朝霧が凄い時は昼間は快晴になることが多いですが雲が多い1日でした。
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10/8 6:07
朝霧が凄い時は昼間は快晴になることが多いですが雲が多い1日でした。
船橋市郷土博物館前。明治天皇が休憩したという「明治天皇駐蹕之処碑」があります。明治6年の演習時に周辺を「習志野ノ原」と命名されたことが習志野の由来になっています。
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10/8 6:11
船橋市郷土博物館前。明治天皇が休憩したという「明治天皇駐蹕之処碑」があります。明治6年の演習時に周辺を「習志野ノ原」と命名されたことが習志野の由来になっています。
成田街道の標識。関西では〇〇街道という標識は殆ど目にしないですが関東ではよく目にしますね。
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10/8 6:17
成田街道の標識。関西では〇〇街道という標識は殆ど目にしないですが関東ではよく目にしますね。
新木戸交差点にあった「血流地蔵道道標」。寺への道標ですが交差点の向いにも別の道標があります。
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10/8 6:41
新木戸交差点にあった「血流地蔵道道標」。寺への道標ですが交差点の向いにも別の道標があります。
「成田山」こちらも立派なものです。先ほどの道標と同じく半分に折れたものを補修されています。
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10/8 6:43
「成田山」こちらも立派なものです。先ほどの道標と同じく半分に折れたものを補修されています。
沿道には大小の石仏を多く見かけます。中でも出羽三山のものが多く周辺では信仰が盛んだったのでしょう。
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10/8 7:16
沿道には大小の石仏を多く見かけます。中でも出羽三山のものが多く周辺では信仰が盛んだったのでしょう。
人に優しくない歩道。車の出口部分が下がっているので非常に歩きづらいです。
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10/8 7:23
人に優しくない歩道。車の出口部分が下がっているので非常に歩きづらいです。
「さわだ茶家」東久邇宮家の別邸を移設したものだそうです。
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10/8 7:28
「さわだ茶家」東久邇宮家の別邸を移設したものだそうです。
「明治天皇行在之処碑」
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10/8 7:35
「明治天皇行在之処碑」
大和田宿。成田参詣では中間点でもあったので大いに賑わったそうですが往時の面影はないように思います。
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10/8 7:36
大和田宿。成田参詣では中間点でもあったので大いに賑わったそうですが往時の面影はないように思います。
左型の膨らみは旧道の痕跡。
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10/8 7:44
左型の膨らみは旧道の痕跡。
この辺りでは川があるごとに若干のアップダウンがあります。こちらは印旛放水路。
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10/8 7:48
この辺りでは川があるごとに若干のアップダウンがあります。こちらは印旛放水路。
沼側には堰がありますが反対側は昔ながらの流れのように見えます。
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10/8 7:49
沼側には堰がありますが反対側は昔ながらの流れのように見えます。
賑わう東葉勝田台駅付近。昔は何もない田畑だったことが迅速地図からわかります。
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10/8 8:08
賑わう東葉勝田台駅付近。昔は何もない田畑だったことが迅速地図からわかります。
加賀清水。佐倉城主加賀守が往来の際に必ず立ち寄ってお茶を飲んだことから名づけられています。
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10/8 8:37
加賀清水。佐倉城主加賀守が往来の際に必ず立ち寄ってお茶を飲んだことから名づけられています。
常夜灯と道標群。周辺にあったものを一か所にまとめられています。
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10/8 8:40
常夜灯と道標群。周辺にあったものを一か所にまとめられています。
ユーカリが丘駅付近。
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10/8 9:05
ユーカリが丘駅付近。
このクリニックの敷地が旧道の痕跡だったと思われます。
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10/8 9:17
このクリニックの敷地が旧道の痕跡だったと思われます。
臼井の町が見えてきました。
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10/8 9:27
臼井の町が見えてきました。
手繰川を越えた先で左の旧道に入ります。
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10/8 9:32
手繰川を越えた先で左の旧道に入ります。
普通の住宅街の雰囲気ですが急坂が続く紛れもない旧道です。
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10/8 9:34
普通の住宅街の雰囲気ですが急坂が続く紛れもない旧道です。
大きな枡形。わざわざ台地上を経由する道筋にしたりと臼井城下時代の名残を感じることができます。(臼井城は江戸初期に廃城)
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10/8 9:40
大きな枡形。わざわざ台地上を経由する道筋にしたりと臼井城下時代の名残を感じることができます。(臼井城は江戸初期に廃城)
ここを右へ。道標が立っています。
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10/8 9:41
ここを右へ。道標が立っています。
右 成田みち、左 江戸みち。
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10/8 9:41
右 成田みち、左 江戸みち。
一気に急坂を下って左に曲がると臼井宿中心部です。
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10/8 9:48
一気に急坂を下って左に曲がると臼井宿中心部です。
突き当りを右へ。ここには道路元標があります。成田名所図会に描かれている臼井の場所はこの交差点です。
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10/8 9:55
突き当りを右へ。ここには道路元標があります。成田名所図会に描かれている臼井の場所はこの交差点です。
明治天皇行在所の碑も併設しています。臼井宿の中心部。元々、城下町だったものが廃城後寂れてしまいますが成田山参詣が活発になって宿場として息を吹き返したそうです。
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10/8 9:57
明治天皇行在所の碑も併設しています。臼井宿の中心部。元々、城下町だったものが廃城後寂れてしまいますが成田山参詣が活発になって宿場として息を吹き返したそうです。
踏切を渡った先で左折。この角にも道標があります。
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10/8 10:07
踏切を渡った先で左折。この角にも道標があります。
西 江戸道、東 成田道。文化年間のもの。
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10/8 10:08
西 江戸道、東 成田道。文化年間のもの。
こちらの「さくら道」道標は文化年間以前のものでしょう。
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10/8 10:09
こちらの「さくら道」道標は文化年間以前のものでしょう。
ここを右へ。旧道です。
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10/8 10:13
ここを右へ。旧道です。
すぐに先ほどの道に合流します。
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10/8 10:13
すぐに先ほどの道に合流します。
本来なら線路の敷地を跨いだ形のカーブになっていたのですが鉄道建設で消滅してしまっています。
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10/8 10:14
本来なら線路の敷地を跨いだ形のカーブになっていたのですが鉄道建設で消滅してしまっています。
一里塚があった場所。
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10/8 10:23
一里塚があった場所。
八丁坂。佐倉城下の郊外にあたる場所で刑場がありました。
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10/8 10:30
八丁坂。佐倉城下の郊外にあたる場所で刑場がありました。
刑場跡。この供養塔は寛政年間のものなので古いものです。近くに首洗い井戸があったのですが埋まってしまっています。
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10/8 10:31
刑場跡。この供養塔は寛政年間のものなので古いものです。近くに首洗い井戸があったのですが埋まってしまっています。
ここを左へ。
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10/8 10:33
ここを左へ。
まるで枡形のような道筋。奥に見えるの木が生い茂っている山が佐倉城跡です。
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10/8 10:54
まるで枡形のような道筋。奥に見えるの木が生い茂っている山が佐倉城跡です。
ここを左へ。
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10/8 10:55
ここを左へ。
すぐに右に曲がります。
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すぐに右に曲がります。
城が近づいてきました。川を渡ります。かつては真っすぐ方向に橋が架かっていました。
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10/8 10:59
城が近づいてきました。川を渡ります。かつては真っすぐ方向に橋が架かっていました。
橋を渡って右に旧道が見えます。
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10/8 11:02
橋を渡って右に旧道が見えます。
少し藪ってますが大したことはありません。直進します。
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10/8 11:03
少し藪ってますが大したことはありません。直進します。
国道と交差。
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10/8 11:05
国道と交差。
右手にバスターミナルがありますが昔は堀が続いていました。街道はこの先で右へとカーブすると現在も残る堀に沿った道筋を進みます。
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10/8 11:06
右手にバスターミナルがありますが昔は堀が続いていました。街道はこの先で右へとカーブすると現在も残る堀に沿った道筋を進みます。
先ほどの場所もこのような光景だったことでしょう。
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10/8 11:13
先ほどの場所もこのような光景だったことでしょう。
この先で右へ。
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10/8 11:17
この先で右へ。
すぐに左へ曲がります。枡形ですね。
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10/8 11:18
すぐに左へ曲がります。枡形ですね。
藁ぶきの民家が残ります。見たところ店でも何でもない一個人の住居のように見えます。
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10/8 11:19
藁ぶきの民家が残ります。見たところ店でも何でもない一個人の住居のように見えます。
海隣寺坂が見えます。これを上ると佐倉市役所で中心部になります。
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10/8 11:21
海隣寺坂が見えます。これを上ると佐倉市役所で中心部になります。
まずまずの賑わい。
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10/8 11:32
まずまずの賑わい。
佐倉町の道路元標がありました。
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10/8 11:34
佐倉町の道路元標がありました。
古い家々が残る城下町。
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10/8 11:37
古い家々が残る城下町。
枡形になっています。
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10/8 11:47
枡形になっています。
佐倉順天堂。順天堂大学とか名前を耳にしますが順天堂の元々の発祥の地は佐倉です。
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10/8 12:25
佐倉順天堂。順天堂大学とか名前を耳にしますが順天堂の元々の発祥の地は佐倉です。
ここを右へ。
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10/8 12:35
ここを右へ。
再び国道と交差して左の旧道に入ります。
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10/8 12:39
再び国道と交差して左の旧道に入ります。
ここを左へ。すぐに右に入ります。この辺りは本佐倉と呼ばれる地域。
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10/8 12:51
ここを左へ。すぐに右に入ります。この辺りは本佐倉と呼ばれる地域。
統一された生垣が立派ですね。
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10/8 12:53
統一された生垣が立派ですね。
ここを左へ。
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10/8 12:55
ここを左へ。
すぐに左へ。左手に山があるわけですが山を迂回する形で道が作られています。
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10/8 12:56
すぐに左へ。左手に山があるわけですが山を迂回する形で道が作られています。
酒々井宿。戦国時代は千葉氏が本佐倉城を築いて下総の中心として栄えていた経緯があります。
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10/8 13:06
酒々井宿。戦国時代は千葉氏が本佐倉城を築いて下総の中心として栄えていた経緯があります。
上の写真の建物は絵図にも見ることができます。
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10/8 13:07
上の写真の建物は絵図にも見ることができます。
酒々井のいわれとなった酒が出る井戸(復元)。街道から徒歩3分ほどの場所にあります。伝説としては要約すると子供が働いたお金で親に幾度も酒を買っていたところ、次第にお金が工面出来なくなって途方に暮れていると酒が出る井戸が突然現れた。と、そんな感じです。
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10/8 13:15
酒々井のいわれとなった酒が出る井戸(復元)。街道から徒歩3分ほどの場所にあります。伝説としては要約すると子供が働いたお金で親に幾度も酒を買っていたところ、次第にお金が工面出来なくなって途方に暮れていると酒が出る井戸が突然現れた。と、そんな感じです。
この左手の道は旧道のように見えます。家の壁の位置、迅速地図での道の膨らみを見ても確率は高いでしょう。
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この左手の道は旧道のように見えます。家の壁の位置、迅速地図での道の膨らみを見ても確率は高いでしょう。
なかなかの高台。眺めがいいです。
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10/8 13:29
なかなかの高台。眺めがいいです。
ここを左斜め方向へ。
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10/8 13:34
ここを左斜め方向へ。
突き当りを右へ。
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10/8 13:37
突き当りを右へ。
酒々井停車場道と書かれているのは鉄道開通後のものなので明治時代の新しいものです。
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10/8 13:38
酒々井停車場道と書かれているのは鉄道開通後のものなので明治時代の新しいものです。
ここを右へ。ここにも道標があります。
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10/8 13:41
ここを右へ。ここにも道標があります。
成田佐原道の文字が見えます。
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10/8 13:41
成田佐原道の文字が見えます。
資料によっては左にグルッと回るもの(A)と、直進するもの(B)がありますがモヤモヤ感が残ったので両方歩いています。
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10/8 13:45
資料によっては左にグルッと回るもの(A)と、直進するもの(B)がありますがモヤモヤ感が残ったので両方歩いています。
(A)の道は山際に沿って進む形で地形どおりの道筋です。迅速地図でも薄っすらと描かれています。迅速地図には(B)の道も描かれています。
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10/8 13:46
(A)の道は山際に沿って進む形で地形どおりの道筋です。迅速地図でも薄っすらと描かれています。迅速地図には(B)の道も描かれています。
ここで(A)と(B)が合流して信号の先にある旧道を進みます。
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10/8 13:49
ここで(A)と(B)が合流して信号の先にある旧道を進みます。
大坂と呼ばれる坂で往時は後押しする役の人が常駐していたそうです。
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10/8 13:56
大坂と呼ばれる坂で往時は後押しする役の人が常駐していたそうです。
明治時代の成田山道標が横たわっていました。
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10/8 13:56
明治時代の成田山道標が横たわっていました。
鬱蒼な雰囲気がある大坂。
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10/8 14:00
鬱蒼な雰囲気がある大坂。
道なりに進むと松並木のモニュメント。
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10/8 14:05
道なりに進むと松並木のモニュメント。
昔は史跡に指定されるほどの場所だったのですが松くい虫にやられてしまい残っていません。
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10/8 14:05
昔は史跡に指定されるほどの場所だったのですが松くい虫にやられてしまい残っていません。
伊篠の松並木跡。道路脇の盛り土に松並木だった痕跡を感じることが出来ます。
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10/8 14:08
伊篠の松並木跡。道路脇の盛り土に松並木だった痕跡を感じることが出来ます。
交差点を渡ります。
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10/8 14:16
交差点を渡ります。
左の旧道へ。
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10/8 14:17
左の旧道へ。
イイ感じの秋空。
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10/8 14:20
イイ感じの秋空。
再び国道に合流。
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10/8 14:25
再び国道に合流。
このような場所を淡々と進みます。
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10/8 14:31
このような場所を淡々と進みます。
ココを右へ。
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10/8 14:38
ココを右へ。
ここを右へ。旧道です。
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10/8 14:43
ここを右へ。旧道です。
忘れられがちな旧道部分ですが遊歩道のように整備されています。この先で再び車道に合流します。
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10/8 14:45
忘れられがちな旧道部分ですが遊歩道のように整備されています。この先で再び車道に合流します。
一本松跡。一里塚の役目のものとは別で松の大木が1本あったのですが旅人は松を見て成田山が近いことを実感したそうです。
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10/8 15:05
一本松跡。一里塚の役目のものとは別で松の大木が1本あったのですが旅人は松を見て成田山が近いことを実感したそうです。
この付近の交通量は少な目。
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10/8 15:21
この付近の交通量は少な目。
成田駅界隈。門前町が始まります。明治初期の鉄道開通前においても門前の賑わいは今の駅前の場所から始まっていました。あえて寺の前に駅を設置しなかったのは門前町を素通りさせないなど色々と理由があったのかもしれませんね。
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10/8 15:29
成田駅界隈。門前町が始まります。明治初期の鉄道開通前においても門前の賑わいは今の駅前の場所から始まっていました。あえて寺の前に駅を設置しなかったのは門前町を素通りさせないなど色々と理由があったのかもしれませんね。
あとは道なりに。
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10/8 15:38
あとは道なりに。
ここは右へ。
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10/8 15:42
ここは右へ。
門前町の賑わい。表参道です。
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10/8 15:45
門前町の賑わい。表参道です。
特長ある建物。大野屋の望楼は昭和10年に建てられたものです。
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10/8 15:45
特長ある建物。大野屋の望楼は昭和10年に建てられたものです。
成田山新勝寺山門。ここを境に表参道と東参道とが分かれます。
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10/8 15:47
成田山新勝寺山門。ここを境に表参道と東参道とが分かれます。
一旦、寺の中へ。
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10/8 15:48
一旦、寺の中へ。
三重塔は1712年のもので重要文化財です。
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10/8 15:51
三重塔は1712年のもので重要文化財です。
成田山新勝寺。元々は君津ケ原に開山された成田山ですが戦国時代で荒れて現在地に移されています。現在の建物は昭和48年のもの。
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10/8 15:51
成田山新勝寺。元々は君津ケ原に開山された成田山ですが戦国時代で荒れて現在地に移されています。現在の建物は昭和48年のもの。
それ以前の本堂はこちら。1858年のもの。現在は釈迦堂になっています。
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10/8 15:54
それ以前の本堂はこちら。1858年のもの。現在は釈迦堂になっています。
山門に戻って東参道を進みます。左へ。
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10/8 16:04
山門に戻って東参道を進みます。左へ。
表参道のような賑わいはないですが往時はこちらもある程度は賑わっていたものと思います。
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10/8 16:06
表参道のような賑わいはないですが往時はこちらもある程度は賑わっていたものと思います。
道なりに左へ。
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10/8 16:09
道なりに左へ。
寺台宿。ここには河岸があって船で来る人々はここから参詣していたそうです。
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10/8 16:18
寺台宿。ここには河岸があって船で来る人々はここから参詣していたそうです。
寺台河岸跡。護岸整備によってかつての面影はないですが何か所か河岸があったそうです。
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10/8 16:21
寺台河岸跡。護岸整備によってかつての面影はないですが何か所か河岸があったそうです。
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