【若狭】雲谷山の今古川じゃない谷 パートぁ紛小川の石仏ミステリー)
- GPS
- --:--
- 距離
- 7.0km
- 登り
- 674m
- 下り
- 666m
コースタイム
天候 | くもり |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
・ 串小川の3つの枝谷に入ってみたが,いずれも最大5m前後の滝がポツポツ出てくる程度で,残念ながら概ね平凡で沢登りの対象としては今一つ物足りない。また植林も多い(ただ,北流して雲谷山山頂付近に至る本流だけは大半が自然林で,紅葉が美しかった)。遡行自体は容易で,沢足袋or沢靴以外は特別な装備は必要ない。 ・ 今回の記録で問題とした石像は,東に直進して465m鞍部に至る枝谷の,標高310m付近左岸側にある(地形図で林道が谷底に近づいているあたり)。 |
写真
感想
今週末もあまり時間がなく,近場の若狭の谷へ。
今シーズンは「雲谷山の今古川じゃない谷シリーズ」と勝手に称して,雲谷山のマイナーな谷に集中的に入ってきたが,今回は雲谷山の西面の主だった谷としては最後の一本となる,串小川である。
この谷も例によって先行記録は今のところ見つけられておらず,地形図を見る限り食指が動くような谷に見えないことは前回の宇波西川以上だが,前回までの谷がいずれも予想以上に面白かったので,この串小川もあるいは…と期待が高まっていた。
が,実際に入ってみると,雲谷山らしい美しい花崗岩の小滝やナメがポツポツ出てくるものの,全体的に平凡な感は否めず,残念ながらやや期待外れだった。まあ,観音川にしろ宇波西川にしろ,前回までの谷が例外的に良すぎただけであって,記録のない里山の沢なんて大体ハズレなのが普通なのだ。だから串小川は悪くない(擁護してるのか貶してるのか…)。
しかし,実はこの谷でも,予想外の発見があった。しかも沢登りとはあまり関係ないところで。東に分岐して465m鞍部に至る枝谷の標高310m付近の左岸側で,一体の石仏を発見したのである。
その石仏は,鬱蒼とした植林交じりの森の中,花崗岩の巨岩の上に鎮座していた。意外なところで意外なモノと突然遭遇したことにいささかギョッとしながらも,手を合わせて一礼してから,何かその石仏の来歴を示すような事物がないか,丹念に調べ始めた。しかし,周囲に看板や石碑などは一切なく,また石仏自体にも建立年月や建立者の名前など,石仏の由来のヒントになるような文字は全く彫られていない。像容は素朴かつ簡素で,よくあるお地蔵さんや観音様ではなく,単なる「普通の僧侶」の姿をしているのも気にかかる。彫刻の摩滅の具合から,少なくとも最近作られたものではなく,相当な年月を経ているらしいことが見て取れる。周囲には植林もあり,廃林道もすぐそばを通っている(ただしかなり荒れ果てている)のだが,石仏の周囲には落ち葉が厚く積み重なり,近年はほとんど人の訪れがないように思われた。
どうしてこんな人の気配のない寂しい谷の奥に,石仏がぽつんと安置されているのか? 謎は深まるばかりだった。
一つだけひらめきがあった。串小川の入口にある向陽寺が,この石仏と何か関係があるかもしれない。向陽寺は,若狭で最古の曹洞宗寺院と言われる,由緒正しい古刹である。そこで下山の足で同寺を訪問し,この石仏についてお心当たりがないか,伺ってみることにした。
紅葉が映える厳かな山門をくぐったのち,いきなり山中の石仏などという突拍子もないことをお尋ねするのにはいささか気おくれしたが,おそるおそる来意を告げてお伺いすると,対応してくださった女性は,「いま住持が不在で詳しいことはわからないが…」と前置きしつつも,興味深いことを教えてくださった。
「この寺は,昔はもっと山奥にあったと聞いている。もしかしたらその石仏は,そのことと関係があるかもしれない」
なるほど,向陽寺の寺歴に関わる遺物かもしれない,ということか…。
礼を述べて辞去したのち,さっそく向陽寺の由緒を調べてみると,以下のような記事に行き当たった。
『三方町誌』より
「向陽寺 所在藤井五六の一。山号藤井山。曹洞宗。本尊十一面観音坐像。明徳二年(1391年)に,僧大等一祐が開いた寺…」
「一祐が座禅して修行したという大きなミカゲ石(座禅岩)が,打露小屋(うつろごや)にあらて,その上に大等一祐の石像(等身よりやや大)が安置されており(元向陽寺から奥へ約一キロ,安置年月日不明),現在もそのまま残っている。この場所を通称「ボンサン」と呼んでいる。」
これだ。あの石仏は,向陽寺の開祖である大等一祐禅師その人の座禅の姿を表したものだったのだ(石仏が地蔵でも観音でもなく,単なる僧侶の姿をしていた理由もこれで得心がいった)。石仏が安置されていたあの大岩は,一祐禅師が修行のため串小川を遡り,座禅したという「座禅岩」に違いない。いまは荒れ果てて訪れる人もなく,また寺の関係者でさえ石仏について心当たりがないほどに一般の人々から忘れ去られかけているが,かつてあの場所は向陽寺の祖師ゆかりの地であり,同寺のはじまりの地であったと言っても過言ではなさそうだ。
また,こんな記事もあった。
『越前若狭の伝説』より
「藤井山向陽寺は大等一祐禅師か明徳二年(1391年)に開いた道場である。…(中略)…翌朝早く藤井のふもとに行き,老翁に出会い,山の順路を尋ね,中腹の白砂(しらす)という所に至り,そこにいおりを結んだ。樹下石上を住いとして修業した。そのときの坐禅石は今なおある。禅師の坐禅中は,おおかみの群が集って,岩を回って常にお守りした…」
串小川は,若狭に最初の曹洞宗をもたらした名僧が,自らの修行の場に選ぶほどの一大霊場だった,ということになる。まさに今日歩いてきた谷の奥で,その昔,座禅するお坊さんの周りをオオカミの群れがぐるぐる回っていたなんて,宮沢賢治の童話の世界みたいで何となく楽しい。
この串小川のみならず,観音川の三方石観音しかり,滝ヤ谷の屏風滝のお不動さんしかり,これまで遡ってきた雲谷山の他の谷でも,何らかの霊場が存在している例があった。それはこの山域特有の,花崗岩の白砂のうえを流れる水の清冽さのゆえだろうか。または谷々に連なる滝やナメの美観のためだろうか。いずれにしても,この一見何の変哲もない小さな里山の谷々にも,いにしえの修行者たちに霊感を授けつづけてきた,特別な何かが宿っているらしい,ということだけは言えそうだ。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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にしても、hillwandererさんのこういう人間の痕跡を見つける目力、すごいですね笑
こんばんは〜。峠道や大滝なんかには石仏が安置されていることがあるので気をつけて見ているのですが(今年5月にも若狭の永谷川の枝谷の大滝でお不動さんを見つけてます)、今回は何の変哲もない場所で唐突に出現したので面食らいました。見つけたのは本当に偶然です😅
山に登るのも楽しいですが、登った山(または登る予定の山)について調べものをするのも、また至福の時間ですよね。
alpine3Bさんは新潟に移られたんですね〜。越後の山も谷も憧れます…うらやましい限りです。新潟でもご活躍をお祈りしております!
移ったといっても、1年半くらいで関西に戻るんですけどね。
雪国の山、険しすぎて尻込みしてます。熊も怖いです笑
豪雪で磨かれた北国の谷はやっぱり凄いですね。冬は雪が大変そうですが、新潟での生活、楽しんでください〜
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