大菩薩|母校峠越え強歩大会のサポートOB部隊
- GPS
- 45:49
- 距離
- 19.0km
- 登り
- 1,743m
- 下り
- 1,042m
コースタイム
- 山行
- 3:16
- 休憩
- 0:15
- 合計
- 3:31
- 山行
- 1:08
- 休憩
- 6:44
- 合計
- 7:52
天候 | 3日間通して晴れ基調 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
|
写真
感想
我が母校の大菩薩峠越え強歩大会は今年で52回目となる伝統行事、全校生徒(中高生 約1,500名)が深夜〜朝にかけて大菩薩峠越えを含む30km前後の距離を歩きます。大会運営は教職員、生徒役員はもとより、母校OBのサポート部隊が50名ほど加わっています。
私が生徒として強歩大会に参加したのは今から25-30年前。当時は大会中に登山者に会うなんてまれだし、麓の青梅街道で夜中に走る車はほとんどなし。現在は百名山ブームもあって特に裂石・上日川峠側は多くの登山者が朝早くから歩かれ、麓の青梅街道は深夜でも車の往来が普通にあり、大会実施環境は大きく変わりました。一般道、登山道を大会に使わせていただき、そこで生活している方々、せっかくの休みに山で過ごそうとわざわざ来られている方々を危険にさらすことがあってはならないとの思いで毎年大会を行っています。それでも、山中での登山者とのすれ違いでご迷惑をおかけし、マナー指導に関してお叱りを受けたことも正直あります。
立場を逆にして、私がたまたま行ったどこかの山で1,500人の学生とすれ違うようなことになったら、、正直イヤですね。今回、早朝に赤沢方面から登ってこられた単独登山者とフルコンバで会話させていただきました。お叱りはありませんでしたが、下山する生徒の列を逆流する形で登ってこられたのだから非常に大変な(嫌な)思いをされていたはずです。山中に展開していた役員が参加者に注意を促していたと信じたいですが、それとて役員配置は登山道の長さに比べればポツリポツリで、不行届もあったのではないかと思います。
そんな、登山者に対して迷惑な行事の運営を私がなぜ手伝うのかといえば、こういう体験を「させられた」ことがその後の人生におけるベースラインとなり、四半世紀経って振り返ると大事なイベントだったと思えるからです。そして、母校強歩大会が開催環境とうまく共存していけるよう微力でも力になれればと思い、40歳過ぎてサポートOB部隊で活動しはじめました。当事者である12〜18歳の少年ひとりひとりがどう感じているか私には把握できませんが、サポートOB部隊に卒業生が毎年7,8名入るので、この行事をプラスに受け取っている生徒が少なからずいると推測します。
たまたま鉢合わせになった登山者の方々には大変ご迷惑をおかけし申し訳ございませんが、我々のわがままを多めに見ていただき、お許し願えれば幸いです。
コメント
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大菩薩嶺を踏んでないから、見た方が少ないのでしょうか?
私の9歳先輩になるのでしょうか?
あのイベントは強烈だと思います。
特に勉強しかしてこなかったような中学受験組の中1には過激だと私も思います。
でも、他の行事は段々縮小傾向にあっても、これだけは絶対に残すべきと私も思います。
上日川〜大菩薩峠間は、一般登山者にとって迷惑以外の何物でもない上、柔剣道部の連中はトレランやってましたから、改めてぶっ飛んだ行事ではある。
しかし、それでも、20〜40劼鬚△旅眥禳垢任笋衄瓦ことは、成せばなるを地で行くもの。
田部井氏が晩年、亡くなる直後まで高校生に富士に行かせたことに相通じるものがあると思うんです。
正直、中高生の時分には、あの行事の意味を感じるのは難しいのかもしれません。
しかし、三十路前後で、社会人なり、学者なり、何かに進んだ時、または所帯を持つとき、諸々行っていく決断の中、やってきた意義が出てくるのではないでしょうか?
周りを見ると地頭の良さはあるにせよ、成るようになれているのは意志の力が大きいですし、その一役を買っているのだと思います。
実際、他所の学校でも、所謂進学校で結構ぶっ飛んだ行事は多く行われていますし、それなりの意義はあるのかと。
さて、私にとっての「ダイボ」は高1の一回だけでした。2、3年補助係。
最近はまった登山をやる中、百名山選定の大菩薩嶺にいつどうやって行くかを考えたとき、「小河内ダム〜塩山北中」という高3生が課される超絶コースを未体験だったことから、一人ダイボを2014年11月に敢行しました。
ソロな上、小菅〜介山(大菩薩峠)を夜間通行は無理があるため、塩山に駐車し、電車で回りこんで奥多摩駅〜小菅を初日、小菅〜塩山駅を二日目という形で。
堤から塩山北中で9時間半だったでしょうか。
大菩薩峠から雷岩あたりからの景色が絶景で、富士もいいけど南アが綺麗でした。
FBにアップしたら当時の同期に、ダイボってこんなにいいところだったんだという感想が聞けました。
私の担任、かつ大先輩のG先生に今年も行くようなら宜しくお伝えください。
福ちゃんあたりの「ガモ生ガンバ」の看板が実にありがたいなと思います。
HHHさん
見つけていただき、コメントもいただきありがとうございます!
はい、今年もサポートのボランティアしてきます。
5/3深夜スタートの北中ゴールです。
我々の時代は小河内ダム〜塩山北中でしたが、今は東京側が短縮されて最長35kmの設定です。小河内ダム周辺の交通量が多くなったり、観光バス数十台が入れた駐車場が普通車専用に改修されたりして。行きの集合も学校から上野駅に変わりました。今年からは腕章への名前記入が学籍番号に変わります。個人情報保護の配慮だそうです。いろんな周辺環境変化に合わせて行事運営のほうも変えていかなければいけない学校側の苦労がうかがえます。
昨年、私の代(1989年3月卒)で卒業以来の学年同窓会を開催しました。40台半ばオヤジの集会(笑。学校行事の昔話もいろいろ出てましたが、ことダイボに関してはポジティブな印象がほとんどでしたね。ダイボに登山行って懐かしかったって奴もいたり。HHHさんも書かれている通りで、大人になってジワジワくるようです。
大菩薩は、私も雷岩から峠までの稜線が大好きです。開けた稜線、そこからの富士山〜南アの眺望はすばらしいですね(冬場は特にいいですよ)。ダイボではその区間を通らないので、私も自分で登山するようになって知りました。というか、こんないい所だったんだと驚きました。
地学のG先生? 私は在学中の接点はないですが、ダイボではよく会話させていただいてますので、きっとお伝えします。 FBでもG先生をすぐ見つけられますよ!
ではでは
G先生も含め、高入生は同級生、担任とも3年間同じクラスなので付き合いも長いです。
FBも先生含め結構やっています。
山にガンガン行くようになった今になって改めて先生始め、行事を支える意義と困難さを感じます。
補助員等の意義もよくわかります。
自分のレコでも書きましたが、上日川から大菩薩嶺は近年人気のようですね。
奥多摩湖沿いの道は正直歩道がなくて危険極まりないのも事実であり、奥多摩湖畔区間は廃止も視野に入れる必要があるかと思います。
現状からいえば、国道414から分かれる深山橋〜塩山北中が現実的だと思います。
いつか交通事故が起こるかと。
集合場所の件、名前をコード化するのも要らぬ不作為を防ぐうえでよいのかもしれません。
時代の流れもあるでしょうが、その中でそれなりの次善策を打つ。
それでいいのだと思います。
奥多摩湖畔区間は昔から悩ましかった区間です。それよりも、深山橋〜塩山北中の区間を如何に死守していくかの方が重要です。そこさえ確保できれば、十分「ダイボ」は意義を果たしてゆけると思うんです。
塩山北中を毎年、スタートないしゴールとして使用させていただいているのはありがたいことです。介山〜上日川の山小屋群の理解、小菅村・甲州市(旧塩山)の理解にも頭が下がるばかり。そこに迷惑をかけないようにというのが肝なのかと思います。
改めて、今年もよろしくお願いします
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