林城址(15世紀・信濃守護大名の山城)城攻め
- GPS
- 19:13
- 距離
- 7.4km
- 登り
- 429m
- 下り
- 425m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自転車
|
写真
感想
突然休日で、気になっていた林城址を歩く。林城は室町時代に信濃守護大名だった小笠原氏が戦乱深まり、より守りの堅い山城を築いてその麓に引っ越した城。1460年に作って1550年に武田信玄に攻められて逃げるまでの90年使った。
尾根上にダンダンの曲輪が何十も並び、本丸が近づくと曲輪も大きくなり規模も大きい。側面の竪堀や堀切もなんとか残っている。このしくみは武田の舘の裏に在った、積翠寺の要害城と同じ。いつ殺されるかわからない時代、大真面目で作った城。
ことしの2月の看板が、国史跡に指定されたとある。等高線入りの地形図に、曲輪や堀切が書き込まれた詳しい地図が示してあってありがたい。史跡というものは知識がなければ何も見えないもの。現場でこの図を見られれば、随分見えるものが違う。
西の隣の尾根にも小城があり、そちらは石垣なども残る、武田滅亡後かもしれない普請。こちらのほうが本丸周りの土塁とか虎口などに名残があった。地下足袋で土橋や土塁を踏みしめ踏みしめ。武田に追われた小笠原の無念を想像する。
この2つの城に挟まれた大嵩崎(おおずき)という傾斜のある村落を歩いたのが楽しかった。ここは500年前城下町だった可能性のあるところ。行き止まりで傾斜地だけど日当たり良く、古くからの住民が暮らしている。なかなか外の人は訪れない場所だ。林城から下っていくとリンゴの木を切っているおじさんが居て、長く話す。40年の木だけどそろそろもうトシだ。虫もエラい。人手も足りないし畑も世話できず雑木が茂り放題だ。こうなると焼き畑しかあんめえ。火つけりゃ楽だけど。19軒が13軒になってしまった。若い人がおらん。いても畑なんかやらん。でもここはいいところだよ。
市街地まで自転車で(下りなら)15分ほどだから限界集落ってほどでもない。登りはエラいけど。
林小城の西に降りると、小笠原氏の菩提寺光沢寺へ。立派なケヤキ並木、坂の上の大伽藍だけど、どうも最近新築したみたいでパッとしない。僕は信仰ではなく、古い建築と佇まいに惹かれて古刹を訪ねるので、こういう場合はちょっとがっかり。でもさすが古い寺なので安普請ではなく質の良い建築だ、あと50年もすれば渋みが出ると思う。
古墳や廃寺跡の史跡標識を見ながら駐輪地点へ戻る。やはりこういう山際には、中世のころまでは人の住んだ形跡が多いと思う。山際は水もきれいで薪もあり、住みやすいのだ。慈眼寺という鎌倉以来の古刹もあったのに明治の廃仏毀釈で滅びたとの立て札もあり。
もう一点、林城の尾根とりつき付近には、昭和20年の敗戦間際に、秘密兵器工場を作ろうと朝鮮人労務者を多数使って、軍がトンネルを掘っていたという話を聞いていて、そこも探したのだが、ちょっと見つからなかった。近所だし、また来よう。やはり戦乱期には人は山へ逃げるのだ。
帰りは薄川左岸、筑摩神社近くの人気店、らーめん寸八で本節入り中華そばを食べて、かいた汗の分、水をごくごく飲んでマンゾク。家への帰り道に山辺の知人に著書を届けたら、お返しに先方の著書をいただいた。僕の好きな世界史の本。
松本民芸館の前を通ったので、33年前、別れた彼女からのお手紙のなかでここをお勧めされたことを突然思い出して訪問。「ここにはあなたのきらいなアルミサッシがありませんよ」という一文も突然蘇る。その通りだった。「ほんとうだね」と思わず声が出た。涼しい森の中の美術館。
コメント
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33年前に別れた彼女からの手紙を思い出すなんて…もちろん誕生日とか周辺情報も覚えてますよね。米山さんの記憶力は凄いですね。
私、担任の先生の名前すら覚えてない。
林城跡は裏山なので旦那と私の散歩コースです。
大嵩崎から降りた時ここの集落の完璧さに心が揺らぎました。
山近、高台、町まで近い、畑と花畑。
でも冬の寒さはすごそうだし、小さな集落によそ者がはいるのは中々勇気がいるなぁとそこに行くことは考えれなかった。そもそもそこに住む方法がわからないけど。
yoneyamaさんは本当にどこに人にも打ち解けられてすごいですね。私たちはどこに住んでもたわいもない話に苦戦してます。
薄川、筑摩神社の付近もいいところです。
遠くから見ると筑摩の森がうっそうとしていてすぐに場所がわかります。
薄川のジョギングコースは夏でも風がそよぐ最高のコースなんです。しかも空いている。
城攻めシリーズ、これからも楽しみにしています。
記憶力とはまだらなものですよ。悔しみや、切なさが混ざってしばらく忘れられなかったんだよ。でもその後すつかり忘れちゃっていたんだ。
大嵩崎わかる人いて、うれしぃー。あの行き止まりの佇まい、山から降りて来た人しか歩けない、特権ですよ。
やっぱり住んで見たいと思いましたよね。
まずは話し込んで顔見知りになって、お茶に呼ばれて、ですね。縁あれば、いろんな話が始まりますよ。近所だから、通えますね。盆地周辺では、もっとも市街地に近い、古いままの気配を残した部落ですね。
筑摩の森も、広くてステキなところだと思います。高校生のころ、あそこで日中ぶどう酒飲んでゴキゲンになっていたら、あの近所に住んでいたバンカラな先生がたまたま通りかかって、ホドホドにしとけよ、と優しく言われたことがありました。センセイは、この春亡くなりました。
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