奈良葛城5:五條市の古墳+葛城山・忍海の博物館・馬見古墳群−大忙しのチャリ旅終わる

- GPS
- 10:06
- 距離
- 66.4km
- 登り
- 1,107m
- 下り
- 1,268m
コースタイム
- 山行
- 9:44
- 休憩
- 0:23
- 合計
- 10:07
| 天候 | 晴れ |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2015年08月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
最終日、五條の旅館から昨日同様タクシーで出発、今日は五条の古墳をタクシーで回って、自転車の置いてある御所駅前の駐輪場に向かう。昨夜、タクシー会社に回る予定の古墳名を伝えておいたので、運転手はちゃんと調べていた。最初は西山古墳、北宇智駅の少し手前だが入り口は地図だけでは良く分からない。運転手はあたりを付けて細い道に入り、古墳の墳丘のような樹林が見え、行き止まりのところで車を止めた。車から降りて墳丘に近づけるかどうか確認する。藪がひどそうだが、近づくと看板が見える。藪の崖をよじ登って中に入ると墳丘への藪は大したことがなく、樹木の間をすり抜けて墳頂に出る。しかし現在は樹木が茂りすぎ、眺望はない。
西山古墳:
★所在地:五條市三在町
★墳丘:方墳(東西43m、南北48m、高さ6.5m)現状基底部が水田下に埋没しているが本来は一辺54m。斜面に葺石あり。平坦面には円筒埴輪を樹立していたようである。
★埋葬施設:未調査のため不明であるが周辺に緑泥片岩の板石がある事より複数の石棺が埋納されていたようだ。
★出土遺物:不明
★築造年代:5世紀中頃〜後半
★発掘調査:未調査(1977年の測量調査のみ)
★被葬者:不明
この古墳は辻の山古墳と同じ設計で、下流の橋本市の古墳を含め、紀ノ川流域を収める紀氏関係の古墳ではないかと言われている。
次の近内丸山古墳は場所はそれと分かるが降りてもアクセスできそうもないしヤブもひどい。おそらく裏側からアクセスがありそうだが、今回はカット、
近内丸山古墳:所在地:五條市三在町
★墳丘:円墳(径約37m、高さ約6.5m)2段築成。葺石及び円筒埴輪列あり。墳丘周囲には幅5mの周溝と幅12mの外堤が巡る。
★埋葬施設:不明(墳頂部に長さ9m、巾3mの盗掘穴が存在するが埋葬施設は不明。
★出土遺物:墳頂部で須恵器片、外堤で埴輪片
★築造年代:5世紀中頃
★発掘調査:主体部は未発掘。1990年に古墳の北方を県道建設に伴う小規模な発掘調査のみあり。
★被葬者:不明
次の近内鑵子塚に向かう。ここは道路側に案内板がありすぐにわかった。墳丘への入口は明瞭でないが、周りを徒歩で一周し、元に戻る手前に踏跡があり、そこを登る。墳頂はやはり樹木が茂りすぎ、周囲はよく見えない。
近内鑵子塚古墳:
★所在地:五条市近内町 ★墳丘:円墳(径85m、高さ12.5m)全面に葺石及び埴輪あり。2段築成。周溝一部残存。 ★埋葬施設:箱式石棺(墳頂部盗掘抗から緑泥片岩の板石が発見され板石には組合式にする為の溝が掘り込まれており埋葬主体の箱式石棺とおもわれる。) ★出土遺物:滑石製勾玉1点、円筒埴輪、形象埴輪、家形埴輪。 ★築造年代:5世紀前半(出土した埴輪より) ★発掘調査:戦後まもなく末永雅雄氏等で調査されている(詳細不明)
次の猫塚に移動し、降りてカメラを出そうとして、カメラが無くなっているのに気付く。慌てて先の近内鑵子塚古墳に戻ると、墳丘に登る踏み跡の入口近くの枝にカメラが引っ掛かっていた。危なかった。カメラを回収して急いで猫塚に戻る。猫塚は可愛らしい墳丘だが、藪は低いので登れそうだが、時間が無くなったので墳頂に行かずにつじの山に向かう。
猫塚古墳:★所在地:五條市西河内
★墳丘:方墳(一辺約27m、高さ約5m)周濠の痕跡あり。2段築成で葺石あり、円筒埴輪列が墳丘裾近くと、墳丘平坦部、石室周囲と3重に巡っている。そして更に墳頂部に家型、きぬがさ型などの形象埴輪があった。
★埋葬施設:緑泥片岩、板石の小口積みの竪穴式石室(長さ5.17m、幅0.73〜0.89m、高さ0.93m)棺は木棺か?
★出土遺物:石室内から埴製枕、朱文鏡・甲冑類と多くの鉄鏃、石室外にも副葬品を納める施設が存在し蒙古鉢形眉庇付冑をはじめ頸甲、帯金具、鉄鏃、鉄製鍛冶具のセットでその多くは朝鮮半島との関連が強いものである。
★築造年代:5世紀中葉
★発掘調査:1958年、1990年(測量調査)
★被葬者:渡来系の鍛冶集団を統率した人物か?
最後につじの山古墳に向かう。運転手が最後まで所在を調べていたが、大きな住宅地図で確認できた。
★所在地:五條市近内町
★墳丘:方墳(一辺52m、高さ9m)周濠跡あり。葺石、埴輪(周濠部で発見されているが築造時は造出部と外堤の上面に円筒埴輪、朝顔形埴輪、鰭付埴輪が立て並べていたと思われる。)
★埋葬施設:不明
★出土遺物:周濠部より円筒埴輪及び木製品、須恵器片。
★築造年代:5世紀後半
★発掘調査:1974年、1998、1999年周濠部のみ。
★被葬者:不明
つじの山古墳ですでに7時20分近くになり、御所駅に向かう途中、瓦窯の案内板で一度停車し、7時40分過ぎに御所駅前の駐輪場に到着。すぐ近鉄御所駅ロッカーに不要荷物を置いて、すぐ葛城山ロープウエイに向かってチャリをこぐ。御所駅との標高差は200m強、ロープウエイ駅までは3.5勸未悩埜紊療个蠅呂つくてチャリを押したが、40分くらいで到着、駐車場の端に駐輪して8時半頃出発ーすでに予定より1時間以上遅れている。登山口から20分くらいで櫛羅の滝に出る。滝を眺めてから山頂へと急ぐ。親子連れが早いペースで登っていくので道を譲る。今日はこれから馬見古墳群を経て奈良まで戻るので、余りオーバーペースにならないようにゆっくり進む。1時間20分くらいで水越峠分岐に出る。ロープウエイ駅方面に向かい、10分足らずで山頂とロープウエイ駅の間の緩やかな稜線に出る。そしてさらに10分足らず、10時10分前に葛城山頂に到着。ガスがひどいが大阪側がかすかに見えていた。
帰路はロープウエイ山上駅に出て10時25分発のロープウエイで下り、チャリを回収して近鉄御所駅まで一気に下る。ロープウエイ駅から10分足らずで近鉄御所駅に到着し、荷物を回収して忍海の葛城市歴史博物館に向かった。博物館には11時過ぎに到着、時間があまりないために30分ほど急いで撮影しながら展示を見たが、かなり内容があるので残念だったし、慌てて撮影しているのでろくな写真が取れていない。やむを得ず、面白そうな図録や資料を大量に購入し、郵送していただき、後でゆっくり読むことにした。
展示は葛城山系の地質から始まり、縄文・弥生時代の石器や土器、古墳時代の様々な遺物の展示へと進んでいる。葛城地域の連綿と続く歴史を学ぶにはとても良い博物館と思われる。古墳時代では寺口和田一号墳出土の船形埴輪が、構造船を表し、5世紀当時、大陸との交易、交流に使われていたかもしれない船だろうか?あるいはそうした大きな船で死後の世界を航行するというものか??
その他、葛城の古代寺院、塼仏、竹ノ内街道関連展示、当麻寺と山岳寺院、修験道に関する展示など、見どころが多いと感じた。時間に追われ、河合町の中央公民館の馬見古墳群の展示を見るためにボランティアガイドの担当者と生涯教育課(中央公民館)に連絡して、スケジュールが一時間遅れていることを忍海の博物館に到着した時点で連絡し、連絡を取りながら馬見古墳群に向かう。大和高田駅を過ぎ、新木山古墳、巣山古墳などに立ち寄るが、宮内庁管理のようで、近づくことができず、佐味宝塚古墳に向かう。道にやや迷いながら12時半前に到着する。ここは昨年末、豪族居館の研究で、宝塚古墳出土の家屋文鏡(宮内庁所蔵)の印象が強くあり、是非とも訪問してみたかった古墳だ。看板と全景を見て、残念ながら上まで歩く時間がない。またの機会にとあきらめ、再び公民館に連絡して、道順を尋ねる。馬見丘陵公園は巨大で、チャリで走ってもなかなか終わりが見えない。講演を見ながら北上し、なんとか公民館にたどり着いた。すでに1時を過ぎており、昼食もとっていないのでかなり消耗してしまった。公民館にたどり着き、ガイドがお二人待っていた。休憩させていただき、コンビニのお稲荷さん弁当を食べて、何とか体力の回復を図る。20分近く休憩して、公民館の旧館の展示を見学する。
こじんまりした展示室だが、宝塚古墳遺物など家屋文鏡こそレプリカ(か写真か?)だが、家形埴輪その他の形象埴輪など実物の展示が多数あり、結構感動するものだった。ナガレ山古墳などでも円筒埴輪や家形埴輪、囲い型埴輪、靱形埴輪、盾形埴輪など様々な形象埴輪、銅鏡や土師器、土製品、装身具その他の展示もある。30分以上も丁寧に展示を解説していただき、感謝。公民館ロビーの正面奥には河合町の魚梁船(やなぶね)という明治時代、鉄道開通以前の大和川の水運に関するパネル展示があり、河合町はその名の通り、大和川に多数の支流が合流する水上交通の結節点であり、交通の要所だったそうだ。
公民館を出て車で丘陵公園の中のナガレ山古墳を見学、その前に丘陵公園館の展示を見る。その後、墳丘の半分を葺石復元しているナガレ山古墳を見学し、二時半過ぎに中央公民館に戻る。墳丘上で強烈な日差しを浴びたので、少し休憩し、ボランティアガイドの方が奈良・薬師寺方面に向かうサイクリング道路入口まで案内してくださった。何から何までお世話になった。今回は御所市と河合町で随分ボランティアガイドの方々にお世話になってしまった。自転車道に向かう途中、大塚山古墳まで案内していただいた。昨年は法隆寺に向かう途中で通過したが、入口がわからなかったので、通過しただけだったが、今回は入口まで行き、解説板を撮影してサイクリング道に向かう。
サイクリング道入口まで予想外に時間をかけたので、薬師寺の閉門時間が迫っている。サイクリング道ではあまりスピードも出せず、間に合いそうもないかな、と思いつつ必死で走るが、途中サイクリング道が複雑な動きをしていくつかのコースが分かれる地点もあり、結局道を見失う羽目になる。試行錯誤で何とか道に復帰しようとつとめ、何とか復帰したものの、すでに時間が無くなり、奈良サイクリング道を進んで薬師寺の塔が見えてきたころには閉門時間になっていたので、残念ながら玄奘三蔵院などまた来年以降の課題として残った。
今年はこの五日間のチャリ旅で消耗し、もう一日、京都かMIHOミュージアムかどこか訪問する予定だったが、疲れ果ててしまい、翌早朝そのまま帰宅してしまった。
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