【京都】嵐山をぶらりと
- GPS
- 01:59
- 距離
- 5.6km
- 登り
- 366m
- 下り
- 360m
コースタイム
天候 | 曇りのち晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
感想
そうだ京都、行こう。
というキャッチコピー の通り、ふと思い立って京都まで足を運んで来た。
有名どころの観光地は過去に何度も回ったので、やはり今日もスタンスを変えずハイキングを楽しむことにする。
向かう先は、京都市西部の嵐山だ。
平日早朝の渡月橋はがらんとしている。まだ店ほとんどが開店していない。
さっきまで雨がポツポツ降っていたが、すっかり晴れてきた。これはチャンスだ。
阪急嵐山駅から南西へ歩くと、住宅街の隙間に細い道があり、京都一周トレイルと書かれた道標が立っている。
今日はここから嵐山までピストンする。
嵐山ときいて思い浮かぶのは麓の方だが、嵐山という山もちゃんとある。
このまま烏ケ岳を通って保津峡まで行くコースも考えたが足の負担を考えて、嵐山までとした。
登り始めはなだらかで、よく整備された林道のような道になっている。しかし昨日まで雨が降っていたため泥が夥しい。落ち葉もありスリップに注意する。
スギは生えていないため花粉症の心配もなく気持ちよく登れるのが良い。シダ植物がもっさりと生えている。
木々の隙間からは嵐山の街並みが見える。
所々で眺望スポットがあり、渡月橋を上から俯瞰できる。こうしてみると、古い日本家屋が多く並び、景観に力を入れていることがわかる。
登り始めから二十分ほどで最初のピーク、松尾山に着く。標高は275m。
ここからは斜面が緩やかになり、足の負担は軽くなるものの道幅の狭いトラバースが続くので油断は出来ない。
また、標高300m付近のところで突然、角度が急になり足取りが重くなる。
急登を乗り切ると、今日の目的地の嵐山に着く。
標高は382m。超低山ではあるが、ここまで一時間はかかった。
山頂には特に標識も三角点も見当たらず、ただのピークにしか思えない。
しかしただのピークにあらず。
この嵐山一帯には、かつて城が建てられていたようで、細川氏の被官・香西元長が城主であった。
香西元長と聞いて思い浮かぶのは、1507年の永正の錯乱だろう。
室町幕府の重鎮・細川京兆家。その当主であった細川政元は、魔法に没頭し子を持たなかったため、三人の養子を後継候補とした。どうなるかは明らか...跡目争いが起きる。
後継候補のうちの一人が、関白九条家出身の細川澄之で、彼を擁していたのが香西元長だったのだ。
しかし、優勢に立っていたのは阿波守護家出身の細川澄元であった。彼を擁する三好之長も政元に重用され、香西氏の旗色は悪くなる。
(同じ細川家の被官ながら、三好氏と香西氏は仲がすこぶる悪かった。)
事態を恐れたのか、香西元長ら一派は魔法の鍛錬中であった政元を暗殺し、澄元や三好氏を近江に追放した。これが永正の錯乱である。
香西氏のクーデターは成功かと思いきや、あっさり澄元派の反撃を受け、澄之は自害に追い込まれ香西氏自身も討死し、計画は失敗に終わる。この戦いで嵐山城も落城したとされる。
嵐山といえば紅葉シーズンの華やかなイメージが浮かぶが、五百年ほど前は血みどろの内乱が行われていたのだ。
...と、今は特に何もない嵐山山頂に思いを馳せつつ、少し休憩をしたあとこのまま下山し、来た道を辿っていく。
帰り際に外国人組とすれ違う。このトレイルもガイドに乗っていたのだろうか。
麓へ着いた後は、そのまま阪急嵐山駅の電車に乗り帰路に着く。
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