ほんとの空を見た!!安達太良山
![情報量の目安: A](https://yamareco.info/themes/bootstrap3/img/detail_level_A2.png)
![都道府県](/modules/yamainfo/images/icon_japan_white.png)
![](https://yamareco.info/themes/bootstrap3/img/no_profile_img.gif)
- GPS
- 32:00
- 距離
- 8.5km
- 登り
- 780m
- 下り
- 377m
コースタイム
天候 | 14日曇り 15日ほんとの空 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
雪渓1ヶ所あり問題なし |
その他周辺情報 | 下山後奥岳温泉露天風呂爽快650円(ロープウエーの半券で50円引き) |
写真
装備
個人装備 |
ソフトシェル
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
雨具
日よけ帽子
着替え
靴
サンダル
ザック
ザックカバー
サブザック
行動食
非常食
調理用食材
調味料
飲料
ハイドレーション
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
食器
調理器具
ライター
地図(地形図)
コンパス
計画書
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
ファーストエイドキット
針金
常備薬
日焼け止め
ロールペーパー
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ストック
ナイフ
カメラ
|
---|---|
共同装備 |
無
|
備考 | ルート写真は自動貼り付けであり地図上とは一致しません。 |
感想
智恵子の愛した安達太良の空と山、東京にはほんとの空が無いという。都会に居てこそ解かる故郷の心の山、長沼智恵子にとっては安達太良山。昭和初期、東京も喧騒の社会となりつつあったのだろうか。女性も高等教育を受ける権利と意識が高まり、女子大学も創立する社会情勢の中、智恵子も東京で初の女子大学、日本女子大学へ入学する。彼女は造り酒屋の長女として生まれた。才女ながらにして、家業は繁栄し親の信頼も厚かったのだろう。日本女子大家政学部に就学する。絵に対しても鬼才を放ち平塚らいてうの文学雑誌「青踏」の表紙にも投稿している。やがて高村光太郎の妻(内縁)となり美的感覚を刺激し合う。生家の造り酒屋は3代目となり倒産の憂き目に合う。長女の智恵子はその頃から精神分裂の病も出始め26歳で他界する。光太郎と訪れたであろう安達太良の見える丘。喧騒の東京には無かった「本当の安達太良の空は」まぎれもなく青かったことであろう。光太郎著「智恵子抄」によって「ほんとうの空」が明らかになる心の山、智恵子の故郷二本松からみる安達太良山でした。
安達太良山の山開きに合わせ、前夜祭のあるくろがね小屋へ投宿した。通年営業で知られるくろがね小屋そして温泉のあるこの小屋へ一度は泊まりたかった。いつまでランプを使っていたのであろうか、使い古しのランプが天井に並んでいた。夕食は名物カレーなかなかの美味でお替わりも快く受けていました。19:30から前夜祭、38年?通っている栃木の山人が神主へと変身、祝詞、榊をあげ宣う様子は神職そのものでした。来客もそれぞれ代表が挨拶をして、お神酒を頂き、従業員手作りの折り紙で出来た、飴袋を頂き和気あいあいのなか1部終了。2部はオカリナ4重奏これも来客の方の演奏で「故郷」「荒城の月」「朧月夜」「未完の花咲く頃」「浜辺の歌」「若者たち」「見上げてごらん夜の星を」最後は「今日の日はさよなら」みんなで合唱しました。従業員と来客との一体感は心温まるイベントでありました。
同部屋になったご夫婦とも会話が(内容割愛)弾んだことでした。当日は快晴となり「ほんとうの空」に会え良い山行が出来た。何度乳首山(安達太良山俗称)を見上げたか分からない。
降りた後奥岳温泉でひと風呂、くろがね小屋の乳白温泉を思い出しながら
人のつながり、出合いの素晴らしさを感じた山行でした。
私にとって心の山、市房山も半世紀近くも登っていない。急に心が騒ぐ、故郷の山河に会いたくなった。
麗嶺
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する