軽井沢の別荘地内の道を歩く。暫くはこんな感じの道が続く。
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11/22 9:31
軽井沢の別荘地内の道を歩く。暫くはこんな感じの道が続く。
前回(先週)は六本辻まで。ここから旧中山道歩きが再開となる。先週と違い、まだ朝早いことと紅葉シーズンが終わりかけなこともあるのだろうか、人の数はだいぶ少なかった。
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11/22 9:50
前回(先週)は六本辻まで。ここから旧中山道歩きが再開となる。先週と違い、まだ朝早いことと紅葉シーズンが終わりかけなこともあるのだろうか、人の数はだいぶ少なかった。
旧軽井沢の喧噪を抜けると軽井沢ショー記念礼拝堂がある。この教会は私がまだ10代の頃からその姿を変えずに佇んでいる。
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11/22 10:24
旧軽井沢の喧噪を抜けると軽井沢ショー記念礼拝堂がある。この教会は私がまだ10代の頃からその姿を変えずに佇んでいる。
旧軽井沢の外れ。ずいぶん昔からここに公衆トイレがある。建物は建て直されているのかな。
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11/22 10:25
旧軽井沢の外れ。ずいぶん昔からここに公衆トイレがある。建物は建て直されているのかな。
昔の別荘の跡。現在は利用されていないようだ。
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11/22 10:30
昔の別荘の跡。現在は利用されていないようだ。
旧軽井沢を出て中山道を示す道標を初めて見た。写真の遊歩道方面を中山道とするサイトもあるが、実際にはこの道標の方向に直進する車道が正しいようだ。
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11/22 10:34
旧軽井沢を出て中山道を示す道標を初めて見た。写真の遊歩道方面を中山道とするサイトもあるが、実際にはこの道標の方向に直進する車道が正しいようだ。
道路を直進し、緩く左カーブを描く地点にひっそりと中山道を示す標式がある。ここから旧中山道は車道を逸れ、谷を下って行く。
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11/22 10:42
道路を直進し、緩く左カーブを描く地点にひっそりと中山道を示す標式がある。ここから旧中山道は車道を逸れ、谷を下って行く。
ピンクテープと踏み跡程度の中山道。幅員は狭い。これ以降の中山道遺構の幅員は結構広かったが、ここはご覧の通り狭い。車道拡幅によって埋まってしまったか、それともそもそもルートが違うのか。恐らく前者ではなかと考えているのだが果たして。
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11/22 10:43
ピンクテープと踏み跡程度の中山道。幅員は狭い。これ以降の中山道遺構の幅員は結構広かったが、ここはご覧の通り狭い。車道拡幅によって埋まってしまったか、それともそもそもルートが違うのか。恐らく前者ではなかと考えているのだが果たして。
幅員の広い凹地が続いている。恐らく道跡(中山道跡)だとはおもうのだが標識の類は無かった。
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11/22 10:49
幅員の広い凹地が続いている。恐らく道跡(中山道跡)だとはおもうのだが標識の類は無かった。
ややS字に曲がる凹地。自然にできた谷では無さそう。おそらくこれが中山道跡なのではないだろうか。この周辺の中山道がどの辺を通っていたか、出発前及び帰宅後も調べてみたが良く判らなかった。
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11/22 10:52
ややS字に曲がる凹地。自然にできた谷では無さそう。おそらくこれが中山道跡なのではないだろうか。この周辺の中山道がどの辺を通っていたか、出発前及び帰宅後も調べてみたが良く判らなかった。
極力旧中山道を辿ろうとしたのだが、聖沢の馬頭観音群を飛ばしてしまった。実はこの先に馬頭観音があるとも知らず…しっていたのなら引き返して正規ルートを辿ったのに。写真左側が登ってきた道。本来は写真右側から来なければならない。下側に分岐がある筈なのだが全く気付かなかった。
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11/22 11:06
極力旧中山道を辿ろうとしたのだが、聖沢の馬頭観音群を飛ばしてしまった。実はこの先に馬頭観音があるとも知らず…しっていたのなら引き返して正規ルートを辿ったのに。写真左側が登ってきた道。本来は写真右側から来なければならない。下側に分岐がある筈なのだが全く気付かなかった。
車道跡かと思ってしまうくらいに広い幅員。流石五街道の一つ、中山道。ただ、ずっとこの幅が続く訳ではなく、狭いヶ所は狭い。この点が車道と違うところだ。
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11/22 11:21
車道跡かと思ってしまうくらいに広い幅員。流石五街道の一つ、中山道。ただ、ずっとこの幅が続く訳ではなく、狭いヶ所は狭い。この点が車道と違うところだ。
中山道は峠の直前で車道を横断。この辺の道標はあまり充実しておらず、道幅も以前の広い場所と比べると狭め。
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11/22 11:45
中山道は峠の直前で車道を横断。この辺の道標はあまり充実しておらず、道幅も以前の広い場所と比べると狭め。
熊野皇大神社。長野県と群馬県の県境に建つ神社。その存在は随分前から知っていたが、この神社を訪れたのは今回が初めて。
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11/22 11:54
熊野皇大神社。長野県と群馬県の県境に建つ神社。その存在は随分前から知っていたが、この神社を訪れたのは今回が初めて。
旧碓氷峠を越え道を辿ってゆく。幅員は広い。ただ、この道幅は中山道本来のものではないかもしれない。実はこの道、立派な車道なのだ。
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11/22 12:16
旧碓氷峠を越え道を辿ってゆく。幅員は広い。ただ、この道幅は中山道本来のものではないかもしれない。実はこの道、立派な車道なのだ。
思婦石(おもふいし)横の石祠。新しめと思われるものから古いものまで祠が祀られていた。何が祀られているのかは不明。
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11/22 12:17
思婦石(おもふいし)横の石祠。新しめと思われるものから古いものまで祠が祀られていた。何が祀られているのかは不明。
幅員が広く、真っすぐな道を歩くと途中で分岐が現れる。直進がメインルートのように見えるが、道標の指す中山道は左折。左折すると途端に道幅は狭くなり、そして道はそれ迄に比べて急になる。後から調べてみると、直進するルートも中山道とのこと。次に来る機会があれば、直進する中山道ルートを辿ってみたいと思う。
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11/22 12:20
幅員が広く、真っすぐな道を歩くと途中で分岐が現れる。直進がメインルートのように見えるが、道標の指す中山道は左折。左折すると途端に道幅は狭くなり、そして道はそれ迄に比べて急になる。後から調べてみると、直進するルートも中山道とのこと。次に来る機会があれば、直進する中山道ルートを辿ってみたいと思う。
カラマツ林のなかをまっすぐ続く中山道。幅員は広め。この先、中山道は皇女和宮降嫁道と合流する。実はこの降嫁道は1970年代に車道として整備され、別荘分譲地に至る道になっていた。この幅員の広さは事によると車道であったのかもしれない。
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11/22 13:03
カラマツ林のなかをまっすぐ続く中山道。幅員は広め。この先、中山道は皇女和宮降嫁道と合流する。実はこの降嫁道は1970年代に車道として整備され、別荘分譲地に至る道になっていた。この幅員の広さは事によると車道であったのかもしれない。
皇女和宮降嫁道との合流地点。左側の道が旧碓氷峠からの中山道、右側の道が旧碓氷峠からの皇女和宮降嫁道。一時期車道化していたので往時の痕跡は随分失われてしまっているのだろうと思う。(もっとも、まだ歩いたことは無いのだが)
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11/22 13:08
皇女和宮降嫁道との合流地点。左側の道が旧碓氷峠からの中山道、右側の道が旧碓氷峠からの皇女和宮降嫁道。一時期車道化していたので往時の痕跡は随分失われてしまっているのだろうと思う。(もっとも、まだ歩いたことは無いのだが)
この周辺を歩いている時は中山道だから幅員が広かったんだろう…と単純に考えていたのだが、この辺は後の別荘地開発によって道が拡幅(そしておそらく道の付け替え)が為されている。旧街道筋がどんなルートを取っていたのか安中市が調べているらしいのだが、まだ結果は出ていないようだ。
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11/22 13:10
この周辺を歩いている時は中山道だから幅員が広かったんだろう…と単純に考えていたのだが、この辺は後の別荘地開発によって道が拡幅(そしておそらく道の付け替え)が為されている。旧街道筋がどんなルートを取っていたのか安中市が調べているらしいのだが、まだ結果は出ていないようだ。
別荘分譲地にあるひと際大きな建物のある敷地入口に放置されている廃バス。以前はこのバスが通れるくらいの道であったという事だ。放置された廃バスの後ろには「見晴台 別荘分譲地」と辛うじて読み取ることができる看板があった。
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11/22 13:17
別荘分譲地にあるひと際大きな建物のある敷地入口に放置されている廃バス。以前はこのバスが通れるくらいの道であったという事だ。放置された廃バスの後ろには「見晴台 別荘分譲地」と辛うじて読み取ることができる看板があった。
これがその建物。レストランであった…という話もあるが、私には宿泊施設であった建物のように感じられた。電気設備のスイッチのデザインから恐らく1970年代前半前後の建物だと思われる。周辺の道の整備状況から見るに、所謂原野商法の餌食となった分譲地販売ではなく、それなりにマジメ(?)に開発されたものであろうことが想像できる。もっとも、この別荘地開発は頓挫してしまったので実際にこの地を購入した人にとってはとんでもない事なのだが。
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11/22 13:18
これがその建物。レストランであった…という話もあるが、私には宿泊施設であった建物のように感じられた。電気設備のスイッチのデザインから恐らく1970年代前半前後の建物だと思われる。周辺の道の整備状況から見るに、所謂原野商法の餌食となった分譲地販売ではなく、それなりにマジメ(?)に開発されたものであろうことが想像できる。もっとも、この別荘地開発は頓挫してしまったので実際にこの地を購入した人にとってはとんでもない事なのだが。
この辺は往時の雰囲気を良く残しているのではないだろうか。適切な幅員にように感じられる。狭くも無く、広くも無い。この周辺の尾根上は傾斜も緩やかで歩き易い。
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11/22 13:35
この辺は往時の雰囲気を良く残しているのではないだろうか。適切な幅員にように感じられる。狭くも無く、広くも無い。この周辺の尾根上は傾斜も緩やかで歩き易い。
一里塚。正直なところ、周辺のどれが一里塚なのか判然としなかった。中山道よりも前の道、東山道のルートが近くを通っていたらしいのだが、その跡も今ひとつわからなかった。もう少し詳しい説明が欲しい所。
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11/22 14:17
一里塚。正直なところ、周辺のどれが一里塚なのか判然としなかった。中山道よりも前の道、東山道のルートが近くを通っていたらしいのだが、その跡も今ひとつわからなかった。もう少し詳しい説明が欲しい所。
途中にあった見事な大岩。名前が付いていそうな岩だったがそれを示す看板や標識の類は無かった。
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11/22 14:20
途中にあった見事な大岩。名前が付いていそうな岩だったがそれを示す看板や標識の類は無かった。
標高が下がってくると紅葉がまだ残っている場所に来た。紅葉が夕方の逆光に映えて美しい。
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11/22 14:20
標高が下がってくると紅葉がまだ残っている場所に来た。紅葉が夕方の逆光に映えて美しい。
所々、道が崩れ落ちている場所がある。この周辺は浅間山の降下噴出物が厚く積もっている為か崩れている場所が散見される。
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11/22 14:21
所々、道が崩れ落ちている場所がある。この周辺は浅間山の降下噴出物が厚く積もっている為か崩れている場所が散見される。
東屋の中にはノートが何冊か置かれていた。所謂”駅ノート”の登山道版。風に煽られて飛んで行かないように重石があるのだが、その重石が横川の釜飯(おぎのや)の蓋だった。なかなか地元ならではの味わいがあってよかった。
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11/22 14:50
東屋の中にはノートが何冊か置かれていた。所謂”駅ノート”の登山道版。風に煽られて飛んで行かないように重石があるのだが、その重石が横川の釜飯(おぎのや)の蓋だった。なかなか地元ならではの味わいがあってよかった。
刎石茶屋 ( 四軒茶屋 ) 跡の石垣。当時のものがそのまま崩れずに残っている。中山道から15m程離れた場所にある。ほんの少し歩けば見ることができるので興味のある方は是非。
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11/22 15:02
刎石茶屋 ( 四軒茶屋 ) 跡の石垣。当時のものがそのまま崩れずに残っている。中山道から15m程離れた場所にある。ほんの少し歩けば見ることができるので興味のある方は是非。
この緑色の道標は軽井沢の外れから要所要所で見かける。県をまたいで同様の標識が使われていたので恐らく私設若しくは任意団体の設置したものなのだろう。そしてこの道標によく出てくる”近道”の表示。今回は中山道をなるべく忠実に辿る為に”近道”はしなかったが、何時か歩いてみても良いかも。
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11/22 15:04
この緑色の道標は軽井沢の外れから要所要所で見かける。県をまたいで同様の標識が使われていたので恐らく私設若しくは任意団体の設置したものなのだろう。そしてこの道標によく出てくる”近道”の表示。今回は中山道をなるべく忠実に辿る為に”近道”はしなかったが、何時か歩いてみても良いかも。
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11/22 15:08
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11/22 15:10
覗(のぞき)から見下ろす坂本宿。昔の宿場町の形状が良く残っていることがわかる。
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11/22 15:11
覗(のぞき)から見下ろす坂本宿。昔の宿場町の形状が良く残っていることがわかる。
刎石坂(はねいしざか)にある大日尊(だいにちそん、だいにちにょらい)。この場所には他にもいくつか石碑があった。
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11/22 15:17
刎石坂(はねいしざか)にある大日尊(だいにちそん、だいにちにょらい)。この場所には他にもいくつか石碑があった。
かなり標高が低くなり、そして陽が傾いてきた。そのため、日の当たる場所では写真のような美しい景色となった。
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11/22 15:38
かなり標高が低くなり、そして陽が傾いてきた。そのため、日の当たる場所では写真のような美しい景色となった。
坂本宿の中を通る道は国道18号線。碓井バイパス開通以前はこちらの道がメインルートだった。「食堂 峠路」この食堂はその頃営業していた食堂なのだろう。1970年代のレトロな雰囲気を色濃く残している。その後このルートが寂れてしまった為閉店以降店舗・敷地を他に利用することが無かったのだろう。
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11/22 16:01
坂本宿の中を通る道は国道18号線。碓井バイパス開通以前はこちらの道がメインルートだった。「食堂 峠路」この食堂はその頃営業していた食堂なのだろう。1970年代のレトロな雰囲気を色濃く残している。その後このルートが寂れてしまった為閉店以降店舗・敷地を他に利用することが無かったのだろう。
横川駅近くの中山道沿いにあった以前旅籠であったと思われる建物。このような建物を幾つか目にすることができる。
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11/22 16:39
横川駅近くの中山道沿いにあった以前旅籠であったと思われる建物。このような建物を幾つか目にすることができる。
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