(年末年始遠征その20) 笠置山にて奇岩と後醍醐天皇に思いを馳せる
- GPS
- 00:55
- 距離
- 1.5km
- 登り
- 81m
- 下り
- 78m
コースタイム
天候 | 雨のち晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
笠置山、笠置寺、確かにここは歴史の一ページになっている場所だ。飛鳥時代に創建されたこの古刹は、崖大仏などの名所を有し、信心深い人がたくさんここを訪れたはずだ。
さて、笠置山となるとどうしても書かなければならないのは、後醍醐天皇をここに匿ったことで鎌倉幕府軍に攻められ、全山焼失してしまい後醍醐天皇も着の身着のままの状態で捕えられてしまったという歴史の事実である。
後醍醐天皇が鎌倉幕府追悼計画を1330年ごろにはある程度具体的に立てていたところであるが、それが密告により鎌倉幕府側に知ることとなった。鎌倉幕府側は追悼令を出し大軍を京都に向けて発出させた。後醍醐天皇は笠置寺に入るとともに、さまざまなところで戦を起こさせ、鎌倉側の兵の分散化を図ったが、鎌倉軍97000に対して後醍醐天皇軍2700では勝負にならず、結局笠置寺は全山焼失、天皇は捕えられてしまったということである。
なお、後醍醐天皇については、ここで討たれて亡くなったではなく、天皇位を廃され隠岐島に流されます。その後島を脱出し、足利尊氏らと軍勢を引き結局は、鎌倉幕府軍を破ることになります。そして建武の新政を行うんですが、それも武家の反感を招き頓挫することになります。
結局、京都を離れ、吉野に逃れ、自分の息子たちを南朝として皇位継承していくことになります。つまり、笠置寺で1時的に敗戦した事は彼のそれから行ったことや、仕事に関してそんなに影響がなかったように思います。
しかしながら、この笠置寺・笠置山はいまだに歴史を感じさせてくれる場所でありますし、たくさんの人に訪れて欲しい場所でもあります。
私はそこを出た後、京都南山城の道の駅でソフトクリームをいただき、そのまま高速道路に乗りました。結局辿り着いたところは道の駅「とよはし」で、豊橋カレーうどんをいただいたのでした。
そして、そのまま、道の駅で夜を明かしたのでした。
次の日から二日間は豊橋をベースとして行動したいと考えています。
コメント
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自分も先月笠置山に行きました。笠置山の三角点峰が笠置寺とは別に有ることは後で知りました😩
昨年、吉野の御陵や伯耆船上山に行った事もあり、吉川英治の私本太平記を読み直しているところです。以前は後醍醐帝に好感を持っていたのですが、バイタリティの強さと余りの身勝手さに少々反吐が出そうです。色々読み漁るにつれ毀誉褒貶の激しい方だなと感じました。
笠置山も船上山も行宮は推定地だそうです。当たり前ですかね。
松本楼の雉料理は意外に手頃で美味しかったですよ。
数年前でしょうか?ここを通過していったことを本当に残念だと思っていて、今回関西で行くのだったらここにしようと決めたのでした。
後醍醐天皇については調べていくたびに、本当に自分の理想を貫きたく、そのためにはみんなが協力してくれて当たり前という考えから外れることがなかったように思います。それにより様々な人に追い立てられたり、裏切ったり裏切られたり、でも、その執念だけは人並みならぬものを感じました。
自分の身に周りにいたら困ってしまいますが、どこかにそういう人の存在はあるのでしょう、そう思えてしまいました。
aideieiでした。
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