南八甲田 櫛ヶ峯 帰りは駒ヶ峯・猿倉の藪漕ぎ
- GPS
- 09:05
- 距離
- 22.6km
- 登り
- 1,046m
- 下り
- 1,038m
コースタイム
- 山行
- 8:16
- 休憩
- 0:46
- 合計
- 9:02
天候 | 晴れ 岩手山は見えず |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
行き 駒ヶ嶺分岐まで刈り払いあり。以降、櫛ヶ峯までは刈り払いなし。 帰り 駒ヶ嶺の登り〜駒ヶ嶺〜猿倉岳〜猿倉温泉は刈り払いなし。ものすごい藪でした。詳細は感想欄で…。 |
写真
感想
好天予報で、きのこ状況の確認も含めて南八甲田へ。3〜5月の春雪シーズン以外では2年ぶりの櫛ヶ峯をめざす。残雪期スキーだと睡蓮沼から2時間半くらいだが、残雪期以外では、昭和初期に造られたいわゆる“旧道”をたどる、歩行時間のかかるルート。出発はやや遅れた。駐車場は7台ほどで、秋山としては少ないというべきか、南八甲田にしては多いというべきか。ちなみに北八甲田登山口である酸ヶ湯駐車場は満杯であった。
秋を感じながらマイペースで歩き、乗鞍岳分岐や黄瀬沼分岐などを通過。思った以上に赤や黄色の紅葉が進んでいる。天気よし、風なし、気温もちょうどよし。この旧道は、車道の設計ゆえ距離は長いが傾斜はゆるやかなので、息もさほどあがらない。水場も豊富。途中、5人のパーティの方とお話しをしたり、櫛の直下で7人ほどのパーティの方とすれ違ったりと、楽しく櫛ヶ峯まで。頂上でまったりしていると、ここ2年ほど1・2月に大岳近辺でお会いする公園指導員のKさんが来られ、楽しくお話しをさせていただいた。(5月3日にガチャボッチ、横岳近辺でクマ出没とのことでした。)
ここまでは楽しい山歩きだった。
下山ルートは、出発時から、駒ヶ嶺〜猿倉岳〜猿倉温泉と決めていた。駒ヶ嶺への登り道がひどい藪であることは知っていたが、通ってみたいと思っていた。実は高校時代に、猿倉温泉から登ったような記憶があるのだ。高校総体山岳競技だったと思う。40年も前のことで記憶は定かではないのだが、その他を含め2度ほど、猿倉温泉から急登にあえいでこの道を歩いたような気がする。そして駒ヶ嶺からの急坂を下ったような気がする。その時から、出だしの急登・洗掘・眺望いまひとつ、というぼんやりとした記憶を抱いていた。高校から社会人、近年の再びの山への憧憬を経て、今回のルート選択となった。
気を引き締めて藪に突入。顔にも刺さってくるひどい藪だが、道は判別できる。駒までは40分ほどでなんとか。覚悟もしていた。冬に見る駒頂上の木製標識は発見できず。ここから猿倉までは、稜線上だし湿原もあるので、藪はそれほどでもないのでは…、猿倉岳からの下りは昔は道がしっかりしていたという記憶もあるし…。
しかしここからが本当に大変だった。ピンクテープは10mおきくらいに付けられており心底助かったのだが、想像以上の藪だった。テープはかなり古いというわけでもない。いつ、誰が付けたものか。笹竹が覆い被さり足下のわずかな踏み跡を目で確認できぬままに足先感覚で進む。顔や手首の露出した肌に、笹の葉や枝が襲ってくる。かすかな踏み跡から完全に外れ、パニックに陥りかけたこと多数。スマホGPSで軌道修正。猿倉と思って安堵したらニセ駒で、猿倉はまだまだ先…。明るいうちに下山できるかという不安。…でも前に進むしかなかった。1ヶ月前の和賀岳・小杉山から薬師岳へのヤブよりもかなり厳しい。
なんとか猿倉へ着き安堵したが、ここからも藪。道外しパニックも何度か。昔の面影は全くなく、思い出と現実の落差に愕然。登山道も年齢を重ねたんだなあと、藪漕ぎしながらこれまでの年月を振り返った。「若い頃を基準に物事を判断しちゃいかんよのう、山も人生も…。おぬし甘かったよのう…。」(時代劇風に。少し余裕が出てきた証拠。)迷うことのない道となったのは、温泉手前300mくらいの所だった。
帰宅後、2004年初版の「山と渓谷社」のガイドブックを読み返した。駒ヶ峯の登りの藪については書かれているが、それ以外の藪については記述はなく、推奨ルートとしてこのルートを挙げていた。それほど昔の本でもないので、この記述をもとに登山道をイメージしていたが、その後、荒廃が進んだのだろう。近年のこのルートの情報はよくわからないが、記述を真に受けてこのルートを選んでしまい、9時間以上の長時間行動となった。今後の糧としたい。
いずれにせよ、このルートは、もはや一般の方が利用できる状態ではないと思いました。残雪期の楽しくスピーディな尾根歩きとは異なります。私見ではありますが、情報としてお役立てください。
よく行かれましたねえ!!!
>わずかな踏み跡を目で確認できぬままに足先感覚で進む
雨の日に猿倉温泉から猿倉岳登り、閉口した苦い記憶があります。
10mおきにピンクテープというのが、その厳しさを感じさせます。
昔より荒廃が進み、洗掘された道をいくしかない藪漕ぎの道・・・
日本一の藪漕ぎルートだと思います。
ありがとうございます。お久しぶりです。
想像以上にひどい藪でした。昔の記憶を確認してみたいという淡い思いで、このルートを決めましたが、青春時代を思い出す余裕はありませんでした。現況が書かれたものもあまり目にしませんので、皆様にお知らせしたほうがよいという思いもあり、レポしました。
yousakuさんも歩かれたことがあるんですね。いつ頃の話ですか?猿倉温泉からは昔も洗掘がひどかったように思います。先ほど黄瀬沼へのレポを見つけましたが、やはりひどい藪のようです。ガイドブックでは沼へのルートも普通に書いてあります。書かれた頃とはかなり状況が変わっている様子。公機関が南八甲田登山道の整備を開始したとのことですが、今回のルートや黄瀬沼、さらには御鼻部山まで整備するのでしょうか。おそらく、ないでしょうね。
秋真っ盛りとなりました。お互い、楽しみましょう。10月中に、羽後朝日に行くかも… 。 またお会いしたいですね。
返信ありがとうございます。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-492130.html
過去の自分の記録ではもう3年前の8月10日でした。(この日は台風が近付いてきていた日で最悪でした)
>でも行きます。おじさんは覚悟を決めたんです。
この文、妙に泣けます。かっての昔に歩いた記憶を懐古しながらも、実際は容易ならざる藪漕ぎの道に・・・・。(実際カメラなんか余裕なし理解出来ます)
一緒に回った友人は、行き&帰路も猿倉岳-駒ヶ峯-櫛が峰を過去2回山行しており、日本一の悪路であると言っていました。帰路に至っては既に真っ暗闇で
ライト照らしての山行だったようです。
また御鼻部山からヘアピン抜けて櫛が峰のルートは更なる藪漕ぎと聞いています。変わったところでヨッキレンさんという方がこの道をなんとチャリで挑戦しています。
http://yamaiga.com/road/hakkouda/main.html
廃道になった道を追い求めるマニアックさに唖然としてしまいました。
世の中、様々な方がいるものだと・・・・
最後にmametan3さんのストイックなまでに打ち込む姿は共鳴、心に響くものを感じた事を申し上げます。
ご教示、ありがとうございます。
3年前のレコを拝見しました。「こんなとこ登ってくるとしたら、ガイドブックをそのまま読んで登山道の事情を知らない都会の人だけじゃないの?」と思いながら藪漕ぎしましたが、そうですか、yousakuさんも歩いていましたか。しかも猿倉温泉から。しかも雨の日に山頂まで。私以上にすごいことですね。友人の方もすごいですね。2回も猿倉から登るなんて。black_sheep隊長の動機は何なのか、その心的エネルギーはどこから来るものなのか、伺ってみたいものです。
旧い道が整備され歩きやすく、新しい道が藪というのが、事情を知る地元以外の方には理解しずらいと思うんです。私も最初、ピンときませんでしたから。戦前に馬車用につくられたという特殊事情を秘めた登山道なんて、めったにあるものではないと思います。
ヨッキレンさんの迫真のレポも拝見しました。おっしゃる通り、いろんな方がいるんですね。お互い、いい経験をしたということで、今後の山行に生かしていきましょう。
black_sheep隊長は高校からの同期でして、藪漕ぎという被虐的なものを打ち破っていくスタイルが好きなようです。
ご存知と思いますが、青森の山岳同人たがじょの方々で好んでこの道(御鼻部山-猿倉岳-駒ヶ峯)を歩く方々がいらっしゃるのは聞いたことがあります。この方々がピンクテープをつけてくれていると思います。
>戦前馬車用
私はこの地方の公共工事の部分もあるのだろうと思いましたが、廃道になってしまえば、かの昔の姿に帰するのでしょうねえ。
話は反れますが、ご存知の秋田焼山という処では硫黄を採る為にあの場所で暮らした人達がいたようで、その名残りでは電気を引っ張っる為の砕けた碍子やガラスの欠片があったりします。そこで感じたのは昔、生活のために此処で暮らしたという事実−現代では考えられない仕事だとも思います。
私の地元では大葛金山というかっての金山として栄えたところがあるようで、そこでは親子よりも絆の強い友子衆等、若くして未亡人となりまた新しい旦那を迎え暮らした女性達等、山を通して伝わる人間の歴史が悲哀をも感じさせてくれるので何かに触れるものがありますね。
かなり長文コメになりました。大変失礼致しました
駒ヶ峯経由で猿倉に行く人なんていないと思ってたら、いましたね。
親戚は城ヶ倉から横岳経由で猿倉に縦走したアホですが、今は鬼籍に入っているので生きてるうちにルートを聞いておくんだと後悔してます。
「なんであんな藪ん中に行ったんだ?」
「若かりし頃、顧問の先生に連れられて歩いた道をどうしても確かめてみたかったんです〜(涙) すんません、刑事さん」
てな感じです。
最近は、和賀岳にしても焼石にしても、10代から20代の頃に歩いた道を確かめる旅が多くなってます。年をとった証拠ですな。
oyamaさんは新調ウェアを試したくてウズウズしているでしょう。あと2か月っていうところかな?
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