竹中半兵衛ゆかりの地を巡る(菩提山など)
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- GPS
- 03:28
- 距離
- 9.1km
- 登り
- 366m
- 下り
- 364m
コースタイム
天候 | 曇り☁️ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
コロナ療養明けで体力が落ちてるので
リハビリがてら岐阜県垂井町岩手地区の
竹中半兵衛ゆかりの地巡りを😊
竹中半兵衛重治
羽柴秀吉(豊臣秀吉)の軍師として活躍するも
三木城の戦いの陣中で病死。
享年36歳。
菩提山城(菩提山)
岐阜県垂井町の伊吹山地に立つ
菩提山(401m)にあった山城。
半兵衛の父、重元が岩手氏から奪い
竹中氏の居城となる。
半兵衛の嫡男、重門が
麓に岩手城(竹中陣屋)を築き廃城となる。
西美濃最大級の山城と呼ばれ
遺構も綺麗に残っており
今年の11月から発掘調査が始まり
国史跡を目指してます。
竹中陣屋
竹中重門が岩手城として築城。
江戸時代に竹中氏が旗本身分に留まったため
城は陣屋と呼ばれるようになった。
現存として櫓門が残っており
堀と石垣の一部も残っている。
禅幢寺
菩提山麓にある曹洞宗の寺院。
竹中半兵衛の菩提寺。
半兵衛、重元、竹中一族や家臣の墓がある。
西美濃三十三霊場16番札所。
八幡神社
半兵衛の父、重元が大野郡(大野町)より奉遷。
菩提山の麓に鎮座し
半兵衛公が収めた西福村の村社。
菩提寺
菩提山の麓にある真言宗の寺院。
824年伊福氏の私寺として
空海によって開基された。
当初は菩提山山上に創建されたが
後に現在地に移築され
領主、竹中氏により本堂が再建された。
すぐ横には湧き水が溢れる水天宮がある。
五明稲荷
織田信長に謀反を疑われた黒田官兵衛は
人質の嫡男、松寿丸(後の黒田長政)を
殺すように言われたが
半兵衛は官兵衛の無実を信じ
密かに松寿丸を五明に匿います。
1年後、官兵衛が幽閉されてた
有岡城から助け出されると
松寿丸も許されました。
松寿丸はこの地を去る時に
五明稲荷の境内に
イチョウの木を植えたと伝えられています。
助け出された官兵衛は
半兵衛に大変感謝をしましたが
半兵衛は病死した後だった為
2人が再会することが一生叶いませんでした。
また官兵衛も秀吉の軍師であり
半兵衛と共に両者の名前を取って
両兵衛(ニ兵衛)とも呼ばれています。
菁莪記念館
旗本竹中氏は道場菁莪堂をつくり
文武両道を指導。
明治になって
菁莪義校、菁莪学校として発展していく。
現在は岩手小学校の東南に記念館として
再建され竹中氏にまつわる資料が
展示されてます。
入館無料。
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