルートを慎重に選べば大丈夫だが,安易に踏み込むと滑落の危険があるので注意。 |
写真
矢穴の刻まれた石が存在するという事実から導かれる結論は一つしかない。予想通り,ここは古い白川石の石切場だったのだ。
感想
仕事やら家の用事やらで,なかなか山に行けない週末が続いた。今季もう一回は磯谷に入りたいと思っていたのだが,仕方がない。
しかも昨日(土曜)は熱を出して寝込んでいた。今日の朝,目が覚めたら熱が引いていたので,いそいそと山へ。時間がないので地元の山へ。
比叡山は,もちろんいろんなコースから何度も登っているし,お寺のほうの比叡山(延暦寺)も何度も参拝したことのある親しみ深い山だが,自宅近くの鴨川の河川敷からこの山を毎日のように眺めて,一つ気になっていたことがあった。比叡山の中腹のあたりに,白く輝く「岩場らしきもの」があるのである。穏やかなイメージのあるこの山にこんな地形があることが気になり,一度現地を見に行ってみたいと思っていた。
ただ,この「岩場らしきもの」の正体について,全く想像がつかなかったわけではなく,一つだけぼんやりとした憶測があった。もしかしたら,これは古い石切場の跡なのではあるまいか,と。
比叡山や瓜生山,大文字山といった京都東山の山々が,かつて「白川石」と呼ばれる花崗岩の石材の一大産地だったことは,この山域を歩いているハイカーであればご存知の方も多いのではないかと思う(清沢口石切場とか,有名な石切場跡には,案内板も立っていることだし)。古くは平安京の時代から,下っては昭和初期くらいまで稼働しており,京都周辺の寺院建築や作庭などを支えたと言われる白川石の石切場群。比叡山の中腹に眺められる「岩場らしきもの」も,かなり規模が大きそうに見えるし,この石切場跡の一つなのではないか。いや,一つだったらいいなぁ。そんな淡い期待を抱きつつ,この「岩場らしきもの」があると思われる比叡山西面・桂谷川の上流に行ってみました。
結果,本当に「矢穴」のついた岩を複数見つけてしまい,びっくりしたのは記録のとおり。「矢穴」とはクサビを打ち込んで岩を割る古い技法のことで,この痕跡のある岩が転がっているということは,その場所がかつて石切場であったということに他ならない。表面がザリザリに風化した急な花崗岩の谷を慎重に遡り,やがて辿り着いた源頭部の大きな花崗岩の崖地から振り返ると,毎日あの白く輝く「岩場らしきもの」を眺めていた鴨川の河川敷が良く見えた。「岩場らしきもの」は,この花崗岩の露頭だったのだ。しかもその正体は,うっすら期待していたとおり,白川石の石切場跡であった。
ちなみに,ネット上で浅く調べただけなので勝手なことは言えないが,この桂谷川源頭部の石切場跡について記載されている記事なり資料なりを今のところ見つけられていない(比叡山南面の音羽川流域の石切場跡についてはよく記事を見るのだが)。もしかしたら,これまで忘れられていた,古い時代の石切場なのではないか。などと期待してしまうのだが,もしこの石切り場跡について何かご存じの方,是非ご教授ください!
さて,そこで気になるのは,この桂谷川の源頭部にある石切場跡は,一体いつ頃稼働していたものなのか,ということだ。
まず,昭和初期以前(おそらく大正時代より古い)のものであることはほぼ確実であると思われる。というのも,写真欄の3枚目に掲載した通り,明治42年測図・昭和6年部分修正の測量図において,今回探索した箇所には採石場の記号が描かれていないからだ。というより,採石場の記号はおろか,崖記号さえ描かれていない。上で触れた比叡山南面の音羽川流域の石切場については,現役の石切場に採石場の記号が記されていることはもちろん,廃止された古い石切場と思われる箇所についても,その跡地を表す崖記号がしっかり描かれているにも関わらず。ということは,「ここに廃止された古い石切場があった」という事実さえ,昭和初期当時において既に忘れ去られていたことになるのではないだろうか。
さらにもう一つ。矢穴の大きさは,時代が古いほど大きく,新しくなるにつれて小さくなっていく傾向があるらしい。江戸時代初期くらいのものは上部の長辺8〜12cm,短辺5cm,深さ6〜10cmで,18世紀後半まで下ると上部の長辺6cm,深さ5cmくらいとのこと(参考:滋賀県文化財保護協会コラム「調査員のおすすめの逸品 285 割られた石材・割られなかった石材−彦根市荒神山の矢穴の残る石」)。今回見た矢穴は結構大きく,上で言う江戸時代初期くらいのものに似ている気がした(測ったわけではないので,あくまで感覚ですが)。ということは,今回見つけた石切場跡は,それより下らない時代に稼働していたもの,ということになるのだろうか。もちろん,ネットでちょちょっと調べただけなので,あまり憶測を逞しくしないほうがいいと思うのだが,しかし今回見た岩場の風化の激しさから言っても,かなり古い時代のものなのではないか,というのが個人的な感想です。
【追記】今回見つけた矢穴石、yjinさんもこの谷に入られた際に目にされたことがあるそうです。やはりご存知の方はご存知なんだなぁ…脱帽!
あとはこの谷にあったと思われる石切場跡に関する資料が見つかればいいのですが、それはまだ見つけられていません…。
コメント
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何か見覚えのある矢穴石と思ったら、2022年1月10日に私が見た石と似ていますね。同じ石かも知れません。あの谷は詰めれば詰めるほど嫌らしい谷でした。
矢穴の寸法についての知識は無かったので今後の参考になるかと思います。
有用な情報、有り難うございます。
矢穴のある石は比叡山は勿論、大文字山でも幾つか見た事があります。今後は寸法を測って思いを馳せ様と思います。
お久しぶりでございます! yjinさんもこの谷を詰められたんですね〜。同じ石を目にされていたとは、驚きました!
この谷に存在していた(と思われる)石切場跡について、もし情報などに接せられる機会がありましたら、ご教授いただけますと幸いです🙇
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