雁坂嶺-飛龍山 〜奥秩父の風〜
- GPS
- 19:25
- 距離
- 35.8km
- 登り
- 2,877m
- 下り
- 3,317m
コースタイム
- 山行
- 4:36
- 休憩
- 0:22
- 合計
- 4:58
- 山行
- 6:20
- 休憩
- 0:29
- 合計
- 6:49
天候 | 3日 晴れ 4日 晴れのち雷雨 5日 晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2019年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
5/5丹波BS発12:02(西東京バス、1010円)奥多摩駅着12:56 |
コース状況/ 危険箇所等 |
このコース、もう今年は滑り止めは要らない。ところどころの岩場を軽視せず、サヲウラ峠から丹波までのトラバース道では慎重に。逆コースは、丹波から類稀なる急登が続くためお奨めできない。 |
その他周辺情報 | 雁坂小屋 噂どおり期待どおりの、静かで何も無い山小屋。小屋の方々の応対が素晴らしく、居心地の良い場所を提供してくださる。素泊まり5000円。 |
写真
装備
備考 | 前回、あまりにも節操がない、と思われたかもしれないので、少し補足を。 ヤマレコの記録を「参加者のみ」にする方法のほかに、「友達リスト登録者」 、「自分がフォローしている相手?」に限定することも可能らしいのですが、この場合、実際に参加していない方も参加したことになるので色々弊害が生じるらしい、また、非公開にすると、軌跡や山リストなども更新されない、といった事情も「戻った」理由のひとつであります。 「情報の共有」が目的のサイトですし、素晴らしい場所だからこそ、ですね。 |
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感想
中三日で出かけることにした。奥秩父の稜線で春風を感じること。なんと私らしい、気取った副題。先日に引き続き、中央線で西へ向かった。新宿駅発7時3分、特急かいじ73号は、3分前に出発したあずさ号を追う。
特急列車でまったりと、までは良いが、山梨市駅では44分の待ち合わせ、いきなり暇だった。仕方なく、地形図ではなく、久しぶりに持参した昭文社地図を広げる。38年前に犬切峠を4度越えたなあ、とか、雲取山山頂で初めてマイナス20度を経験したなあ、とかぶつぶつ言っているうちに、頼もしい市営バスがやってきた。
10時少し過ぎ、かなり遅いスタート。天気は持ってくれるだろうか。不安を抱えたままキャンプ場を過ぎ、登山口に到着した。焦ってはいけない。しっかり準備体操を行い、五日前の「環水平アーク(実はこの名前、今回初めて知った)」の余韻に浸りながらゆっくりと歩き始めた。
しばらくは幅広の道で緩やかに高度を稼いでゆき、沓切沢に沿って進むようになる。やがて水音が聞こえなくなる頃、ロープ伝いに渡渉し、更に沢状の道を登ってゆくと井戸の沢出合なる場所に到達、いよいよ急登が始まる。
標高差380メートルを一気に上がる道。何度も地形図を睨み、イメージトレーニングを積んできたつもりだったが、ここにきて平成最後(やっとこのフレーズ使えた)の登山による疲労が、思い出したかのように表れ始めた。足が上がらない。これ昨秋の焼岳以来だぞ。何人かに道を譲るうちに嫌な記憶が甦ってきた。
ほんの少し緩やかなトラバース気味の道、そして最後の詰め。青空が広がり始める。日本三大峠、雁坂峠に到着した。結局なんだかんだ言って3時間50分のコースを3時間あまりで歩いたことになる。この体力まだまだ捨てたもんじゃない、俄かに自信が回復する。
こうなると、雁坂嶺の往復など全く問題ない。道の両側に並ぶ枯れ木を愛でながら、足早に駆け上がる。標高2289メートル、今山行の最高点には、14時13分に到達した。富士山は変わらず霞んだままで写真の被写体にならない。けれども今日は差ほど悲しく感じない。この場所に立てたことが何となく嬉しかった。
風が冷たい。そろそろ来る頃かな。こんな稜線で遭遇したくはない。急ぎ峠へと戻り、小屋に向かった。北面ゆえ残雪が凍結していた。慎重に下りる。10分ほど下ると、青い屋根と色とりどりのテントが見えてきた。こんな時に小屋の存在は実に頼もしい。15時過ぎ、楽しみにしてきた雁坂小屋に到着した。
笑顔の丁寧な対応の後、ホットコーヒーを下さった。早速小屋に入る。まきストーブを囲みながら談話が可能な土間と畳敷きの小上がりがある。寝室以外はこのスペースしかないが、それがまたいい。今日の宿泊者数6名にはちょうど良い大きさだった。今年の連休も、静かな時間を心行くまで楽しむことができる、計画通りの出来が愉快だった。
翌朝、5時過ぎに起床、そそくさと準備をする。天候不安定、なるべく早出をしたかったが、寝心地の良さに勝てなかった。同宿者に挨拶をして出発した。今日は6本爪を装着しているので、軽快に足を運べる。ほどなく稜線の道に合流し、水晶山への登りに取りかかった。
静かな空間に多様な植生による趣、徐々に奥秩父らしさが広がり始めた。眺望の得られない山頂にはベンチがぽつんとあり、アイゼンをはずすのにちょうど良い。天気はまだまだ機嫌よく、時折吹き抜ける風が心地良かった。古礼山を捲き、幾つかの小ピークを経て燕山へ。こののちは、峠を目指し、急坂を下る。
雁峠、誰もが認める気持ち良さ。広く明るいその場所に、ついつい長居をさせられる。小屋を出てから2時間、まだまだ疲れは感じていない。高い空を見上げてから出発した。
小さな分水嶺に懐かしさを感じたのち、笠取山の「壁」を視界に収める。あの日のように、今にも泣きだしそうな空では無い。大展望を期待しながら一歩一歩確実に、少しだけ重くなった体を持ち上げて行く。8時33分、西峰に到達。奥多摩の山々、富士山、辿った道と甲武信岳、そして今なお冠雪の南アルプス、どちらを向いても様々な光景が思い浮かぶ。でもそのかけがえのない時間は瞬く間に過ぎるもの。意を決し、東峰を目指した。
笠取山は意外に岩峰、慎重に歩を進める。10分ほどで標高1953メートルの山頂に着いた。やはり感慨深い。33年間訪れられなかった頂に5年前ようやく立つことができた。あの頃山に通っていた人たちは、今も登っているのだろうか。
巻道である水干尾根に下り、なだらかで広い道を進む。黒槐山と黒槐の頭の間を抜け、小刻みなアップダウンを過ぎると、唐松尾山への登りが始まる。急坂ではないが、そろそろ疲れが出始める頃、ストックを支えに幾度も立ち止まった。そして笠取山を発ってから2時間、ようやく今日最後のピークに到達する。
樹林帯に囲まれたその場所には先着2名が居た。ゆっくりと昼食を楽しむつもりだったが、先刻目にした夏雲に胸騒ぎを覚え、落ち着いていられなかった。慌ただしくカップ麺を食し、20分でその静かな場所をあとにする。
そして然もあらん、それから20分後、ちょうど稜線を外れる頃、雷鳴が轟いた。まだ、11時40分、早すぎる。そう思いながら、樹林帯の中を急ぐ。
次の雷鳴が聞こえる直前に稲光、ほぼその中にいるようだった。落雷の轟音が響き渡る。と同時にあられが降り始め、それはみるみるうちに積り、道を真っ白に染め上げて行く。山中で雷に遭遇するのは、高校2年のあの日以来、やはり怖い。
時々立ち止まっては、一瞬の光を確認して動き出す。まるで「だるまさんが転んだ」のようだ。不意に背後から話し声、柴犬を連れたご夫妻が近づいて来た。「西御殿岩から戻って来ました。止みませんね。犬は雷に弱いんです」しばらく共に歩くこととなった。
今こうして地図を見返すと、道は牛王院平なる場所で大きく曲がって将監峠を目指すのだが、全く記憶に無い。只々、前進することに全ての神経を集中させていた。そしてようやく峠に到達、ゲレンデのように広い斜面を駆け下りる。小屋に着いたときには、おそらく情けない顔をしていたにちがいない。優しい笑顔で迎えてくれた小屋の女性に、雪の積もった帽子を取り、精いっぱいの笑顔を返した。
将監小屋の寝室は仕切の全く無い大部屋で、ほぼ同時に到着した連泊の女性は、布団は夕食後まで敷いてはならない、寝る場所は小屋番が決める、がルールだそう、少し不満そうに教えてくれた。雷のせいで予定よりも1時間半早い到着、すぐにでも横になりたかったが、その一言で安らかな午睡の夢は潰えてしまった。そしてそれは途方もなく長い5時間の始まりでもあった。
寒さと退屈に弄ばれる時間、雪は降り止まず、次第に増えて行く宿泊者をぼんやり見つめていた。やがてツアー客が現れ、室内は俄かに賑やかになったが、不満は募るばかり。そんな中、昨晩雁坂小屋で同宿だった二人組の女性が到着し、道中の出来事を聞かせてくれた。話は弾み、時間の流れはその速さを一気に取り戻す。16時半、予定どおり夕食の準備に取り掛かった。
18時過ぎ、待望の布団敷きが始まった。悪天候による飛び入りを含めるとやや定員オーバー、一人一枚の敷布団とはゆかなかったが、それでも就寝できる喜びは何物にも代えがたく、すぐさま潜り込んだ。
翌朝、隣の青年は3時半に起き、皆釣られるように次々と布団を片付け始めた。4時過ぎ、私もようやく「ぬくいしとね」から抜け出し、荷をまとめる。次第に明るさを強めて行く窓を見つめながら今日の好天を祈った。
出発前、昨日の二人と言葉を交わした。トラバース路は凍結しているかもしれないので、ここからアイゼンを着けてゆきます、そう言い残してしまったが、結局一晩で雪は融けており、余計なお世話だった。小屋から少し登ればその長いトラバースが始まる。それは飛龍権現神社まで延々と続き、1時間半は予想以上に長かった。十字路のそこには、山頂を往復する登山者のザックが並んでおり、私もそれに倣う。
急登の後は緩やかな上り坂、飛龍山への道はほどよく疲れを癒してくれた。山頂は木々に囲まれ眺望も無く、コーラのボトルを半分空けたのちに往路を引き返した。以前、この山を目的地にする計画を立てたこともあったが、実行できずにいたことが幸運だったと知った。
飛龍権現からは、前飛龍と熊倉山のピークを経て奥多摩に下って行くことになる。まだ8時前、もしも昨日のように天候悪化が待っているとしても、その前には人里近くまで下りられるだろう、いつになく余裕があった。
意外にも熊倉山までの間には、岩場が幾度か現れる。笠取山同様ストックを仕舞うほどではないが、出発後3時間経ったこと、今日の目的地からの下りであること、気の緩みには注意しなければならない。
サヲウラ峠には10時過ぎに到達、飛龍山からの標高差660メートルの道を、2時間半をかけて歩いたことになる。コースタイムの2時間を上回っていたが、早出により1時間あまり早い通過、特段急ぐ必要はない。崩壊の進んでいる斜面を慎重に横切ったのち、急坂九十九折個所に入って行った。
登山中、時折魔が差す。昨年の仙塩尾根稜線からの急下降であったり、尾瀬・湯の小屋間縦走時の道迷いであったり、そのほとんどがコースアウトを引き起こすのだが、事後振り返ると考えられないほど初歩的なミスであり、遭難でもしようものなら同情されることはないだろう。
ストックを駆使して軽快に下りている最中だった。落葉の堆積がこれまでより多いなあ、そう思いながらもそのまま進んだ。急に「道」が消失した。一瞬戸惑った場所から大分進んでいた。同じ個所を引返すのも面倒だ。トラバースによる復帰を試みることにした。
突然足元が崩れ、バランスを失い、滑落した。5メートルくらい落ちたところで、偶然有った木にしがみついた。落ち着いてから確かめると両腕の擦過傷と右足の強打によるしびれを負ったようだった。腕をまくっていなかったことが幸いした。
茫然としながらも上へ上へと斜行しながら道を目指した。ほどなくしてロープが見えた。安堵と共に不甲斐無さを強く感じていた。出血の手当てをしてから慎重に歩き始めた。
思索に耽っていても進路には細心の注意を払うべきなのだよ、そして過ちに気付いた時には潔く素直に引き返すべきなのだ。後輩に諭すかのように、当たり前のことを呟きながら愚かな行動を恥じていた。一刻も早い到着を願いつつも、いつになくゆっくりと歩くしかなかった。
およそ1時間後に登山口の防獣フェンス扉を開き、とぼとぼ歩きながらバス停を目指した。負傷により温泉入浴は諦めなければならない。1本早いバスで帰ろう。そして途中駅の中でカツカレーを食べ、最寄り駅の中でソフトクリームを食べるのだ。そうしなければならないのだ。
雷との遭遇、寒く退屈だった「布団待ち」の時間、愚かな行動による精神的な痛み、それらに、山中の雄大な眺望や魅力ある人々との思い出が勝るには、もう少し時間のかかる気がしていた。
ようやく「時の忘れもの」終章の答えを得ました。
奥秩父の風に触れ、改めて富士山の美しさを知り、どこまでも深い静寂を感じました。
そして或る人から、
(前略)〜山が「素晴らしい山の景色を見せようじゃないか」そう言っているようで〜(中略)〜そして、行きたくなった時にお山に行きましょう(お友達のことはきっと風と一緒にそっとついてきてくれるので大丈夫です。)〜(後略)
そんなメッセージをいただきました。
感謝しています。
誰がために。
自らのために登り、友のため、いや自らのために心から楽しもう。
かけがえのない、戻ることの無い時間を大切に過ごそう。
そのままに。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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kimichin2様、こんばんは。
雁坂小屋、将監小屋で御一緒でした二人です。
楽しい時間を有難うございました。
最終日はなかなか長かったですし、急だったり、滑りそうだったり3日間で一番大変だったかもしれません。
確かにこの逆は大変ですね。
三の瀬に降りたがっていた相棒に、登りはないから行こうよー、と言ったものの、結構ありましたね。
私たちは12:30頃バス停についてお風呂は行かず1時間、のんびりバスを待ちました。
最後まで靴も無事でした。
アイゼンの件、お気になさらずに。
私は結局つけませんでしたが相棒はしっかりつけておりました。
バス停で丹波山村民タクシーのポスター、ご覧になりました?
村のボランティアが例えば道の駅丹波山やのめこいの湯から作場平まで4000円弱で(迎車料金は1キロ200円)で運んでくれるそうです。
相棒は次はこれを使って三の瀬におりたいと言っておりました。
笠取も飛龍も私たちは巻いてしまいましたがそんなことも気にならない、山にしっとり浸れた幸せな良いコースでした。
お怪我されたとのこと、お大事ななさってください。
mchdmz様
良かった!ヤマレコのメンバーで。
将監小屋で見送ってくださったとき、何故訊かなかったのか、ずっと反省していました。
もしかしたら、と同じ区間、時間を歩いている人をレコで探していました。
こうしてコメントをもらえて本当に嬉しいです。
私にとっては、様々な出来事の多い、印象的な山行でした。
奥秩父や大菩薩の山々からは、他にない優しさを強く感じます。
懐に抱かれていると、気持ちが良く、いつまでもそこに居たくなってしまいます。
だから、山頂に立たなくても気にならない、という気持ちわかります。
ポスター見ませんでした。
そんな良い手があるのですね。
当時あれば、一之瀬から丹波まで歩かなくて済んだのかな。(今度時間あったらその時のレコも見てください)
どこかでまた会えるような気がしています。
ヤマレコ続けてて良かった。
バス停にあったポスターの写真を撮ったのですが、ここに添付する方法がよくわからなかったので、このポスターが載っているサイトを探してみました。
以下の2点です。
https://images.app.goo.gl/RR6sjXuVihSypZYE8
https://s.webry.info/sp/ponpokotanuki1.at.webry.info/201903/article_2.html
うまく見られると良いのですが。(丹波山村民タクシーで検索しただけですが)
一の瀬から丹波って、この間将監小屋の方に聞いたら「半日かかるよ」と言われました。
出来たら来年も一人でもこのコースを歩きたいと思いますが、次はこれを使いたいです。
ヤマレコはたまーにしかアップしておりません。
見るだけ、のユーザーはあまり評判がよろしくありませんが、せめてもの、のつもりでプレミアムユーザーになっております。
kimichin2様と違い、キャリアも経験も指導者もないおばさんですが(なのに後輩を初のお泊まり登山に誘って雷の洗礼を受ける・・・)ヤマレコ頼りにボチボチ登って14年です。
たくさん山行がおありですので順にじっくり拝見したいと思います。
またどこかのお山でお目にかかれる日を楽しみにしております。
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