記録ID: 7298980
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無雪期ピークハント/縦走
紀泉高原
葛城二十八宿経塚巡行【復刻版】菰坂峠から第5番経塚倉谷山、土仏峠旧道、根来寺参拝
2017年04月02日(日) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 07:37
- 距離
- 18.9km
- 登り
- 513m
- 下り
- 726m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 6:04
- 休憩
- 1:33
- 合計
- 7:37
距離 18.9km
登り 513m
下り 726m
8:27
171分
スタート地点
16:04
ゴール地点
この山域がかなり気に入っており、また第5番経塚倉谷山を歩きたいと思う。
倉谷山に行くのに菰坂峠からの林道があり、途中に蜘蛛留、大遣水宿があったとされている。今は痕跡もないようだが、中野榮治さんの「葛城の峰峠と修験の道」によると、中畑峠付近が遣水宿、その西の今畑への峠付近が蜘蛛宿と言われている。そこを歩いてみたい。
さらに第5番経塚倉谷山を尾根伝いに越えて上朽仏山を通った時に、山頂部にマムシがとぐろを巻いていて山名板や三角点の確認をパスしてしまったので、その再確認。さらにまた、土仏峠からの尾根沿いに古道の痕跡らしきものがあって、そこを歩いてみる。以上が目的である。
■コースタイム
8:33 神通温泉
9:03 中畑
9:23 菰坂峠■休憩 9:44
9:55 中畑峠
10:10 蜘蛛宿峠 10:18
10:26 小谷峠付近
10:36 三角点取付き
10:40 蔭地ヶ原三角点■休憩 10:48
10:56 P480倉谷山肩
10:57 P480倉谷山
11:03 P485倉谷山、写真撮影 11:09
11:14 P480倉谷山肩
11:19 第5経塚倉谷山(稚児の墓)■休憩 11:27
11:28 今畑への下降点
11:31 P1巻道分岐
11:35 P2巻道分岐
11:41 P3巻道分岐
11:45 屈曲点
11:50 P4−Ca.500ピーク
11:52 南への屈曲点付近
11:53 上朽仏山北コル
11:58 上朽仏山■休憩 12:19
12:19 境界見出標下降点
12:24 (旧)土仏峠
--------------------------------
12:31 コンター450大木2本
12:36 キックターン点
12:42 山田越
12:54 林道土仏線着地
12:59 押川分岐
13:03 コンター340、谷の横断点■休憩13:15
13:30 根来元気の森管理事務所
13:48 西展望広場■昼食休憩 14:21
14:32 鐘つき堂、根来寺参拝 15:20
15:30 バス停
14.6km/7時間6分(うち、休憩1時間43分)
----------------------------------------------------------------------------
■対応元記事
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-340.html
https://stellabyhydra.blog.fc2.com/blog-entry-341.html
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倉谷山に行くのに菰坂峠からの林道があり、途中に蜘蛛留、大遣水宿があったとされている。今は痕跡もないようだが、中野榮治さんの「葛城の峰峠と修験の道」によると、中畑峠付近が遣水宿、その西の今畑への峠付近が蜘蛛宿と言われている。そこを歩いてみたい。
さらに第5番経塚倉谷山を尾根伝いに越えて上朽仏山を通った時に、山頂部にマムシがとぐろを巻いていて山名板や三角点の確認をパスしてしまったので、その再確認。さらにまた、土仏峠からの尾根沿いに古道の痕跡らしきものがあって、そこを歩いてみる。以上が目的である。
■コースタイム
8:33 神通温泉
9:03 中畑
9:23 菰坂峠■休憩 9:44
9:55 中畑峠
10:10 蜘蛛宿峠 10:18
10:26 小谷峠付近
10:36 三角点取付き
10:40 蔭地ヶ原三角点■休憩 10:48
10:56 P480倉谷山肩
10:57 P480倉谷山
11:03 P485倉谷山、写真撮影 11:09
11:14 P480倉谷山肩
11:19 第5経塚倉谷山(稚児の墓)■休憩 11:27
11:28 今畑への下降点
11:31 P1巻道分岐
11:35 P2巻道分岐
11:41 P3巻道分岐
11:45 屈曲点
11:50 P4−Ca.500ピーク
11:52 南への屈曲点付近
11:53 上朽仏山北コル
11:58 上朽仏山■休憩 12:19
12:19 境界見出標下降点
12:24 (旧)土仏峠
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12:31 コンター450大木2本
12:36 キックターン点
12:42 山田越
12:54 林道土仏線着地
12:59 押川分岐
13:03 コンター340、谷の横断点■休憩13:15
13:30 根来元気の森管理事務所
13:48 西展望広場■昼食休憩 14:21
14:32 鐘つき堂、根来寺参拝 15:20
15:30 バス停
14.6km/7時間6分(うち、休憩1時間43分)
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■対応元記事
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過去天気図(気象庁) | 2017年04月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
9:55、中畑峠
菰坂峠から10分ほどで峠に着いた。中野榮治さんの「葛城の峰峠と修験の道」によると、「(東山田)村の北十戸町許、山の上にあり遣水宿ともいう山伏の行所なり」とあって、それは中畑峠付近である、と書いてあった。
菰坂峠から10分ほどで峠に着いた。中野榮治さんの「葛城の峰峠と修験の道」によると、「(東山田)村の北十戸町許、山の上にあり遣水宿ともいう山伏の行所なり」とあって、それは中畑峠付近である、と書いてあった。
10:10、いきなり現れたクモ宿峠
中野榮治さんの「葛城の峰峠と修験の道」によると、「西山田の北に蜘蛛留(紀伊続風土記)」、「(西山田)村の北十八町許、山の上にあり山伏の行所なり」とあり、これは今畑の峠付近と考えられる、とあった。そういう訳で、もっと西の小谷峠(地理院地図に尾根越しの破線路がある)の付近かと思っていた。
中野榮治さんの「葛城の峰峠と修験の道」によると、「西山田の北に蜘蛛留(紀伊続風土記)」、「(西山田)村の北十八町許、山の上にあり山伏の行所なり」とあり、これは今畑の峠付近と考えられる、とあった。そういう訳で、もっと西の小谷峠(地理院地図に尾根越しの破線路がある)の付近かと思っていた。
南の尾根には踏み跡があって、少し入ってみた。峠近くははっきりした踏み跡が続いていたが、その先には降りていないのでよくわからない。しかし、緩やかな尾根なので西山田への道があったのだと思われる。
次のピークは460m位だが平たいし、道も巻いているので気が付かない。
道が北に向いて少し登ると倉谷山(10:56)。ただし480mの方だ。正確にはここは肩で少し右手(北)に入ると、480mの倉谷山だ。
道が北に向いて少し登ると倉谷山(10:56)。ただし480mの方だ。正確にはここは肩で少し右手(北)に入ると、480mの倉谷山だ。
11:58、上朽仏山492.4mの三等三角点。点名は土仏
前回はこの手前でマムシがトグロを巻いていて危うく踏みそうになったので、三角点の確認もせず撤退したのだった。まだマムシはおらんやろ!
前回はこの手前でマムシがトグロを巻いていて危うく踏みそうになったので、三角点の確認もせず撤退したのだった。まだマムシはおらんやろ!
12:31、道の真ん中に大木2本。樹齢は分からないが50年以上か?
今の土仏林道は、ボンテン山のレーダーを作るために自衛隊が作ったとされ、それがいつ作られた分からないが、50年前くらいのものかな?
今の土仏林道は、ボンテン山のレーダーを作るために自衛隊が作ったとされ、それがいつ作られた分からないが、50年前くらいのものかな?
ブッシュはまばらで、ノイバラもなくてよかったが、ツル植物が繁茂してきている。これが結構厄介。
土仏峠からカウントして・・・・
帽子飛ばし:2〜3回
肩引っ張り:1回
下記のような足引っ掛け:10回ほど
土仏峠からカウントして・・・・
帽子飛ばし:2〜3回
肩引っ張り:1回
下記のような足引っ掛け:10回ほど
12:54、新林道(土仏林道)に着地
合流の手配などしてないからコンクリートブロックの擁壁をずり降りることになる。
降りついた場所は尾根先ではなく、押川からの旧道(地理院地図の破線路)が今の土仏林道に出会う辺だった、なるほど、押川からの旧道が今来た道(および尾根道)につながっていくようになっていたのだ。
合流の手配などしてないからコンクリートブロックの擁壁をずり降りることになる。
降りついた場所は尾根先ではなく、押川からの旧道(地理院地図の破線路)が今の土仏林道に出会う辺だった、なるほど、押川からの旧道が今来た道(および尾根道)につながっていくようになっていたのだ。
根来寺方面
愛宕山山系に近い方しか見えないが、根来寺の天然の要塞ぶりがよく分かる。東は菩提峠、南は愛宕山山系、北は土仏峠や押川の山々に囲まれている。その峠や尾根上に砦を作れば、頑丈な要塞になっただろう。
愛宕山山系に近い方しか見えないが、根来寺の天然の要塞ぶりがよく分かる。東は菩提峠、南は愛宕山山系、北は土仏峠や押川の山々に囲まれている。その峠や尾根上に砦を作れば、頑丈な要塞になっただろう。
入山料500円を払って見学する。昨年から有料になったようで、反対意見もあるようだが、きちんと払いましょう。これだけの文化財の維持管理も大変だとは思うが、根来寺側からのアピールがもっとあればいいとも思う。例えば文化財の解説、仏教、新義真言宗の説明、法話辻説法など・・・ 簡単なパンフしかないので、お堂をみて「ホゥー」と思うしかない。道内は撮影禁止なので建物、風景を写すしかない。
左:大塔、右:大伝法堂
根来寺公式サイトによれば、国宝大塔は秀吉の紀州征伐の焼打ちから残ったもので、その頃の戦乱の弾痕が残っているという。
左:大塔、右:大伝法堂
根来寺公式サイトによれば、国宝大塔は秀吉の紀州征伐の焼打ちから残ったもので、その頃の戦乱の弾痕が残っているという。
光明殿
中野榮治さんの「葛城の峰と修験の道」によると、妙経薬草喩品を埋納したとされる第5経塚の地は光明寺と言われていて、それは光明堂かまたは円明寺と言われている(信達の光明寺という説もある)。光明堂とはここのことかな?
中野榮治さんの「葛城の峰と修験の道」によると、妙経薬草喩品を埋納したとされる第5経塚の地は光明寺と言われていて、それは光明堂かまたは円明寺と言われている(信達の光明寺という説もある)。光明堂とはここのことかな?
行者堂。役行者を祀る。
中野榮治さんの「葛城の峰と修験の道」には、寛治年中(1090頃)に根来坊という修験行者が来て、この辺りにお堂を建て、豊福寺と称したのが根来寺の最初の頃だと、書いてあった。ここは修験の行所にもなっている。
中野榮治さんの「葛城の峰と修験の道」には、寛治年中(1090頃)に根来坊という修験行者が来て、この辺りにお堂を建て、豊福寺と称したのが根来寺の最初の頃だと、書いてあった。ここは修験の行所にもなっている。
九社明神
根來寺の草創当時からの豊福寺の鎮守社であるという。
・丹生大明神(にう)
・高野大明神(こうや)
・伊太祁曽大明神(いたきそ)
・御船三所大明神(みふねさんしょ)
・金折六所大明神(かなおりろくしょ)
・金峯山金剛蔵王(きんぷせんこんごうざおう)
・熊野三所権現(くまのさんしょごんげん)
・白山妙理権現(はくさんみょうりごんげん)
・牛頭天王八王子(ごずてんのうはちおうじ)
以上で九社か。
根來寺の草創当時からの豊福寺の鎮守社であるという。
・丹生大明神(にう)
・高野大明神(こうや)
・伊太祁曽大明神(いたきそ)
・御船三所大明神(みふねさんしょ)
・金折六所大明神(かなおりろくしょ)
・金峯山金剛蔵王(きんぷせんこんごうざおう)
・熊野三所権現(くまのさんしょごんげん)
・白山妙理権現(はくさんみょうりごんげん)
・牛頭天王八王子(ごずてんのうはちおうじ)
以上で九社か。
15:13、行き過ぎが分かって、三部権現の上(北)まで戻る。
これが円明寺で、元の光明寺らしい。フェンスに囲まれていて建物まで近づけなかった。
中野榮治さんの「葛城の峰と修験の道」によれば、ここに妙経薬草喩品を埋納したとされる。第5経塚の地はここ円明寺(元、光明寺)と言われているがて、それは室町初期の「葛城峯中記」に書いてあるのであり、江戸時代や幕末の文書になると、第5経塚の地は「倉谷山」になっている。要は、江戸時代前に(おそらく秀吉の紀州・根来攻めに際して)経塚を倉谷山に退転させたものと考えられる。
これが円明寺で、元の光明寺らしい。フェンスに囲まれていて建物まで近づけなかった。
中野榮治さんの「葛城の峰と修験の道」によれば、ここに妙経薬草喩品を埋納したとされる。第5経塚の地はここ円明寺(元、光明寺)と言われているがて、それは室町初期の「葛城峯中記」に書いてあるのであり、江戸時代や幕末の文書になると、第5経塚の地は「倉谷山」になっている。要は、江戸時代前に(おそらく秀吉の紀州・根来攻めに際して)経塚を倉谷山に退転させたものと考えられる。
撮影機器:
感想
中畑への道もよかったし、菰坂峠から、蜘蛛留、大遣水宿があったとされる尾根道を楽しく歩くことができた。第5番経塚倉谷山を半ばそっちのけにしての倉谷山登頂、尾根伝いの上朽仏山への道も面白かった。さら土仏峠からの尾根筋下の旧道もササ、灌木は生えているもののしっかりした道作りで、ちゃんと道形が残っていたのには驚いた。根来寺の修験のゆかりも感じられ、経塚や行所訪問にも満足した。
今回は経塚や行所をダシにして、山野跋渉したようなものだが、経塚巡行ではそれが大切なのだと思う。面白さの由縁はそこにある。いろんなサイトをみていると、クルマで経塚だけ回ったり、歩いて回るのを否定するような言説もあったが、それは本当の面白さを感じようとしていない、と思った次第である。
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