雲仙岳
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- GPS
- 03:48
- 距離
- 7.8km
- 登り
- 803m
- 下り
- 803m
コースタイム
天候 | 晴れ一時曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年11月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
梅田駅から阪急の高速バス“ロマン長崎号”に乗り諫早ICに着いた。他の高速バスに乗る客を乗せて来たタクシーが着いたのを上手く拾うことが出来、諫早駅へと向かった。ニッポンレンタカーの営業所が開くと同時に車を借り雲仙へと向かった。温泉街を通り仁田峠登山道路に入るとゲートがあり協力金100円を徴収された。一方通行で野岳の東側を巻いて標高1,065mの仁田峠駐車場に到着した。3連休初日とあって警備員が3名程出ていたが、生憎曇り空で景色も見えず暇そうだった。
雲仙岳は古くは「温泉岳」と書いて「うんぜんだけ」と読ませていた。三峰五岳からなる総体山名で普賢岳、国見岳、妙見岳の3峰と絹笠山、高岩山、野岳、矢岳、九千部岳の5岳からなる。しかし平成3年の噴火で生じた平成新山(1,486m)は入っていないので今は四峰五岳と言うべきか? 西・北の風穴、立岩の峰、霧氷沢を巡る登山道が開通(復旧)したが鳩穴分れから霧氷沢までは時計回りの一方通行となっている。これに合わせ第2吹越から登山を始めることにした。
仁田峠からは一旦車道歩きで第2吹越まで下るが、仁田峠登山道路が大回りするので途中まで池の原へ下る登山道で短絡しようと試み藪に突入した。目論見通りヘアピンカーブの処に飛び出したが、もう少し登山道を下れば余り苦労はなかったようだ。仁田峠登山道路と国道389号線が出合う処は吹越峠で此処にも警備員がいた。「どちらから来られましたか?」と聞かれたので「下から来て仁田峠を回って来た」と答えた。仁田峠の駐車場に「1時間以内の駐車にご協力を」と書かれていたのでそのことを咎められるのかと曖昧に答えたが・・・。 国道に入ると山頂を雲に覆われた九千部岳が目に入った。明日登る山だ。国道の先にトンネンルが見えて来たが旧版の地形図にはトンネルはない。これも地図にない長い橋を渡って直ぐにトンネルに入る。旧道の跡が残っているが草深く誰も歩いた形跡はないようだ。トンネンルは300m程あろうか結構長い。トンネルを出ると何んと雨が降り出している。20%の確率なのに・・・振り返ると此処が第2吹越と案内看板があった。
雨具を着込んで登山を開始し妙見岳と国見岳の間の稜線を目指した。雨は直ぐに止んだが風が強く防寒着代わりに着たまま進んだ。やがて雲の領域に突入し何も見えなくなった。40分程で稜線に達し“吹越分れ”の標識を見た。今日この天気なので妙見岳はパスし国見岳(1,347m)に向かった。国見分れで分岐しピストンとなる。険しい山容で岩々していた。固定ロープもあって這い登ると傾いた山頂標識が迎えてくれた。天気が良ければ普賢岳、平成新山の姿が素晴らしいだろう。平成18年に来た時もやはりガスで何も見えなかった。じっとしていると寒いので国見分れに戻り鬼人谷口へと下ると男性が一人登って来た。鬼人谷は国見岳と普賢岳の間にある深い谷で、火口跡ではなくカルデラの陥没した谷のようだ。2.5万図でも等高線が3本、凹地のヒゲ付で描かれている。
“西の風穴(かざあな)”の標識のある処は、自然の冷蔵庫で洞内は夏でも気温5℃程の涼しさで、過去には低温を利用した養蚕が行われていた跡も残っていた。更に進むと“北の風穴”があり火山岩の隙間にできた自然の恵みを感じさせられた。最も東は“鳩穴分れ”で嘗てはこの先に鳩穴と呼ばれる洞窟があったそうだが、平成の噴火で平成新山の造山に呑みこまれてしまったそうだ。今は平成新山への立ち入りを阻める鎖錠された柵がある。立岩の峰(約1,325m)は溶岩の尖塔の林立するどれが最ピークかよくわからないが、展望所とされている所に登ることが出来るので此処を山頂と見做した。
ガスが薄れ出し時々平成新山と思しきガレ山の斜面が見え出した。霧氷沢分れから50m東に入ると霧氷沢の展望所で嘗ての登山道が普賢神社へと続いていたが今では平成新山がどかっと立ちはだかってしまった。ガスが飛んで平成新山の全容が一瞬姿を現した。此処にも柵があり登山者の進入を阻めていた。引き返して普賢岳を目指すと山頂へは左に分岐して登るが右の小ピークの上に碑が立っていた。見に行ってみると「秩父宮殿下御登山記念碑」とあり故秩父宮雍仁親王殿下が大正14年、23歳の時に登られた記念の碑で時代を感じさせる立派なものだった。普賢岳(1,359m)山頂は岩々しているが比較的広く山頂標識の向こうには平成新山がどっしり構え嘗ての最高峰を見下しているようだが1等三角点「普賢岳」があり「それでも俺が盟主」と誇っているようだった。鬼人谷、薊谷のカルデラを隔て国見岳、妙見岳が険しい山容を呈していた。
紅葉茶屋へ下ると少年が一人居た。「独り?」と聞くと「うん」と言うが、どんなものだろう? やはり後から家族が下りて来た。薊谷を下り仁田峠へと下った。真っ直ぐ進むと鬼人谷のような陥没地形に落ち込んだ。こちらも地形図の等高線3本に凹地のヒゲが付いている。樹林で分からないが登山道はこの穴の西側を巻いて妙見山山腹をトラバースしている。途中に「野鳥の水飲み場があります、お静かに」という看板があり探してみたが野鳥の姿はなかった。仁田峠のロープウェイ駅に到ると展望台から仁田峠登山道路が巻き付いた野岳の姿が立派に望めた。普賢岳、平成新山はまた雲の中となってしまった。
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