剱岳


コースタイム
- 山行
- 6:58
- 休憩
- 0:13
- 合計
- 7:11
過去天気図(気象庁) | 2025年03月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
剱への取り組みもなんと6シーズン目に入った。2月末の下旬の好天周期を逃したときはもう終わったかと思ったが、運よく次のチャンスが巡ってきて、また、頼れるメンバーも揃った。そろそろ決着をつけたいと思って臨んだが、残念ながら今回も思い通りには行かなかった。
3.8
前夜のうちに信濃大町のSBSW宅にお邪魔して、未明に出発する。この日は早月小屋まで行ければいい。事前に聞いた情報通り、除雪は進んでおらず、伊折に駐車して歩き出す。民家からテレビの音が漏れていたが、ここに人が住まなくなったら入山地点は一体どこになるんだ?一日早く入山したと思われる早稲田大学山岳部のわかんトレースを辿ったり、外れたりしながら黙々と歩く。途中サイズ3を超える雪崩の跡あり。いいペースで馬場島まで一度も地図アプリに目を落とさなかった(ヒマを感じなかった)。県警の方と階段のところで少し話した後、足にワセリンを塗ってふたたび歩き出す。
埋まった「試練と憧れ」碑を横目に登山道に取り付く。トレースがあるので、担いだ方が早い。松尾平には、山岳部のものと思われる幕営跡あり。尾根に出てからしばらくスキーで頑張りGNKが続くが、その後はシール登高は私のみで、あとは全員担ぎモードとなり孤独な戦いとなった。そのうちに大学山岳部パーティに追いつき、追い抜き、頑張っていたら早月小屋だった。小屋には大日岳を越えて来たという県警の精鋭メンバーが駐在していたが、さすがに中には宿泊できないということで、小屋横の誰かが整地した跡にクロスオーバードームを2つ張った。
水を作って、カレーメシを流し込む。寝る前にトイレのために小屋にお邪魔した際にインナーブーツが少し乾いて劇的に快適になった。モンベル#3ハーフのせいもあってか、夜はあんまり眠れない。結構な間、しんしんと降る雪の音を聞いていた気がする。スマホで少しだけ八海山の記録を書いた。
3.9
3時半に待ってましたと起床。星が見えて期待は高まる。4時台に出ると聞いていたはずの山岳部は、5時半を過ぎてもまだいたので、部員のおひとりにステッカーを渡して早月小屋を離れた。この日はみんなシール登高でなかよし。序盤はスキーで快適に歩けるが、硬い層はずっと残っていた。途中で担ぎに切り替えてアイゼンとアックスで登る。所々県警によって張られたフィックスロープに、お守り的にランヤードをかけながら、硬い雪面を登っていく。2800mあたりのでかいキャンプ跡で稜線の雪煙が止むのをしばし待つ。久しぶりに防寒テムレスでは寒すぎて、オーバー手袋を使った。
所々緊張する箇所もあったが、無事山頂へ出た。予定より少し遅くなったが、視界はあり雪もやわらかい。SBSWは北壁のルンゼを偵察に行き、GNKは源次郎を絡めたラインで滑り、私がそのラインに続くことになった。SBSWから入って来る情報だと、ルンゼは中間部に氷が出ているという。あの斜度で露出した氷は厳しい。他方、滑り込んだGNKも挙動があやしい。どうやら数ターンした後はすべて氷だったらしく、登り返してくるという。YDはそれでも続行を望んだが、改めて全員で話し合った結果、下山を決めた。
念のためカニのはさみを懸垂でこなす。そこからは、最も安全で早く帰れるラインどりを選んで下山。クライムダウンを強いられたり、ガスにまかれたりもしたけれど、最後は立山川をかつてなく快適に滑って馬場島まで。再び県警に挨拶をして伊折までクロカン大会。午後で気温が下がり、こちらもいつになくスピードが出て、SBSWに次ぐ2位でゴール。山には負けたけど、完全燃焼ではあった。ポケットいっぱいの敗北感。でも、生きてりゃいつか...
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