三舟山合戦の痕跡を訪ねて
- GPS
- 03:48
- 距離
- 12.7km
- 登り
- 274m
- 下り
- 274m
コースタイム
過去天気図(気象庁) | 2025年01月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
途中からバリルート。 三舟山南東側に下山するルートは、一部篠竹藪ありで、迷いやすい分岐も2カ所ある。下山口は…畑につながる路を探さないと…草藪からの獣避け柵越えとなる。 三舟山合戦で里見義弘が布陣した虚無僧山や、三舟山南西側から入山するバリルート進入は…富津市の当該エリア有害鳥獣狩猟中だったためにあきらめる。 よって、上飯野から上湯江側より三舟山に戻ろうとしたが…途中、三舟山山中につながる国土地理院地図上の路線を確認したので、獣避け門の2カ所開門後閉めて立ち入るも廃道だったので、倒木や篠竹藪を突き抜けるヤブ超え😓通常のハイクではオススメ出来ない三舟山北東〜東側への入山コース。 |
写真
感想
三舟山合戦の痕跡を探す一部バリルートでの入山となった。
三舟山の君津市が管理する側だけでは1万以上の兵が陣山に滞在が出来ないと前々から考えており、三舟山のバリルートを行かれた先人たちの軌跡を参考に入山。
すると、三舟山は君津市の公式ルート以外でも広い尾根やあたかも臨時の郭のようなエリアもあり…ある程度の山岳城郭の形跡があることが、三舟山南東側のバリルート進入にて判明した。
しかし、里見義弘側が布陣した虚無僧山(情報ではヤブ山)や😓後北条方が三舟山の陣山から相野谷に出陣したと思われるコース(バリルート南西側入山口・鉄塔保守路込み)も…当該エリアにおける有害鳥獣駆除にて立入が厳しかったため。予定ルートでの考察は叶わなかった。
結果的に、合戦場の相野谷を見て…当時は沼地か?小舟が渡れる水場であった可能性を検討すると…なぜ?三舟山合戦で後北条氏が負けたのか?が、うっすらわかるような気がした。
ここからは、素人の妄想仮説です。
三舟山側に陣を構えた北条氏政ら大将軍勢は、江戸湾の味方水軍不利を聞き三舟山の南西側から軍を下山し進めたがそこは沼地であり、しかも山を出た先で…西には正木氏の軍勢、東には里見義弘の敵主力により挟撃を受けて敗残したのか?と思われます。とはいえ…北条氏政側に3万の軍勢があれば、里見義弘と正木の軍を合わせても1万程度の軍勢に挟撃されても反撃は出来たと思われ…実際の後北条氏の北条氏政手勢は1万数千程度だったのでは?と思われます。あと、目的の佐貫城は、三舟山の南東から下山したほうが距離も近く、速やかに里見義弘勢と沼がない谷あいで有利に合戦が出来たと思われますので。里見側が後北条氏をまんまと欺いて、敵の主力をあえて狭い下山口の南西に移して戦ったのでは?と推測されます。
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