高取山(大島)
- GPS
- 02:54
- 距離
- 5.9km
- 登り
- 418m
- 下り
- 411m
コースタイム
- 山行
- 2:35
- 休憩
- 0:19
- 合計
- 2:54
天候 | 晴れのち曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
https://www.city.imabari.ehime.jp/sports/shisetsu/ishibunka/ 村上海賊ミュージアム https://www.city.imabari.ehime.jp/museum/suigun/ |
コース状況/ 危険箇所等 |
●北尾根(仮称) 池の奥の道を入っていくと小屋と沼があり、北尾根に取り付くことができます。そのまま尾根を登っていくと山頂に到達します。 ●西尾根(仮称) 尾根の山麓側に竹林があるため取り付き地点が不明瞭ですが、尾根の途中には印が何箇所もあります。分岐点で北尾根に合流します。 ●山中に「いのしし用くくり罠」が仕掛けてある可能性があります。 ●登山道は整備されていないので、一部ヤブになっている箇所があります。棘に注意 |
写真
感想
大島の高取山へ行ってきました。
今回は宮窪石文化運動公園に車を停めてしばらく道路を歩き北尾根から登って南尾根へ下山しました。ついでに別のルート(西尾根)も調べました。
下山後、村上海賊ミュージアムを見学しましたが、当該ミュージアムのライブラリーの宮窪町誌を閲覧していると下記の記載がありました。高取山の神社は金毘羅さんが祭られていたようです。
quote
金毘羅大権現
宮窪町内に祭られている神社は、普通小高い丘や余り高くない山の中腹などに祭られているが、金毘羅さんは町内で二番目に高い標高251.1メートルの高取山頂に祭られている。
いつごろ誰によって勧請されたか、伝えられる記録はなく不明である。ただ旧境内に残っている常夜燈に弘化5年3月吉日と見えるからこれより古い年代に勧請されたものであろう。中村の若宮山頂に鎮座する若宮神社が創建されたのも同じく弘化5年と古い棟札に記録されている。
(中略)
向側土生に宮本院という祈祷所があった。通称お山さんと呼ばれ、菅原家が世襲する修験者の家であった。この宮本院の代表者が金毘羅さんの管理にあたっていた。大正の末頃、菅原家は退去し、その後継は他村から来住した修験者が引き継いでいた。昭和の初期ごろから戦後にかけて、新田、高山晴雲と続いていたが、高山氏は高齢となったため、昭和60年頃出身地の広島へ引退した。それ以来後継者に恵まれず宮本院は廃絶となり、同時に管理者を失った金毘羅さんは次第に荒廃を余儀なくされるに至った。旧暦1月10日は年中行事の主要な一つ金毘羅さんの祭日であった。祭日当日は、大勢の善男善女が高取山に参詣、大いに賑わった。山頂には出店が出て楽しんだものである。戦前まで高取山で雨乞い祈祷がしばしば行われた。夏の日照りが続いて池川の水が不足してくると、側の総代から雨乞い祈祷のふれがまわった。各農家はてんでに割木を持ち寄って高取山頂にむかうのであった。夜半ごろから、お山さんが先頭に立って割木の火を赤々と焚きながら、懸命に雨乞い祈祷を行ったのである。
その他正月が来ると、神飾り用の歳徳神のお礼を各家々へ配った。新築家屋の安全祈願・屋敷地の地鎮祭祈願・新造魚船の船おろし安全祈願等が行われていた。
(以下略)
宮窪町誌
平成6年3月31日発行
発行宮窪町
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